第37話 車種

 少女の名前は、原西雪(ゆき)。歳は十六で、高校二年だった。

 高校の名前を聞いたところで、いったん家に帰ってもらうことにした。母親の取り乱しが酷く、話せる状況ではなかった。

 古手川たちは先に学校に向かうことになった。数十分国道を走らせ、インターチェンジを降りるとすぐに学校が見えた。門をくくり駐車場に車を停めると、事務室に向かった。ここ最近やっている手順であるため、迷いがなかった。学校に来ることに慣れてしまっていた。それだけ、同じことを繰り返しているということだ。遺体を発見し、遺族に会い、学校に向かい話を聞く。そして決定的なものは得られず、捜査が行き詰まる。

 もどかしい。ここで変化をつけなければならない。捜査に新しい風を入れなければ。


 校長室に通され、少しして校長の小崎(こざき)がやってきた。ソファーから立ち上がろうとすると、そのままで結構ですのでと言われた。その冷たい声と目は、古手川たちを非難していた。犯人を野放しにしている警察への憤りだ。生徒を預かっている立場としても、ごもっともな非難だ。

 小崎はソファーへ座ると、

「犯人はいまだに捕まりそうにないんですか」と言った。

「申し訳ありません」と武藤は頭を下げ謝った。「手がかりが薄い状態でして」

「そうですか……」と小崎は大きなため息を吐いた。「原西雪さんのためでもあります、我々にできることがあれば協力致しますので」

「ありがとうございます。では、担任の先生と雪さんと一番親しかった友人から話を聞きたいのですが、呼んできてもらっても?」

「はい。ですが、担任は今日病欠してましてね。インフルエンザにかかったとかで」

「では、生徒がさんだけでも」

「はい、わかりました」

 小崎は腰が重そうに立ち上がると、校長室を出ていった。あのような態度を取り、抗議しているのかも知れない。苛立ちを隠そうとしていないだけとも考えられるが。


「不満をまったく隠そうとしないな」と武藤は言った。

「悔しいですけど、落ち度はぼくたちにありますからね……」

「ああ、そうだなあ。まあ、どんな状況でも警察は煙たがられる存在だからな」


 武藤はあくびのような声を出し伸びをすると、両目を擦った。睡眠をちゃんと取れと言われたが、武藤自身もあまり休んでいないのだろう。古手川も釣られ、大きく伸びをした。

 少しして校長が戻ってきた。後ろには女子生徒がいた。名は沖田(おきた)という。古手川と武藤も名を名乗り挨拶した。


 ソファーに座ると、沖田は唾をごくりと飲み、深刻な顔をして言った。

「雪が殺されたって、本当なんですか……」

 古手川はこくりと頷いた。「残念だけど」

「そんな……」沖田の目から涙が溢れ、目を瞑ると煌めく涙がこぼれた。頬に伝い、スカートの上に落ちた。じんわりと涙がスカートに広がっていく。

 沖田は強い娘だった。けっして取り乱そうとせず、涙を拭うと毅然とした表情を見せた。だが赤い目は、彼女の悲しみを表していた。


「雪は、とても優しい子でした……」と沖田は言った。「みんなに分け隔てなく接して、クラスのムードメーカーでした。私が悩んでると話を聞いてくれて、笑わせてくれました。なのにこんなことになるなんて……どうして雪が殺されなくちゃ……」

 黙って雪の話に耳を傾けていた小崎は、泣き出しそうにしていた。鼻を啜り、目を瞑ると、閉じた口を震わせた。小崎が不満を持った態度を露骨に取っていたのは、悲しみからだったのか。感情を向き出さないだけ、小崎は大人だった。

 武藤は気まずそうに咳払いすると言った。「原西雪さんは、学校のイベントの会議があるとかで、帰りが遅くなる予定だったって聞いたんだけど、沖田さんもそれに参加していた?」

 沖田は涙を拭うと、

「そうです」と言った。「会議は五時くらいに終わったんですが、私と雪ともう数人は学校に残って話してたんです」

「なるほど、それで?」

「六時半を過ぎて、外も暗くなってきて、見つかったら先生にも怒られるし、さすがに帰ろうかってなりました。私と雪は帰り道が同じだったんで、一緒に帰りました。

 先に私が家について、最近物騒な事件も多いし、一人で大丈夫? って訊きました。私の親に送ってもらう? って。でも雪は遠慮して、もうすぐだから平気だよって笑いました。私も確かにその通りだって思いました。襲われるわけがないって。けれど……」

「じゃあ、君が最後に原西雪さんを見たんだね」と武藤は言った。「家の前で別れ、見たのがそれで最後なんだね?」

 沖田はなにも言わなかった。なにかを考えている素振りを見せている。

 最後に原西雪を見たのではないのか?


