第28話 雑音
すべてを読み終えると、内海は目を閉じ下を向いた。父の葬式のとき、あおいの様子がおかしいことに気づいた。あのときに声をかけていれば、こんなことにはなかったかも知らない。内海の中には後悔、それと怒りがあった。多田野清武に対してだ。あおいをここまで追い込み苦しめた。あまつさえ誘拐? 許されない。腹の底から、どす黒い怒りが沸いてきた。
負の感情は、捜査に悪影響を及ぼす。内海は気を落ち着かせるため息を吐き、顔を上げた。
一緒に読んでいた武藤は舌を打ち、ため息をついた。「くそったれ……」そう、吐き捨てるように言った。
他にもあおいが書いた文章がないか探したが、小説以外見つからなかった。
「パソコンも回収し、調べてもらおうか」と武藤は言った。
「そうですね」内海は椅子から立ち上がった。
「次は学校に行くぞ」
「はい」
武藤が先に部屋を出て、内海もあとに続いた。一歩外に出ると、部屋を振り返った。本棚や机ベットの配置、匂いや日差しの入りかた。すべてを目に焼き付けておきたかった。少し感傷に浸りたかった。そして必ず、もう一度あおいをこの部屋へ返すのだ。
内海はよしと小さく声に出すと、部屋を出ていった。
あおいが通っている希望桜高校の校長である香川は、恰幅の良い体をしていた。身長も百八十ほどあり威圧感があるが、物腰の柔らかな人物だった。
校長室に入ると香川はすぐさま頭を下げた。「すみません、うちの教員が」
武藤は首を振り、頭をお上げくださいと言った。内海は黙り込んでいた。
自己紹介を交わすとソファーに座った。
「さっそくですが香川さん、多田野はどのような教師でしたか」と武藤は訊ねた。
香川は面接を受けにきた就活生のような顔を浮かべた。「至って真面目な教師でした。生徒とあまりコミュニケーションを取りませんでしたが、これといった問題を起こすことなく、授業もスムーズに進めていました」
「可もなく不可もなく、といったところですかね」
「そうなりますかね、はい」と香川は頷いた。「一度、中原あおいさんと話しているのを見たことがありました。多田野先生が生徒と話しているところを見たのは初めてで、印象に残っていました。しかし、まさかこんなことになるとは……。差し出がましいようですが、捜査の状況というのはどうなっていますか?」
武藤は渋い顔を作った。「始めたばかりなのでまだなんとも」
「そ、そうですか……。中原さんが無事だといいんですがあ」
「話してるのを初めて見たとおっしゃいましたが、では他に親しい生徒はいないんですね?」
「わたしの知る限りはですが、そうですね」
それが本当ならば、他に被害に合っている生徒はいないということだ。だが所詮は校長。細かなところまではわからない。現場に出ている教師でなければ。
「では、多田野のアパートへ行ったという教員を連れてきてもらってもいいですか」
「ええ、わかりました」香川は立ち上がると扉を開け出ていった。
その教員の名前は新田(にった)といった。男性の教員で、比較的ではあるが、多田野と仲が良かったらしい。
香川が新田を連れてやってきた。新田は頭を下げるとソファーに座り、香川も横へ同席した。
「新田さん、お忙しいところ申し訳ない。わたしは武藤といいます、こっちの若いのが内海ともうします」
「よろしくお願いします」
「新田さんは多田野と仲が良かったと聞いてるんですが、間違いありませんか」
「仲が良いといっても、他の先生方と比べてってだけですよ。プライベートでも会ったことがありませんし、少しお喋りしたことがあるくらいで。多田野先生はあまり、コミュニケーションに積極的なほうではありませんでしたから」
多田野と“友達”とは思われたくないようで、必死に反論していた。気持ちはわかる。
「多田野はどのような教師でしたか」と武藤は訊ねた。
「どのようなか……。勤務態度は真面目でした。遅刻もなかったし、体調不良で休むこともあまりありませんでした。授業もわかりやすいと評判でしたよ。でも少々根暗なところがありまして、必要以上に生徒とは関わることはなかったですね。大人しい性格ですし、生徒からちょっと舐められているようでした」
おおむね香川と同じようなことを言っている。良くも悪くもない、普通の教師。大罪を犯さなければ、凡庸な日々をこれからも送っていけただろうに。
「こういってはなんですが」と新田は言った。「事件を起こしたことに驚きはありますが、多田野先生のその、趣味と言いましょうか、それにはあまり意外はありませんでした。暗い性格でしたし、なにを考えてるかよくわからないときもありましたから……」
「“もしや“と思うようなことがあったんですか?」と内海は言った。
「いえ、それはありません。意外性がないというだけです」と新田は首を振り答えた。「……けれど、写真が趣味が聞いていましたが、まさかそんな目的のために使っているとは……。思い出しただけで吐き気がします」
香川も頷いた。「とても残念なことです。馬鹿なことをしてないで自首すればいいのに……」
二人ともどこか他人事のような言い方だった。好奇心があるようにも感じた。果たしてどのような結末を迎えるのだろう、と映画を見ているかのような。あおいが拐われ余裕がないから、そう感じるのだろうか。無関係の娘なら、内海もニュースを眺めているかのように、当たり障りのないコメントを残すのかも知れない。
「他にも被害に合っている生徒がいるかも知れません」と武藤は言った。「多田野が誰かと話しているのを見たことはありますか」
新田は数秒間考える素振りを見せたあと、
「教師ですので生徒と話しているところは見たことはありますが、生徒のほうの様子は普通でした。他の生徒もおりましたし、二人きりで話しているのを見たことはありませんね。おかしなところはなにも……」
「よくわかりました。それでは、多田野がどこに向かったか、思い当たる場所はありませんか?」
「いえ、ないですね……。彼の実家はこの近くらしいですし、あまり話すこともなかったので。申し訳ない」
新田は頭を下げたが、ただの同僚が思い当たるはずもなかった。コミュニケーションを取ろうとしなかった多田野が、そんなボロを出すとも思えなかった。
質問を終え、礼を言うと部屋を出た。職員室を横切っていく。その数秒間のあいだに、ひそひそと多田野のことを話す教師の声が聞こえてきた。
陰気なやつだったからねえ、おれ怪しいと思ってたんだよ。
近くに変質者がいたと思うと気持ち悪いですね……。
そういえば、グランドで陸上部が走ってるところを、窓から眺めてる多田野先生を見たことがあるよ。あれ、そういうことだったんだなあ……。
うそ、本当ですか? うわ、鳥肌立ってきた……。
はやく捕まればいいんだけどね。
学園の面汚しにもほどがあるよ、まったく。
内海の頭の中には、その者たちの顔にモザイクが入り、声のピッチが変わりマイクに話している映像が流れていた。
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