バカはゲリラ豪雨と塩素を浴びる

モモノキ

第1話

 葉月の暮、彼らの時代がやってきた。

 3年生が受験で引退し、部活動を仕切っているのは2年生だ。


 燦燦と照らす太陽に焼かれ、運動部の男子バカどもは黒いコッペパンのような肌を晒す。

 そんな夏休みのとある高校の珍走劇。


「あっつぅ! もう無理。ちょっと休むわ」

「なんやでんちゃん、へばったんか? せっかくの高2の夏やぞ。」

「ほっとけや康生こうせい。俺らだけでやろうや」


 炎天下にやられて、木陰の下へ向かう田村を見送ると、二人は練習を再開した。

 蝉時雨とボールを叩く音、そして靴を擦る音が、コートの中に響く。


 ハードコートはアスファルトで固めているため、太陽の熱を逃がさない。真夏のテニスコートは灼熱地獄だ。

 人工のホットプレートの上で蒸されながら、彼らは踊る。


「アホちゃうかあいつら、死ぬぞ?」


 田村の冷ややかな視線を浴びながら、バカ二人はラケットを振る。

 彼らは自分たちのことをバカだと自覚していない。『あいつらと違って暑い中でも練習をする俺らはかっこいい』と勘違いしているバカだ。

 二人がそれを見せ付ける相手は、隣のテニスコート――女子テニス部の部員たちだ。


 余所見をしていると康生はネットにボールを引っかけてしまった。

 二人はこれを機に球拾いを開始する。気づけば吸い寄せられるようにネットの近くに集まり、井戸端会議を始めた。


「見てみあいつら、化け物バケモンやろ」

「女子の方が俺らより動いてるってどういうことやねん」


 女テニのメンバーは、こんな炎天下の中でも激しい練習メニューをこなしていた。

 対する男子部員の方は、影で涼みがらスマホで遊んでいる。二人は顔を見合わせて呆れ返った。


 コートの中心でぼーっと女子を観察していると、ボールがこちらに転がってきた。

 康生はラケットで掬い上げると、女子の方へ打ち返しす。


「ありがとう」


 その言葉を返してきたのは、新しく部長に新任した同じクラスの立花だ。

 彼女は短く切り揃えた髪を耳にかけると、颯爽と去っていった。


(やった、立花と会話できた)


