第26話 嫌な訪問

 あおいは委員会の仕事があるからと、朝の六時頃に家を出た。香織は、まあ大変ねと思うだけで深くは考えなかった。家を出たときも、あおいの様子におかしいところもなかった。

 だが学校に現れることはなかった。教師も、珍しい、遅刻だろうか? と思うだけで疑いはしなかった。お昼になっても学校にやって来ず、とうとう疑問に抱き、家に連絡を取ってみた。すると朝はやく家を出たと言う。

 さぼり? けれどあおいは真面目は生徒だ。今まで素行不良はなかった。あおいが無断欠席、しかも親にも内緒でどこかへ出かけるというのも、腑に落ちなかった。

 事件に巻き込まれた。

 自然とそんな考えが頭に過ぎった。いや、まさかという気持ちもある。一抹の不安が、学校側にもあおいの両親にも覆っていた。


 同じように数学教師の多田野(ただの)清武(きよたけ)も、学校に姿を見せていなかった。暗い性格で、人付き合いはあまり得意な方ではなかったが、無断欠勤をするような人物でもなかった。お昼になっても連絡も取れず、同僚が多田野の住まいに向かうことになった。

 多田野はアパートに住んでおり、部屋のチャイムを押しても、やはり反応はなかった。ドアノブを捻ってみると、動いた。鍵がかかっていないのだ。扉を開け、声をかけてみるが返事はない。寝ているのか? いや、まさか……。では、部屋の中で倒れている──?

 そういった不安もあり、一応声をかけると、部屋に上がることにした。窓から差し込む明かりだけで、中は薄暗かった。部屋を歩いていると、そこで見つけた。女子児童のポルノ写真が机の上に置いてあった。十代前半から半ばにかけての女の子が裸で写っている。海外の、主に東アジアの女の子も見受けられた。多田野の趣味は海外旅行と、写真だと聞いていた。では、これは多田野が撮った?


 背中にゾクゾクと悪寒が走った。すべて多田野が撮ったわけではないだろう。インターネットで購入したものもあるはずだ。だからといって悪寒は去らない。パソコンのそばにあるケースに入ったDVDの束も、児童を撮影したものなのだろうか?

 こんな気色悪い部屋からはやく立ち去りたい! 足を動かそうとしていると、目に映った。床に写真が一枚落ちていた。服を脱がされ涙を落としている少女が映っていた。その少女はあおいだった。

 すぐさま、あおいは多田野に連れ去られたのではという考えが過ぎった。少女を誘拐するという事件は、ニュースでもよく聞く。最近もそんな事件があった。二人が同時に姿を消したのだ。可能性としては高いはずだ。あおいは日頃から多田野に脅され、乱暴されていたと写真からも考えられる。抵抗もできず、多田野に従う他なかったはずだ。

 部屋を出ると、警察に通報しようかと思ったが、教師という学校組織の立場から、まずは学校に連絡を入れた。


 その少し前に、多田野が住む近所のおばあちゃんから、学校にこんなクレームの電話があった。

 朝はやくに、おたくの教師と生徒が二人で歩いているのを見た。しかもその教師のアパート近くである。そのあと車に乗り込み、どこかへ走り出した。いかがなものか。男と女、それも教師と生徒が。

 これは、多田野とあおいではないだろうか? やはりあおいは連れ去られたのではないだろうか?


 そして、警察に通報したのだ。


 内海と武藤は中原家へ訪れていた。

 あおいの父である直哉も仕事から戻ってきており、泣いている香織を抱き寄せていた。直哉も懸命に妻を支えようとしていたが、憔悴の色があった。

 こんなに二人を見たくはなかった。香織は元気のある人だった。父が亡くなってから何度か連絡をくれたが、いつも元気に励まそうとしてくれていた。恩があるのに、どうすることもできなかった。


 ソファーへ通され、武藤は内海の横に座り、直哉と香織は机を挟んだ前へ座った。他の捜査員は近所で聞き込みをしたり、あおいの部屋を捜索していた。あとで内海たちもあおいの部屋に向かう予定だ。


「凛ちゃん、あおいは大丈夫かな……」と香織は涙声で言った。

 内海はしっかりと香織の目を見据え、頷いた。「もちろん。犯人は殺しが目的ではないはずだから」

 殺しという言葉は慎むべきだった。香織は怯えたような表情を見せた。


「やはり」と武藤は言った。「犯人から電話などはありませんよね」

「ええ、ありません」と直哉が答えた。

「営利目的ではないから、当然か……。よし、娘さんは朝はやくに出かけられたらしいですが、どこも様子はおかしくなかったですか? 多田野と娘さんが、多田野の自宅近くを歩いているところを見た、と証言しているおばあさんがいるんです。どうやら登校途中に襲われたわけではなさそうなんです。前もって多田野に、自宅へやってくるようにと命令されていた可能性があります」

