「迷いがないということは
ある意味、とても恐ろしい」ですよね。
自分が正しいと百パーセント信じ切れるから迷いがなくなるのでしょうか。
この「もやもや」は、私も感じたことがあります。同じ言語なのに伝わらない、通じない、もどかしさです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントありがとうございます。
自分に自信をもつことは大切なことだろうとは思うのです。自分を信じることも。
でも、迷いはもっていたい、立ち止まって振り返ることも忘れたくない。
そう思うんです。
>この「もやもや」は、私も感じたことがあります。同じ言語なのに伝わらない、通じない、もどかしさです。
そうなのですよね。
「もやもや」何とも言い難い虚しさもどかしさですね。。。
そうなんですよねえ。💦
同じ日本語なのに……言葉が通じない。
先々月あったんですよねえ。
そういう相手には距離を置くしかないんですよねえ💦
一つの考えに凝り固まっちゃダメですよねえ……。
作者からの返信
ホントにねぇ、悲しいことだけど、どうにも相容れない相手っているんですよね。
まず話ができないことにはスタートラインにも立てないけど、そういう人は聞く耳を持たないし。
>そういう相手には距離を置くしかないんですよねえ💦
そう思います。寂しいけど。
自分がどうこう出来ることじゃないですし、ね。
拘りは悪いことじゃないけど、それだけに凝り固まってしまうと視野が狭くなって、せっかくの大事にしていたはずのものを歪めてしまうから。自戒を込めて気をつけないとなぁって思います。
この詩の中に出てくる「我に正義あり」って言葉から連想して……。
正義ってなんだろうってよく思うのです。
自分にとっての正義であっても、他人にとっては正義でない場合もあって。
きっと言葉が伝わらないのは、信じる正義が違うから。
仕方がないと諦められるほど達観はできない。
でも、自分の信じる正義を押し通せる強さってどこからくるのでしょうね。
物語のように悪役がはっきりしていればすっきりするのですが、
現実世界はもやもやしっぱなしです。
作者からの返信
一帆さん、難しいですよね。
>仕方がないと諦められるほど達観はできない。
うんうん。
自分の正義(主張)だけしか見えなくて、それをひたすら押し通すという強引さを見せられると、やっぱり、もやもやしてしまいます。
現実世界は本当に複雑ですよね。。。
だから、振り返ってみたり、せめて自分に問いかけることを忘れずにいたいと思ったりします。