エピソード2・盗作?
「春川先生、いや、桜子さんのお母さま、お久しぶりです」
三者面談とやらで、そう挨拶した担任は、いつものふわふわとした態度を改め、まず座席をすすめた。
春川聖子、私の母親は、以前この学校で教鞭をとっていた。
私の入学と同時に、異動したけれど。
母親が席につくと、風が吹き込むのか、カーテンがわずか、ふわりとした。
「お世話になって……これ、桜子!」
母親が、隣にいる。が、どうでもいいので、椅子を揺らしながら、机を蹴った。
「先生の前でなんです」
母親ヅラか。おそれいるよ。
「ねえ、もう。本当に親の見ていないところで、何をしているかわかったもんじゃない」
むしろ、見てたことがあるのか。
「まあ、春川先生。いや、お母さま、娘さんは成績がこの頃伸びてきてます。部活もそうですが、委員会もかけもちで二つも、熱心にやってくれてます」
「そうだよ」
「桜子!」
珍しく厳しく言われたので、机の脚から上靴をどけた。
「まあまあ、テストは頑張っているでしょう。得手不得手はあるようですが」
そんなの誰にだってあてはまる。ケンスケだってヨーコだって。目立つか目立たないか、それだけだ。
「以前は白紙のままの答案に困惑しましたが、最近は平均点に達しています。わたしの担当教科はいつも満点なのですよね」
「ま、先生の授業のたまものですわ」
白紙の答案をスルーできる、この面の皮の厚さ!
――さすが、私の母親だった。
「桜子さんは、以前は国語のテストだけ、いつも満点でしたね」
「はあ、まあ、本人はムラッ気があるようで……」
「でも、歴史は逆に健闘しましたね。零点ではないんです」
「ええ、まあ」
そこ、納得するとこじゃない。嫌味だって。
学校の先生同士って、たまに落ちこぼれが頑張ると、やけに同情してくれるんだよな。
馬鹿馬鹿しい。
どうせ私は底辺だよ。
花霞なんて無理だよ。
至らなくってすみません!
ああ、もういいや。
私は席を勝手に立ち、廊下に出た。
母親がついてくるかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。
――涼風や、野に咲く花も待ちきれず、ものを思うは天の虹。
私はボーっとしながら、昇降口で突っ立っていた。
母親を待つ間、特にすることもないから、詩を詠んだりして。
だけど、涼風も、虹もここにはない。
みーんな空想。しあわせは空想の中にしか、ないのかなあ。
そう思うと、少しの間、無力感にさいなまれた。
しょせんはうたかた……の、夢。
思ったとたん、お腹が鳴った。
――こんなときでも、お腹は空くんだなあ、と思ったよ。
こればっかりは成長期につき、しかたがなかった。
どうしても、お腹が空くと、心細く、みじめな気分に支配される。もっとしゃんと立たなくちゃ。
――水曜日が嫌いだった。
帰ったら、父親の寝室にまた呼び出された。
畳の上で一冊のノートを挟んで、にらめっこ。
テーマは、『縁側のある家』。
これまた空想を重ねなきゃならない。
――正座をすると足がしびれるから、ソッコーでやめたかった。
「子猫がね、コロコロ笑って、ころがるよ」
すかさず、父親がノートを定規でたたく。
「猫が笑うか。ふつうに考えなさい」
間をおかず、私。
「子猫がね、コロコロ回って、ころがるよ」
「凡庸だな。しょせん、ここまでか」
「子猫がさー、クルクル回って、ころがった」
「……いいじゃないか」
どこが?
「応募するから、ペンを持ってきなさい」
言われたが、無視していると、定規を投げられた。
なんで、父親の趣味に、私の文が使われるんだ。理不尽だ。
昔、まぐれで賞をいただいたからって、額にまで飾っちゃってさ。そんで、ちゃっかり自分の名前を入れてるの。見ちゃった。
盗作じゃないのかなあ。私から著作権、とっちゃっていいの? ……犯罪?
