視線。

御手洗孝

第1話

 見られている。


 これは絶対に気のせいではない。私はずっと見られているんだ。

 誰に言っても、何を言っても信じてもらえない。

 でも私は感じる。人の視線を、私に向けられる様々な感情と目線を。

 

 初めはとても些細な事だった。

 家の中からふと外を見た時、目があっただけ。誰とも知れない、ただの通りすがりの人と。

 でも、それはただの通りすがりでは無かった。あの男は私を監視していたに違いない。

 それから、日が経つに連れて私は、私の環境は、視線という視線に侵されていく。

 ドアを閉め、窓を閉め、カーテンを閉め、完全に全てを遮断したはずであるのに、それは私の体にまとわりついた。

 布ではダメだと気付いた私は、密かに工具一式を取り寄せ、決して外から覗けぬように、内側から隙間という隙間を塞ぐ意味で、板を貼り付ける。

 板と板の間の上には更に板を打ち付け、何十にも重なった板は全てを闇に閉ざしてくれた。

「あぁ、これで、もう」

 全ての板を打ち付けた時、私は安心と疲れが一気に訪れ、数日ぶりに深い眠りに落ちる。

 これでもう、私を怯えさせるものはなくなった。ここに居れば安心だ。私は心からそう思い、どうしてもっと早くそうしなかったのかと後悔すらしていた。


 しかし、それは大きな間違いだった。


 私は深い眠りから浅い眠りに変化したその時、再び感じてしまったのだ。

 そう、あの、何とも言いようのない、体に粘りつくような視線を。

 辺りは暗闇。

 当然私にも見えないが、相手から私が見えるはずがないのだ。

 そのはずなのに、視線は確実に私を見つめ、私の一部始終をなめとる様。

 隙間は無い。

 私が自分自身の手で木を打ち付けたのだから、隙間などできるわけがない。

 布団にくるまってみるが、視線は、粘りつくような気配は一向に離れない。

「塞がないと」

 視線から逃れるには、見えなくするしか方法が思いつかなかった。

 わずかな隙間がある。外からの光が入ってこないのは、もしかすると外が夜だからなのかもしれない。

 そう思い、私は手探りで自分の打ち付けた木を隅々まで探っていく。ほんの僅かでも隙間を感じれば、その場所を塞ぐのだと、恐怖心と闘いながら打ち付けた木を触っていった。

 以前は押入れがあった位置から右回りに、上から下へと何度と無く触っていく。

 途中何度か木のささくれが手に刺さったが、私はその痛みなど感じていなかった。それよりも一刻も早く、視線から逃れたい、ただそれだけ。

 探し始めてどのくらい経っただろう。

 入念に、どんな隙間も見逃さないようにと指先に全神経を集中させていた。その時、右手の人差し指の先が僅かな裂け目を見つける。それは重なりあった木板の段差によるものではなく、明らかに板の真ん中に在る裂け目。

 鼓動が早くなる。

 息が上がる。

 指先が震える。

 探さなければ、その一念で必死になっていたにもかかわらず、そうかもしれない場所を探し当てると恐ろしさで震えが止まらなくなった。

「ふ、塞がないと。塞ぐのよ」

 はぁはぁと息を荒くしながら(これさえ塞げば、私は開放される。)その思いだけで必死に動く。

 穴を確認した指先が、少しずれたその瞬間、私は自分につきつけられた新たな事実に愕然となった。

「一体、どういうことなの?」

 血の気が引いていく指先には無数の裂け目が確認でき、指をずらせばその数の多さに言葉を失う。

「さっきまで、感じなかったのに」

 一体どれだけの視線に私は侵され、犯されているのか。

 きっと、裂け目は時間がたつほどにその数を増していくのだ。

 体に絡みつく視線。

 私の全てを見、全てを露わにしてしまうその視線に、私は自分の心臓が弾けてしまいそうだった。


 静まり返った壁の向こう。

 息を潜めているのだろうか、視線以外の気配は全くしない。

 気のせい? 見られていると過剰に思い込んだための幻覚を私は感じてしまっているのではないだろうか?

