第35話 後始末
救急車がやってきた。あおいは担架に乗せられ、外の世界へ出た。救急隊員曰く、衰弱はしているが、意識もはっきりし喋れているため、心配はないらしい。
救急車に乗せられる前に、内海は声をかけた。「これで安心だ、あおい。香織さんや直哉さんにもすでに連絡はいってるから、すぐに会えるぞ。良かったな」
「うん、ありがとう凛姉ちゃん。でもごめんね。おじさんが亡くなってまだ辛いのに、心配させるようなことを起こして」
「言っただろう。あおいが謝ることじゃない」と内海は首を振った。「それに寂しいだろ。そんなことをことを言わないで」
「凛姉ちゃんはやっぱり優しい……いつでも私の味方……」
救急隊員が、もう出ますと言った。お願いします、内海は頷き言った。
「連れ添わなくてもいいんですか? 身内の方ですよね?」
救急隊員がそう言うと、すぐにあおいが、
「凛姉ちゃんは捜査があるので、大丈夫です」と言った。
「一人で平気か、あおい」と内海は訊いた。
「うん。……ううん、うそ。本当は寂しいけど、凛姉ちゃんは刑事なんだもの。お仕事頑張って」
「わかった。そうさせてもらうよ」内海は救急隊員を見ると、「お願いします」
「わかりました」
あおいは救急車の中に入り、バックドアが閉じられると、救急車はけたたましくサイレンを鳴らし走り出した。
内海は周囲を見渡した。騒ぎを聞きつけ、野次馬が集まっていた。土地が変わっても、野次馬たちはいつも同じ顔を浮かべている。このぶんだと、すぐにマスコミがやって来るだろう。だが事件が終わった今、あおいの名前を出す必要はない。
マスコミより先に鑑識官たちがやってきて、ログハウスの中に入っていった。
内海は吐息をつき、天を仰いだ。青い空だった。風が強いのか、雲は都会人のように忙しなく進んでいる。雲も急ぐご時世なのだろうか。雲も、一息つく暇がないらしい。
あおいが救い出され、緊張の糸がほつれた。雲のことを考える余裕も出てきた。疲れが一気に押し寄せてきた。一眠りしたかった。だがまだ仕事は残っている。あおいが送り出してくれたのだ。怠けるわけにはいかない。
内海は気分を切り替えると、刑事に近づいていった。道の前で内海たちを待っていた刑事だ。内海は、この野次馬の中に、多田野の車とすれ違ったおじいさんはいるかと訊いた。刑事は頷き、指をさした。その先には、畑仕事の格好をした七十代くらいのおじいさんがいた。
内海が近づいていくと、おじいさんは自分に指をさした。「聞き込みってやつかい」
「お願いできますか」と内海は目の前に立つと言った。
「ああ、いいよお」とおじいさんは訛りのある喋り方で言った。
「では、人のいないとこへ」
内海はおじいさんを連れ、野次馬から離れた。野次馬たちは、不思議そうにこちらを見ていた。
「おじいさんが車を見たんですね」と内海は言った。
「そだな、黒の車だったよ。珍しかったんでな、覚えてた」
「車内の様子は確認できましたか」
「ああ、できたぞぉ。男のほうは暗い顔してな、女の子のほうもそうじゃった。制服を着とったし、なんだぁって思ったんだ」
暗い顔を浮かべていた。あおいは連れ去られたのだから当然として、多田野もとなると、やはり精神的なものを抱えていたのだろう。
「でも、誘拐だとはなぁ」とおじいさんは言った。「女の子のほうは助かったってなぁ、良かったよぉ。男のほうはこう、陰気な顔しとったからねえ」
「この辺は誰も通らないんですか」
「へ? ああ、そだな。この辺りはあの別荘しかないし、通るこことはないなぁ。近くに川があってな、子供らがたまに釣りをしてるが、通るのはまれだろうね」
「では大きな音があっても、たとえば悲鳴が上げたとしても、聞こえないんですね」
おじいさんは頷いた。「だな」
人の持ち家ではあるが、犯罪を成すにはある種最適な場所なのだろう。だからこの場所を選んだのか。
「別の日にも、その男を見たことはありますか?」
「いやぁ、ねえだろうな。たまたま見なかっただけかも知れねえが」
「そうですか……」
「そろそろいいかねえ? 畑仕事に戻らねえと」
「ああ、はい。ありがとうござました」
「警察には連絡を教えてあるからよ、またなにかあったら電話してくれえ」
内海が礼を言うと、おじいさんは畑に向かって歩き出した。まだまだ元気はあるらしく、足取りもしっかりとしていた。負けていられない。内海は体の向きを変えると、ログハウスに向かった。
リビングに入ると、武藤がこちらにやってきた。
「ついていってやらなくていいのか?」
「ちゃんと仕事をしなさいって、怒られましたよ」
「ははっ、そうかい。なら仕方ないな」と武藤は白い歯を見せ言った。「……お前も冗談言えるようになって良かったよ。ずっと追い詰められたような顔をしていたからな」
「心配をおかけしました」
武藤は微笑み頷くと、すぐさま刑事の顔を切り替え、
「多田野が脅しで使ったと思われる包丁を、遺体の近くで見つけたよ。比較的真新しい。多田野の指紋もついていた」
「死因はなんです」
「鑑識曰く、毒だ。青酸カリを飲んだらしい。コーラが転がっていただろ? あれに入れ一気に流し込もうとしたんだろ。今の世だ、ネットをさ迷えば手に入るだろう、匿名でな。SNSで大麻の売買が行なわれているくらいだからな。“野菜”を押していますなんて言って」
「そうですね」と内海は頷いた。「多田野は、初めから自殺するつもりだったんでしょうか」
「精神は不安定だったのかもな。罪悪感もあったのかも知れない。いつ捕まるかわからないという不安もあったんだろう。大抵の人には縁のない大きなストレスがあったと思う。そういう者は、なにをしでかすかわからん。
正直言って、あいつがどうなろうと知ったこっちゃあないがな。自業自得も甚だしい」
「ええ」と内海は言った。
武藤の言ったことに同意する部分もあったが、内海としてはちゃんと司法の処罰を受けてもらいたかった。それが、犯人に対し警察官が願うことだと考えている。あおいにしたことを許すわけでもないし、多田野が生きていれば感情を爆発させていたかも知れないが、消えない罪をちゃんと背負ってもらいたかった。
どちらにしても、これで事件は終わったのだ。あおいの生活にも平穏がやってきた。良かったと、心の底から思った。
武藤は、マスコミがやってきてその対処に向かった。内海はよしと心の中で声を出すと、遺体に近づいていった。
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