――と、思い至ったのは中学生になってから。父親のパクリ疑惑はほんとうだった。
彼は古臭い原稿用紙に、詩とも言えない私の即興文を書きつけ、一息つくと住所、氏名、略歴を書き入れた。
公募うんぬんはともかく、創作って自分の頭をひねるものじゃないのか?
だけれど父親は、それを封筒に込めると、ぺたりと切手を貼った。
「次は、令和初めの感染症の論文だ。お父さんが経験したことを書きなさい」
「どういう経験?」
「それを、書くんだ」
だから。
「どういうふうに?」
「見てきたように」
見てないし、そもそも私は父じゃない。どうしろと。
いい加減に、娘が限界を迎えていることを悟ってほしい。
「あ、三日のうちにな。じゃ、お父さんはTVを観るのに忙しいから」
これで小遣いをもらっているから仕方がないと言えば仕方がない。三百円だろうが、お昼代にはなる。
――お腹はすくんだから、本当にせちがらい。
周囲の中学生って、もっとぜいたくしてるよなあ。だが、これが私の現実だった。
……たまに、ポカっと空いた部活のない夜は、父親に捕まるとこういう目に遭うからいやだったし、なんで部活やっちゃいけないんだとも思った。
嫌いだ。水曜日なんて。
学校の先生というのは、自分よりはるかに年齢の若い者が何かすると、極端に反応する。
秋田先生もそうだった。
夏休みの自由課題で、父親に採用されなかった詩――自分では好きに書いたんだけれど――を二十ほど提出したら、現国の教師がはしゃいだらしい。
こういうのって、気をつけなきゃ。人間がダメになる。
――父親みたいに。
私はそう思った。
秋田先生は、いつもの公園で時間をつぶしていた私を見つけると、ファイルを抱えて駆け寄ってきた。
「高校級で、入選するレベルだそうだ」
ふーん。
「おまえ、詩が好きだったんだなあ」
はい、それがどうしたの。
「韻を踏んでいるのがいいな、これ」
そしてまた、
「おまえ、将来作家になれ。文才がある」
うんざりだ。
「ポエムは趣味なので、仕事にはしたくありません」
「ポエムって……わかっていないのか。現国の先生が言っていたぞ。おまえは自分の世界を持っているって」
わかっていないのはあなただ、先生。
「なあ、先生思うんだよ。おまえの詩は、未来を創る。きっと世の中を変えるって。おまえの詩はそういうことなんだろ」
ちがうよ。暇つぶしに遊んでみただけだ。
未来になんて、興味ないし。
親には失望させられ、搾取され、いつも腹減らしで、それでも頑張って。
もういっぱいいっぱいなんだよ!
――と、私は叫びたかった。
「先生、大学の恩師に、おまえの作品、送ってみようと思う。ああ、わくわくしないか。これは貴重な第一歩だ」
どうせ、大学なんて行ったって、他人にパクられるだけだ。
息をつく先生の上に、残暑の光が舞い落ちる。
「いや、先生が先走っちゃいかんな……趣味でもなんでもだ。本当におまえは何になりたいんだ」
「それを言って、先生が何をしてくれるんですか」
「もちろん、応援する」
そっか。
応援か……。
考えてみれば、初めてだ。そんな言葉をもらったの。
いやいや。何を言っているんだ。
目上の人間は、顔を見ればあれをやれ、これをやれと命令ばかりで、ろくに話なんてしたことがない。
なのに、先生は言ったのだ。
「おまえがどこにいても、なにをしていてもいい。書き続けてくれるなら、先生は応援する」
「ふ……ん。口で言うのなんて、タダですからね」
「タダよりプライスレスなものはないんだよ!」
返ってきたシュールさに、思わずびびった。
それは多分、意味がちがうな。思ったけど、臆病な口は別のことを言った。
「作家……なろうかなあ」
「よし! 決めたな? おまえが決めた。それが大事だ。桜子!」
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