第16話 不良と少女
それから数日が経った。放課後になり、内海は喫煙室でタバコを吸っていた。他の教師はおらず、内海一人だった。今日は小テストの採点もないため、比較的はやく帰れそうだった。授業で使うプリントを用意するだけだった。その前に一服し、気分を入れ替えようと思った。
壁には、県が発行している人権ポスターが貼られていた。絵は小学生が描いたらしく、頭でっかちな女の子と男の子たちが手を繋いでいる。その頭上には、みんな違ってみんないいという言葉が書かれていた。基本的には同意だが、個性を抑さえつける学校には不向きなポスターだった。
扉が開き、誰かが入ってきた。首を捻ってみると、あおいが立っていた。息を切らし肩が大きく揺れている。焦っている様子だ。
「どうしたんだ」と内海は訝しげに訊いた。
あおいは大きく吸い込むと、
「先生、莉奈(りな)が、友達が不良に絡まれてるの!」と言った。
あおいの表情を見ていたらわかる。からかいではない。
内海は眉間にしわを集めた。「どこだ」
「学校のすぐ近くのところ!」
「わかった」内海は最後に煙を大きく吸い込むと、タバコを消した。吐き出すと急いで立ち上がり、「行こう」
「他の先生は呼ばなくてもいいの」
「そんな時間はない、さあ」
廊下に出て、階段を下りると、外に出た。靴を履きかけるのも面倒だった。
校門を左に折れ、百メートルほど進んだあと、もう一度左に折れ、小さな通りに出る。数メートル先に、髪を金色に染めた男が莉奈と呼ばれる生徒に詰め寄っていた。莉奈は壁に背をつけ、金髪は顔を迫らせている。帰宅途中の他の生徒が数名、心配そうに見ていた。
年齢はあおいたちと同じ十代くらいで、首にはドクロのタトゥーが彫られているが、まだ幼さが残る顔をしている。近くに一台バイクがあるだけで、仲間の姿は見当たらない。
あおいに離れておけと言うと、内海は近づいていった。すると声が聞こえてきた。
「莉奈、遊びに行こうぜ。俺じゃあ駄目なのか?」
「やめて、一度遊んだだけじゃない」
「いいじゃねえかよ。そんなこと言わずによお」金髪は、莉奈の手首を掴むと引っ張った。
莉奈は声をもらし、痛そうに顔をしかめた。
「おい」と内海は険のある声で言った。「そこまでだ、その子の手を離しなさい」
「ああ!」金髪は首を捻りこちらを睨みつけた。童顔だからか、あまり凄みは感じなかった。声も高いため余計そう思うのだろう。
莉奈はびっくりしたようにこちらに顔を向けた。一本に結んだ長い髪はふわりと舞い、哀願の瞳で内海を見た。左目の下にはホクロが二つあり、それが余計に悲しく見せている。
「お前は誰だよ、こら」と金髪は体を向け言った。
「教師だ。うちの生徒になんの用なんだ」
「ちっ、先公かよ。うぜぇなあ、関係ねえだろうがてめぇにはよォ!」
「関係ないわけないだろう、馬鹿野郎」と内海は低い声で言った。「うちの生徒になにをしてくれてるんだ、はやく手を離せ」
「熱血教師演じてんじゃねえよ、生徒の前だからってよ。女だからって容赦しねえぞオラァ!」
「彼女が痛がってるのがわからないのか? 惚れてるんだったら、それくらいの当たり前の気遣いもできないのか」
「うるせえ馬鹿野郎!」
「女絡みのところにちゃちゃを入れられ、恥ずかしくてそんなに怒ってるんだろ」
「う、うるせえよ、ふざけやがって!」金髪は顔を赤くさせた。それは恥ずかしさからなのか、怒りからなのかはわからない。
「いいから離せ。離さないのなら、こっちも手段を考える」
「なんだ、俺とやんのかよ」
「お前が折れないのならな」
「舐めやがって! 手ぇ出したら教師クビになるんじゃねえのかぁ」
「それも仕方ないね。このまま見過ごすわけにはいかない」
「上等だよ!」金髪は莉奈の手を離すと、一歩こちらに踏み出し、右手大きくを振り降ろしてきた。
内海は右手を払いそのまま金髪の手首を掴むと、体を入れ替えるようにして後ろへ回り込み、腕を捻り上げた。金髪は叫び声を上げ逃げ出そうとしたが、肩を掴み力を加えると抵抗をやめた。
