第32話 アクセル

 武藤はすでに出勤していた。内海が一課にやってくると、椅子から立ち上がり武藤が近づいてきた。小走りで、少し慌てている。内海は眉をひそめた。どうしたのだろう。


「さっそくだが外に出るぞ?」

「どうしてです?」

「朗報だ、多田野の車が高速のカメラに映ってたんだ」

「本当ですか!」内海は驚きの声を上げた。思いもよらない言葉だった。

「ああ、I県のI市で高速を降りたらしい。この近くにいるかも知れんな」

「I市……」

 内海は思い出したことがあった。中原家の別荘がI市にあったはずなのだ。あおいの父方の祖父が建てたハグハウスらしく、山の中にある。

 そこにあおいが? 可能性はあるだろう。あおいから別荘のことを聞いており、向かったのかも知れない。

 武藤にそのことを伝えると、武藤は頷き、一度行ってみようかと言った。


「地元の警察にも連絡して向かってもらうように言っておく」

「はい」

「これで決着がつくかもしれん。気を引き締めていこう」

「はい」内海は力を込め言った。

 これで決着がつく。そう考えると、いても立ってもいられなかった。


 高速を走らせていた。車線を変え、次々と車を追い越す。遠くに見えていた建物が、ぐんぐんと近づいてくる。それでも遅く感じていた。もっとスピードが出ないものかと、セダンを怨んだ。

 安全運転という言葉は完全に、内海の頭の中から消えていた。焦る気持ちを落ち着かせることなんてできなかった。一秒でも速く、一秒でも速く。それしか頭にない。

 内海は集中し、そしてなにより余裕がなく、口を開くことはなかった。武藤も喋ることなく、道路の先を見つめている。武藤も、内海と同じ気持ちなのだろう。


 武藤のスマートフォンに着信があった。応答し、すぐに武藤は驚きの声を上げた。そのあとも興奮した様子で話していた。内海は、多田野がログハウスにいるんだな、と言った武藤の言葉を聞き逃さなかった。内海はごくりと固唾を飲んだ。


 武藤は通話を切ると、

「お前の言う通りだった。多田野は別荘に向かったみたいだ」

「まだ確保はしてないんですね」

「ああ。さっきの電話は、地元の警察からだった。いま別荘の近くにいるみたいで、近所に住むおじいさんから、それらしき二人を見たという話を聞けたみたいだ。昨日の朝方、おじいさんは山の中に入っていく黒い車とすれ違った。近所のものの車でもないし、なにより車に乗っている二人が奇妙だった。学生服を着た娘と、暗い表情の男。いったい何しに来たんだろうと不思議に思った。その先は、誰かの別荘しかない。ならその別荘の人なのか。色々、疑問がありそのおじいさんは覚えていた」

「やはり多田野が……」内海はハンドルを強く握った。力が入り腕が固くなっている。ハンドルを切るのが厄介だった。

「これで野郎も終わりだ」

「それで今、地元の警察は多田野を確保しようとしているんですか?」

「いや、人数も少ないし、俺たちを待つそうだ。俺たちももうすぐで着くし、そうしてくれと言っておいたよ」

「わかりました。急ぎます」

「これ以上スピードを出そうって?」と武藤はくすりと笑い言った。「事故を起こしたら捜査どころじゃないぞ」

「大丈夫です。事故を起こしても現場に行きますから」


 武藤はまた笑った。多田野の行方が知れて安心し、余裕が出てきたみたいだ。

 内海はまだ笑えるだけの余裕はなかった。事故を起こしても現場に行くと言った言葉も、けっして冗談ではなかった。焦る気持ちは、幼い頃の記憶のようにこびりついて離れない。多田野の逮捕よりも、今はあおいの安否が知りたかった。


 内海はごくりと唾を飲み込んだ。嫌な予感が胸を揺さぶっている。

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