「どうした?」と武藤は言った。

「最後に見たのも家の前で見たのもそうなんですけど、実は私、雪が見たことない車に乗り込むのを見たんです」

「ほ、本当か!」武藤は大きな声を出した。


 古手川は胸がドキリとした。

 車に乗り込むのを見た。それは犯人の車ではないのか? もし車種などがわかれば、捜査は大きく進むだろう。一気に犯人に近づく。これで、同じことの繰り返しにはならないかも知れない。古手川は固唾を飲んだ。


「雪とバイバイをして家の中に入りました。ちょっとして、学校のイベントのことで話し忘れてたことを思い出したんです。ラインで送っても良かったんですけど、長い内容だし、まだそんなにも離れてないだろうから、口頭で言うことにしたんです。

 外に出て、少し先に雪がいました。でもシルバーの車に乗り込もうとしていて、声をかけられなかったんです」

 古手川と武藤は顔を見合わせた。犯人である可能性が非常に高い。期待できる。

「雪さんの様子はどうだった? 嫌そうにしていたとか、親しげにしていたとか」と古手川は焦る気持ちを抑えながら言った。

「雪は笑ってその運転手と話してました。なので、私は近くに通りかかった知り合いか親にでも会い、車に乗せてもらったんだと思いました。事件のことなんて、なにも頭に出てきませんでした」

「笑っていたのなら、当然だよ。運転手以外に車に乗ってた人はいた?」

「たぶんですけど、いなかったと思います。運転手のシルエットしか見えなかったんで」

「運転手の顔は見た?」古手川は唾を飲み込み期待を込め言った。人相がわかれば大きく前進できる。

 しかし、沖田は首を振った。「顔は見えませんでした。細身だったとは思いますけど……」

「そうか……」

「すいません……」肩を落とした古手川を見て、沖田は表情を暗くし頭を下げた。

「あ、いや、ごめんね。君が謝ることじゃないから」


 武藤は言った。「車種はわかるかな?」

「車種ですか……確かに堀内先生が乗ってるのと同じだったような……」

「堀内先生?」と小崎は言った。武藤を見ると、「堀内先生はフィットに乗っていました」

 古手川はスマートフォンを取り出し、フィットの画像を検索した。

「フィットですか」と武藤は言った。「ちなみにその堀内先生が乗っているフィットの色は?」

「黄色です。シルバーではありません」

「わかりました」


 古手川はシルバーのフィットの画像を表示し、沖田に見せた。「これかな?」

「車は後ろを向いていたんで、後ろの画像はありますか?」

 古手川は画面をフリックし、後ろからの画像を表示した。

 沖田じっくりと見たあと、頷き、

「そうです、この車だと思います。全体的にこの丸みのある感じ、同じでした」

 古手川と武藤は顔を見合わせ、頷いた。犯人が乗っている車は、シルバーのフィット。教師が同じ車を乗り近くに見本もある。似たフォルムの車とも考えられるが、フィットの可能性は高いだろう。


「ナンバーはわかる?」と武藤は訊ねた。

「『い』の頭の数字が『2』だったことは覚えてます。それ以外は……」

「上等だ。むしろよく覚えていてくれた。これで捜査が大きく進む」

「良かった……」と沖田は胸を撫で下ろし言った。


 沖田に感謝しなければならない。車種が特定できたのは、大きな収穫だ。待ち望んでいた変化が生まれた。シルバーのフィット、『い』の『2』ナンバーを探ろう。犯人へ迫る大きな手がかりだ。


「少しでも、犯人かも知れないって思うような人っている? 些細なことでいいんだ、争っているのを見たとか」と武藤は言った。

「ええ……誰だろ……」沖田は悩ましげに目を瞑り、首を傾げた。「ちょっとしたことでもいいんですよね?」

「そうだよ」

 沖田は言い辛そうにしていたが、

「雪に彼氏がいるんですけど、以前、大喧嘩をしていました。別れる別れないの言い争いになったらしいんです。そのあと仲直りしましたし、雪を殺すとも思えないんですけど……一応……」

「ありがとう。そういう情報が役に立つんだ。その彼氏の名前や年齢はわかる?」

「苗字しかわからないですけど、木村(きむら)さんっていう人です。歳は二十代前半でした」

「他にはいないかな」

「私が思いつくのは、木村さんだけです」

「わかった、ありがとう」と武藤は言った。「最後に訊ねたいんだけど、原西雪さんには、田宮舞花と織本莉奈っていう名前の知り合いはいた?」

「いえ、いないです。聞いたことがありません」

「まったく?」

「はい、そうです」と沖田はきっぱりと言った。


 やはり知り合いではないのか。共通点はない。では犯人はいったい何者なんだろうか? 不信感を抱かせないような、そんな魅力のある人物だというのだろうか?

 ──いや、そんな人物などいない。なにか理由があるのだ。まだ見つかっていないだけで、被害者に共通点があるはずなのだ。なんとしても、それを見つけ出さなければならない。警察の威信なんてどうでもいい、被害者やその家族のために。


 古手川は拳を固く握った。

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