「先生方がおっしゃってました」と香織が鼻をすすると言った。「朝はやくから来なければならない委員の仕事なんてなかったって。刑事さんの言う通り、来るように命令されていたんだと思います。ですが、あの子の様子におかしなところはなかったように思います……」

「そうですか」

「どうして気づかなかったんでしょう……。私たちを心配させないために隠していたとしても、親なら気づくべきでした」

「奥さん、お気持ちはわかります。ですがご自分を責めても、どうしようもありませから」

「……そうですね」香織はそう言ったものの、承知はしていなかった。おそらく、あおいが助け出されたとしても、これからずっと後悔していくのだろう。


「香織さん」と内海は言った。「普段の様子はどうだった?」

「隠していたんでしょうね、変わりはなかったわ。時々、暗い表情を見せることはあったけど、年頃の娘だし色々あるんだろうと思って……。一度、悩みでもあるのって訊いたけど、あの子、笑って首を振ったわ」

 たとえ親だとしても、ポルノ被害を受けていると相談はし辛いか。性犯罪はそういう性質を持っている。言い出せず悩んでいる女性ないし男性も多い。


「そういえばあの子、よく通販でものを買っていたわ」と香織は言った。「ストレス発散のために買っていたのかも」

「むしゃくしゃすると、そういった行動もするでしょうね」と内海は同意した。「委員の仕事ではやく家を出たらしいけど、そういったことって前にもあった?」

「何度か。だから、疑いもしなかった」

「多田野っていう教師がいることは知らなかった?」

「知らなかった。名前も聞いたことがないし、顔も知らないの」

 直哉も頷き言った。「俺もだ」

「そう、わかった。あおいの部屋を見せてもらってもいい」

「うん」


 内海と武藤はリビングを出ると、階段を上りあおいの部屋へ向かった。案内は必要なかった。内海が場所を知っていたからだ。何度かあおいの部屋に入ったことがある。


 扉を開け部屋に入る。以前、お邪魔したときと様子に変わりはなかった。捜査員がいなければ、いつものあおいの部屋だ。

 白と黒のブロック柄のカーペットがひかれ、小さな丸テーブルが置かれている。壁際には勉強机と本棚が並んでいる。勉強机の上にはノートパソコンが置かれていた。まだ誰も手をつけていないらしい。本棚には古今東西のミステリー小説と、小説の書き方などの指南本が幾つかあった。


 武藤は捜査員に近づき、なにか見つかったかと訊ねていた。捜査員は残念そうに首を振った。そうか、なにか見つかったら教えてくれ、武藤はそう捜査員に告げた。

 これも捜索のためだが、知らないものにあおいの部屋を探られるというのは、どうも居心地が悪かった。なるほど、と内海は思った。これが被害者家族の気持ちなのだ。


 内海は思い出したことがあった。以前、あおいは、嫌なことや不安なことがあると文字に起こしてみると言っていた。状況を整理し、気持ちも落ち着かせるためだという。パソコンに多田野のことを書いてあるかも知れない。

 内海はパソコンを開いた。電源をつけ画面が明るくなったところで、パスワードの問題に気づいた。パスワードがわからなければ、中身を見ることはできない。どのようなパスワードなのだろうかと考えていると、画面の端に付箋が貼ってあることに気づいた。ピンク色でまだ真新しく、英数字が書かれている。パスワードはこれだろうか。


 椅子に座り入力しようとしていると、武藤がこちらにやってきて画面を覗き込んだ。

「パソコンを見るのか」

「そうです。パスワードも貼ってあったので」

「そうか」


 付箋に書いてある文字を打ち込んでいくと、パスワードを解除できた。やはりこれがパスワードだった。

 ファイルを探してみると、あおいが書いている小説らしきファイルが幾つかあった。その中に、数日ほど前に更新された無題のファイルがあった。探しているのはこれかも知れない。クリックしてみると、メモ帳が開いた。文字がずらりと並んでいる。当たりだ。思った通り、あおいの想いが綴られていた。


 辛いや苦しい、なんでこんなことに……と初めのほうは箇条書きで綴られていたが、マウスホイールを動かしていくと、長い文章を見つけた。小説調に綴られていた。

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