 張り裂けそうな心臓を抑え、私は一番長い釘を片手に木の板に出来上がっていく隙間に向かう。

 震える手を何とか伸ばして壁を探れば、すぐに裂け目が。探し当てたその裂け目、近くでじっと気配を探ってみても、板を挟んだ向こうには何もいないように思えた。

 これが自分の気のせいであればそれにこしたことはない。

 一つ大きく息を吸い込んだ私は、手探りで探し当てた段差の一つに、釘を思い切り差し込んだ。

「ぎゃぁ!」

 大きな叫び声が聞こえ、慌てて釘を引き抜く。手に伝ってきた液体はぬるりとして生暖かい。

「ひぃっ!」

 思わず、釘を投げ捨てた。

 これは血だ。

 真っ暗で色は見えないけれど、生暖かいそれを触った瞬間そう思った。

 それと同時に、私は一体何を釘で突き刺したのだろうかと考え、思い浮かぶ答えに青ざめていく。

 きっと「それ」は「目」だ。

 私の体の全てから血の気が引いていくのがわかる。それは、誰とも知らない人の瞳を突いたという事柄からくるものではない。

 私の頭のなかに浮かび、私を青ざめた事柄。

 釘で突き刺す前、私は瞳を突き刺しただろうその場所とよく似た場所を無数に確認していた。

 つまり、今、私とこの場所は、その無数の穴から無数の瞳に監視されている。

 絡みつくような視線はここにいる限り、決して私の身から離れることはないのだ。

 愕然として崩れ落ちた私の目の前に、一点の光が映り込む。光の筋をたどっていけば、そこにはぽっかりと小さな穴が開いていた。

 そう、先ほど瞳を刺された者が居なくなった為、穴から光が入りこんだのだ。

「あぁ、そうか……」

 私は理解した。

 真っ暗だったのは、私が板を打ち付けたからでも、夜だったからでもなく、外には穴をふさぐほどの人間がひしめきあって私を見ているのだと。

 何をしようと、私は逃れることはできないのだと悟った。

 どんな道具を使っているのか、どんな風に覗いているのかはわからない。

 でも、きっと、私が一生懸命打ち付けた板は何の意味もなさず、そこら中が穴だらけなのだろう。穴から興味本位なのか、憎悪なのか、感情の全くわからない目玉が私を見つめているのだ。

 そう思った瞬間、私は力が抜けきり、絡みつく視線になすがままになる。

「穴が……」

 自分の体に穴が開いていくのがわかった。

 板に穴が開けられたように、視線によって侵された私の体にも穴が開いていくのだ。

 それは表面の皮膚を突き抜け、やがて内臓に達し、さらには私の体を貫通していくだろう。

 そして、彼らの視線は楽しみに変わっていく。私の姿が穴だらけに変わるほど、彼らは喜ぶのだ。


「あら、パトカー? 救急車まで。一体何事?」

「なんだかね、娘さんが父親の目をさしたんですってよ」

「まぁ!」

「それに、自分の体にまで穴を開けようとしていたらしいのよ」

「体に穴を?」

「あそこの娘さん、最近顔つきがおかしかったもの、いつかこんなことが起こるんじゃないかと思っていたわ」

「あら、奥さんもそう思っていた? 私もね、目つきがおかしいって思っていたのよ」

「じっとこっちを見ている感じで」

「そう! そうなのよ。何だかいつもじっとり見られているようで嫌だったわ」


「君はなぜ、父親の目を刺してしまったんだい?」


 父さんの目を、私が?


「そう、君がやったんだよ。ただただ、娘を心配していただけの父親をどうして……」 


 そんなこと、知りません。私が刺したのはあいつらよ。今もまだ私を見つめているあいつら。

 私の体が穴だらけになるのをじっと見て楽しんでいるのよ。

 あぁ、私は逃げられない。

 私は、逃げられないんだわ。

  

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視線。 御手洗孝 @kohmitarashi

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