第40話 美容室
店内に入ると、洋楽が聞こえてきた。歌い手も曲名もわからないが、テンポの良いポップスだった。実に“美容室”といった感じだ。
入口の近くに葉の大きな観葉植物が置かれ、舞台の楽屋のように、壁にはガラスが貼れている。ところどころに薄いレンガが貼られ、おしゃれな雰囲気をつくっていた。だが店内の照明は明る過ぎた。目も慣れていないため、少々痛かった。美容師は笑顔で客に話しかけ、流れるようにカットしている。美容師もお客も、この光に慣れていた。
腰をかけて少々お待ち下さいと言われたが、武藤は大事な用があるから店長を呼んでくれと告げた。店長らしき人物がこちらに向き、ハサミを置き急いでやってきた。武藤が警察手帳を見ると、店長は面食らっていた。
事件の簡単の説明をし、被害者の写真を見せ、この美容室に通っていたことを告げた。
「見覚えはありますか」と武藤は訊ねた。
「ええ、ありますよ。でも、この真ん中の写真の子は見たことないですねえ」と織本莉奈の写真を指さし言った。「一度は来てくれたことがあるのかも知れませんけど、常連さんではないですね」
「では他の二人は」
「はい、よくうちに来てくれてますね」
「二人を担当していたものはいますか?」
「ええ、二人ほどいます。その二人が、この子たちのどちらも担当しておりますよ」
「呼んでもらってもいいですか」
「わかりました、すぐに」
店長は踵を返し歩き出した。
少しして、二人の美容師がやってきた。一人は髪を茶色に染めワックスで整えた爽やかな若い男性で、もう一人は長身の女性だった。涼しげな目をし、鼻が高くクールな印象があった。両手を怪我しており、包帯を巻いている。この業界では手は命だろうに。
男の名前は三岳(みたけ)といった。この男が犯人だろうか。
「三岳さん、ちょっと話を聞かせてもらってもいいですか」と武藤は言った。
「はい、今は大丈夫っすけど」
「じゃあ外に出ようか。店の中だと迷惑がかかるだろうし」
「わかりました」
「私は戻ってもいいんですか」と長身の女が言った。
「ええ、けっこうです。では三岳さん」
外に出ると、店の正面でも迷惑がかかるため、壁の端のほうに移動した。すぐ近くにはサインポールがクルクルと回っている。
武藤は被害者の写真を取り出し、三岳に見せた。「あなたがカットの担当していたんですよね」
「ええ、そうです。何度も通ってもらいましたし、話もしましたよ」
「では」武藤は織本莉奈の写真も取り出した。「この子はお店に来たことはありますか」
三岳はじっくりと写真を見つめたが、
「いや、ないっすね」
「見たことは」
「見たこともないですけど……」
「そうですか」
織本莉奈のことは認めないか。それとも、本当に店に来たことがないのか? 好みだったため、どこかで声をかけたのだろうか。だが少なくとも、田宮舞花と原西雪との面識はある。
「あの、双葉(ふたば)さんはいいんですか?」と三岳は言った。
「双葉さん?」と武藤は目を細め聞き返した。
「ほら、ぼくの他に女の人がいたじゃないですか」
「ああ、双葉さんっていうんですか」
「それで、双葉さんはいいんですか? 双葉さんも二人を担当してましたけど」
「まずは君からと思ってね」
「そうなんですか。わかりました、なんでも訊いてくださいよ」
三岳の軽い、良くいえば親しみやすい態度を見ていると、犯人なのだろうかと疑問に思ってしまった。三人も強姦し殺し、刑事を前にしているのにあまりにも肝が座っている。犯人ではないのか、よほどの間抜けなのか。古手川には、そのどちらかの判断はできなかった。
事件の説明を簡単ではあるがしてみても、三岳の態度に変化はなかった。
「三岳さんは、被害者の二人とは親しかったんですか?」と武藤は訊ねた。
「まあ、そうなるんでしょうかね。来ていただいたら、学校の話とかもよくしてくれましたよ」
「街で会ったことは?」
「いや、ないです」
「彼女たちの連絡先は知っていますか」
「知りませんよ」三岳はくすりと笑い、首を振った。「お客さんには手を出さないことにしてるんです」
「そうだ」と古手川は言った。「三岳さんはなんの車に乗っていますか」
「ぼくのすっか?」
「ええ、そうです」
「中古で買ったボロいムーブを乗ってますけど」
「フィットは乗ったことありますか」
「フィット? ないですよ」
三岳は少々困惑していた。なぜそんなことを聞かれるのだろう、と思っている様子だった。フィットという言葉が出ても、焦りはない。
武藤は訊ねた。「事件があった日、なにをしていたか教えてもらってもいいですか」
「えっ、もしかしてアリバイってやつですか」と三岳は笑った。「おれのこと、疑われてるってことっすかね」
「違う違う。形式みたいなもので、聞き込みをした皆さんに聞いてるんですよ。誰もあなたが犯人だと思ってないんですから」武藤は笑みを見せた。なかなかの演技だった。
「事件当時ですか……なにしてたっけなあ」三岳は頬を掻き、焦ったように目を泳がせていた。「確か家にいたと思いますけどねえ」
「それを証言できるかたは?」
「いえ、いないっすね」
「そうですか」と武藤は言った。
家にいたというアリバイは、嘘である可能性がある。証言できるものもいない。それに、これが三岳が初めて見せた動揺だった。マークをつけておかなければならない。
「あの、すみませんがそろそろ店に戻ってもいいですか?」と三岳は言った。「お客さまもまだいますので」
武藤と古手川は顔を見合わせ、頷きあった。一度安心させて、泳がせてみることにした。
「ええ、いいですよ」と武藤は言った。「ご協力ありがとうございます」
三岳は頭を下げ、店へ戻っていった。
古手川たちは駐車場に向かい、三岳のムーブを探した。ところどころに傷はあるが、綺麗にされている白のムーブを見つけた。ナンバーを控え、車内を確認した。これといった不審な点はない。
「武藤さんは、三岳が怪しいと思いますか」と古手川は訊ねた。
「どうなんだろうな。お前の推理は悪くないと思うが、やつの態度は余裕たっぷりだ」
「そうですよね。アリバイを訊ねたときの反応は気になりますが、他は普通の兄ちゃんって感じだったし」
「やつにマークつけておいて、どんな行動を取るかだな。情報も集めてみないと。まったく証拠はないしな」
「そうですね」
「もう昼も過ぎてる。いったん昼食にしようや」
「わかりました」
車に乗り込むと、近くの定食屋に向かった。
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