 彼女に片想いの康生は胸の中で小さくガッツポーズする。会話とは本来ラリーをするものだが、彼にとって立花は高嶺の花であり、一方的な挨拶だけで満足してしまった。


「よっしゃ! 俺らも負けてられんぞ」


 愛する立花の声でハイになった康生は、両足のパンツのポケットにボールを詰め込むと、バックコートまで走った。

 そして反転し、その場でぴょぴょん飛び跳ねる。

 さぁ続きをやろうぜと、テンションを上げながらラケットをくるくる回す。

 相手がセットポジションに入ったことを確認すると、ポケットからボールを取り出し、トスを上げた。


 しばらく激しい乱打戦を繰り広げるが、高まる熱が少し冷たく感じた。

 髪の先についた汗が零れ落ちた刹那、コートの中にぽつぽつと黒いシミが現れる。

 やがてそれが雨だと気付いた時には、土砂降りになっていた。


「やばい、雨や! お前ら一旦辞めろ!」


 部員が声をかけるが、二人はラリーを止めなかった。

 いい所なので、相手を負かせてから終わらせたい。気付けばそこは、男の真剣勝負の場になっていた。


 近くの校舎の下で避難する男子部員、女子部員は、雨水を弾きながら男の勝負をする二人を見守っていた。

 女子部員はすぐ飽きてしまったが、それを見た男子部員たちは駆られるように豪雨の中に突っ込んだ。


「よっしゃ! 俺の勝ちや」

「クソッ、最後届かんかったわ」


 勝敗がついて切り上げようとしていた二人は、迫りくる軍勢の足音に驚く。


「雨や雨や! めっちゃ気持ちい」

「汗臭かったしちょうどええわ」

「康生、ボール貸してや」


 この大雨で水を得た魚のように、バカたちがコートに吸い寄せられた。


 びちゃびちゃと音を立てながら、男子は水上のテニスを楽しむ。

 水を吸ったボールが跳ねないので、自ずとバウンドなしのバトミントン大会が開催された。

 ボールがラケットに当たった瞬間、染み込んだ水が土星の環っかのように回転する。バカはこれがカッコいいと思っているらしい。


 雨に頭を冷やされ、よりバカになった男子たちは次に野球をおっぱじめた。

 予告ホームランをしながら犠打バントをして、コートの中の水溜りにヘッドスライディングをする。


 雨宿りをする女子部員たちが冷ややかな目見つめる横で、残った男子部員たちはスマホをかざして笑いながら、動画撮影をしていた。


 しばらくすると雨は上がり、再び太陽が目を覚ます。

 雨に打たれて遊び疲れた男子どもは、雨宿りをしていた貧弱どもの元へ向かった。


 なにやら様子がおかしい。

 よく見ると田村が女子に囲まれていた。


「おい田ちゃん、なにしとんねん!?」

「田村の彼女の写真見てんねん。みんなも見る?」


 憎まれ口を叩く康生に対して、田村のスマホを奪った立花が答える。


「ほんま!? 見せて見せて」


 康生は直ぐに彼女の下へ近寄った。

 餌を見つけた鯉のように、他のびしょ濡れの男子部員も群がる。


「ちょ、汚いって。体拭いてこいや」

「潔癖症のくせに彼女おんのか、きっしょ」


 嫌がる田村に嫌味を返す。

 自分より格下だと思っていた腐れ縁の田村に彼女ができたのが悔しかったのだ。

 康生は若干苛立ちながら、スマホの中のツーショット写真を見る。


「へぇーかわいいやん。1年生?」

「同じ中学やったらしいで。夏休みに告られたって」


 再び立花が答える。彼女はすっかり他人の色沙汰に夢中な女子高生になっていた。

 楽しそうに恋の話コイバナをする意中の相手と、ちゃっかり彼女を作った親友。緊張と怒りでその場にいられなくなった康生は、立花からスマホを取り上げた。


「あっ……」

「おい、勝手に取るなや」

「みんなに見せてくる」


 康生はそう宣言すると、奪ったスマホをポケットに入れて校舎の中に逃走した。

 田村はすぐ立ち上がり、彼を追いかける。


「おいこら、待てや!」


 吹奏楽部の演奏が、彼らの逃走劇に緊張感を生み出す。

 康生は廊下の中を走り抜けながら、途中で空いていた窓の中にダイブした。

 田村はそれを追って同じく窓から出ようとするが――

「おい、テニス部! 何やっとんねん!」

「ヤッベ……」 

 ――教師に見つかってしまい、しぶしぶ早足で歩きながら校舎の外に出た。


「あいつどこ行ったんや……」


 田村は下を向いて水溜りを交わしながら、とことこ歩く。

 しばらくすると、自動販売機に飲み物を買いに来ていた立花と合流した。


「立花、康生知らん?」

「なんかプールのフェンスよじ登ってたで。ほら」


 彼女はスポーツドリンクのアルミ缶で額を冷やしながら、その方向を顎の先で指す。

 屋外プールの方を見ると、フェンスの上から飛び降りるバカの姿が見えた。


「よっしゃ、あいつぶっ殺したる」

「いってらっしゃい」


 田村はそう言い放つと、バカの元へ直ぐ向かった。

 彼は堂々とプールの入り口から入り、怪盗犯を指差す。


「おい長谷川、康生を捕まえろ!」


 プールサイドに呑気に腰掛ける康生と水泳部の長谷川。

 彼らは田村のスマホを覗き込んでいた。

 名前を呼ばれた長谷川は一度首を向けるが、めんどくさそうに首を伏せた。


「ええところに来たわ。田ちゃんパスワード教えて」

「教えるかアホ! ええから俺のスマホ返せや」


 獲物を追い詰めた獣のように、息を荒げた田村が近づく。

 観念した康生はスマホを長谷川に預けて立ち上がり、そして叫ぶ。


「いけ、宮崎!」


「うわっ、なんやねん!?」


 水の中にいた宮崎が田村に水を吹っ掛けた。

 彼は飛び上がり、プールサイドから離れようとするが、


「よっしゃ、捕まえたぞ」

「ちょ、離せや!」

「大人しくろ、田村」


 隙を見せてしまった田村は、バカ二人に捕まってしまった。


「宮崎ちょっと手伝って」

「おお、ええで」


 プールから上がった宮崎にも取り押さえられ、田村は拘束されてしまった。

 雨の匂い、汗の匂い、そして塩素の匂いに囲まれながら体を持ち上げられる。


「みんな注目ぅ! この田村君に彼女ができました」

「みんな拍手!」

「よっしゃ、胴上げどあげや」


 水泳部のまばらな拍手を受けながら、田村は空を舞った。


「何してんのあいつら、アホちゃうん」


 プールの外から様子を見に来た立花が、缶の飲み口を噛みながら呆れる。


「行くで、せーの!」

「おい、ふざけんな! 嘘やろ!? おい」


 そのままプールに投げ捨てられ、大きな水飛沫を上げた。

 飛び込む前にちゃっかり靴を脱がせてあげたのは、長谷川の優しさだ。


 ……怒りを通り越して、笑いが込み上げてきた。

 冷たい水の中が爽快で、頭がスッキリする。水を吸った服が重くて、上手く泳げないのが楽しい。


「なんや、楽しそうやんけ。彼女持ちはやっぱちゃうなぁ」

「そう言うならお前も彼女作れや」


 田村は手のひらを目一杯使って、プールの外から見下ろす康生に水をかけた。

 ……親友から掛けられた水が心地良い。


「せやな、俺も頑張って立花に告るか」

「お前立花が好きやったんか!? 意外やな」

「アホか、俺は立花一筋や。テニ部入ったのも……」


 突然軽い金属がコンクリートを打ち付ける音がして、康生はそこで話を打留める。

 音がした方を振り向くと、金網のフェンスの向こうで呆然と立ち尽くす彼女の姿。


「嘘やん……」


 羞恥心に駆られ逃げ出したくなった康生は、服のままプールの中に飛び込む。

 バカの放った水飛沫は、火照る立花の肌を少し冷やした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バカはゲリラ豪雨と塩素を浴びる モモノキ @momonokiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