声を上げ続けてる金髪の耳元に口を近づけ言った。「どうする、このまま大人しく帰ったほうがいいんじゃないか」
「ふざけやがって……」先ほどとは違い金髪は威勢を失っていた。
「私としては折ってしまっても構わないぞ」
「なっ! ──くそ、わかったよ、離せよ!」
内海は背中を押すようにして離すと、金髪は前へ二、三歩よろめいた。莉奈は素早く内海の後ろへ回り込み逃れた。
金髪は右手を擦りながら内海を睨みつけると、次に莉奈を見た。悲しそうな瞳をし、子供が泣き出す前のように口をぐっと閉じていた。
「覚えておけよ、先公も莉奈も」金髪は駆け出すと、バイクに跨り走り出した。もちろんヘルメットはない。猛スピードを出し、次第に見えなくなっていった。
「先生、強いね」と莉奈は上目遣いで内海を見ながら言った。憧れるヒーローを見るかのような視線だった。
そばにやってきたあおいも、まわりにいた生徒も、内海を羨望の眼差しで見ていた。通りがかった通行人は、不思議そうな顔をして見ている。事情はどうあれ、十代の少年の腕を捻り上げたのだ。学校にクレームが入ってもおかしくないだろう。
「もう大丈夫だから、みんな帰りなさい」と内海は集まっている生徒に声をかけた。
生徒らは顔を見渡し、まばらに歩き出した。内海のその言葉で足を止めてた通行人も歩き出した。
莉奈は頭を深々と下げた。「先生、ありがとうございました」
「腕は痛む?」
「いえ、平気です」
「そうか。感謝は、あおいに言ってくれ。あおいが呼びに来てくれたんだ」
莉奈はあおいの方を向いた。「ありがとう、あおい」
「ううん」あおいは笑みを見せ両手を振った。「無事で良かったよ」
「あの少年とはどんな関係なんだ」と内海は訊いた。教師という立場中、関係を知らなくてはいけない。
「別に怪しい付き合いとかないんですよ。合コンがあって、そこで一度みんなと一緒にカラオケで遊んだだけです。二人きりにもなってません。後日、遊びに行かないかって誘われたけど、久保(くぼ)くん……ああ、さっきの男の子は久保くんっていうんですけど、久保くんは不良だし良くない付き合いもあるから断ったんです。俺はこの辺では有名だって言ってたし、怖くて。喋ることも悪さした自慢ばかりですし……。それでもしつこくて、ずっと断ってたんですけど、ああして学校帰りのところを待ち伏せされたんです」
「そうか」
この世には、悪行を善行を成したように語るものがいる。生まれつきか環境の問題かはわからないが、根っこの部分が間違っているのだ。久保という少年も残念ながらそうなのだろう。
「とにかく、無事で良かった。またなにかあったら言うんだよ」と内海は言った。「拗れるようだと、先生があいだに入るから」
「ありがとうございます」
「家まで送っていく? 一人で帰れるか?」
「いえ、平気です。家も近いですし」
「そうか、わかった」
あおいは莉奈の肩に両手を置き、顔を覗き込むと、
「莉奈、一緒に帰ろうか」と笑顔で言った
「頼んだ、あおい。気をつけてな」
「うん、まかせておいて」
莉奈はもう一度ありがとうございますと言い、頭を下げるとあおい共に歩き出した。
内海は吐息をつくと、くるりと後ろを向き、学校へ歩き出した。この騒動を学校に報告した方がいいのかと考えたが、面倒であるし腕を捻ったことを咎められそうだし、「ふしだら」と莉奈が教師から怒られるかも知れない。報告はなくていいだろう。どうせ学校にクレームが入る。入らなくとも、目撃した生徒から広まるだろう。
スリッパのまま飛び出したので、雑巾を絞り靴底を拭いたあと、職員室へ戻った。誰も騒動のことを感知しておらず、黙々と作業していた。椅子に座ると、内海先生、おつかれですか? 長い一服でしたが、と隣の教師に皮肉を言われた。すみません、内海は頭を下げ言った。
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