第13話 元刑事からの注意

 すべての授業が終わり、ホームルームが始まった。内海は後ろの壁際に立ち、担任教師の山原の話を聞いていた。明日の主な予定を告げたあと、今日の午後ニュースで出た、女子高生の殺人事件の話を始めた。


「午後ニュースで知ったんだけど、市内で女子高生が遺体となって発見されたんですって。どうやら誰かに殺されたらしく、下半身の部分が切断されていたそうよ」

 生徒たちは、ええーと声を上げ、怖いと口に出していたが、誰も自分らに関係があることだとは考えていなかった。みな余裕があった。だがそれが通常の反応だ。歩行者は、自分が事故に巻き込まれるなんて露ほどにも思わない。それと同じだ。

「みんなはやく帰るようにねー。なるべく一人にならないようにして、人通りの多いところを歩くようにしてね。内海先生からなにかあります? ほら、元刑事さんだったわけですし」

「わかりました、少しだけ」


 内海が教卓の方へ歩き出すと、山原は教壇から降りた。みな内海に注目し、好奇心を前に出していた。


 教卓の前に立つと、内海は話し始めた。「殺害した動機が、なにかしらの怨みということも考えられるし、快楽だけが目的なのかも知れない。快楽目的で、しかもこの女子高生とまったく関わりのない第三者だとすると、捜査は難航する可能性がある。しかも、犯人は女子高生をターゲットにしているのかも知れない。だから君たちも気をつけてほしい。山原先生が言ったように、一人にならないようにし人通りの多いところを通ってほしい」


 内海は生徒を見渡した。何人かの顔は真剣味を帯びていたが、大半は先ほどまでと変わらない。窓の外を見たり、時計を見上げている。これが通常の反応だ。


 内海は文芸部に来ていた。あおいは文芸部に所属しており、前々から見学に来てくれと言われていた。内海も小説などは嫌いではなかったので、少しだけならと了承した。


 文芸部は小さな一室で、教室の半分程度の広さしかない。壁一枚隔てた隣は漫画研究部の部室だった。壁には本棚が並び、古今東西の小説がずらりと並んでいた。

 あおいは笑顔で出迎えてくれた。他の部員はあおいと同学年の丸メガネをかけた須藤(すどう)一人しかおらず、三年生はすでに引退していた。もう一人の部員の一年生は、用事があるらしく欠席していた。

 須藤とあおいは原稿用紙に向き合い、次の部誌に向け執筆していた。

 あおいは小さな頃から本格ミステリーを愛好しており、数百冊は読んでいると胸を張っていた。やはり本格ミステリーを書いているのだろうか。


「須藤はなにを書いているんだ」と内海は訊ねた。

 だが須藤が答えようとしていたのに、あおいが口を挟んだ。「私には訊いてくれないの先生?」

「聞かなくてもわかるよ。本格ミステリーだろう」

「正解」とあおいは白い歯を見せ笑った。

「私はですね」と須藤は恥ずかしそうに言った。「純文学を書いてるんです。その、純文学になってるかはわかりませんけど」

「純文学か。私も幾つか読んだことがあるよ、安部公房とか三島由紀夫とか」

「安部公房を読んだことあるんですか!?」と須藤は嬉しそうに前に乗り出して言った。

「まあ、砂の女だけだけどね。面白かったよ」

「それなら、箱男も気に入ると思いますよ、是非読んでください」

「ああ、わかった。箱男ね。三島由紀夫はどうなんだ?」

 須藤は苦笑を浮かべ、首を捻った。「三島由紀夫はあんまり……」

「ふうん、なるほど。君は太宰治が好きなんだな」

「ばれちゃいましたね」と須藤は照れたように笑った。「そうだ、先生はどんな本を読むんですか?」


「最近はあまり読んでいないけど、あおいと同じで本格ミステリーばかり読んでたな。学生の頃は」

「へえ、そうなんですか」

 あおいは楽しそうに声を弾ませ言った。「私は凛姉ちゃんの影響で読み出したしね」

「そういえば先生と親戚だったっけ。あおいちゃん、先生のこと好きだもんね」

「ふふ、まあね」

 須藤は内海の方に顔を向けた。「先生はどこかの部活の顧問はやらないんですか?」

「今のところ、そんな話は出ていないな。いずれ言われるのかも知れないけど」

「先生にも文芸部の顧問してもらいたいなあ。ねえ、あおいちゃん」


「そうだね。本人は嫌だろうけど。酒を飲む時間が短くなるって」

「よくわかってるじゃないか」内海は笑みを見せた。時計にちらりと目を向けると、「そろそろ私は職員室に戻るとするよ。小テストの採点をしなちゃいけなくてね」

「帰りは遅くなりそうなの?」

「そうだなあ、遅くなると思う」

「何時くらい?」

「七時か、もう少し遅くなるかも知れないな」

「頑張ってね。今日は来てくれてありがとう、凛姉ちゃん」

「ああ」と内海は頷いた。「君たち、部活動もいいがあまり遅くならないようにな。事件もあったばかりだし」


「そのことで先生、訊ねたいことがあったんです。いいですか?」と須藤は言った。

「ああ、別に構わないよ。それで訊ねたいことって?」

「どうして犯人は下半身を切断したんですか? 意味はあるんですか? それが私、気になって」

 内海はなんと説明しようか悩んだ。言葉を選び、頑張って頭の中で構築していったが、子供の頃からジクソーパズルの類は嫌いだった。内海は並んだピースを払い除けた。

「私が思うに、この事件はレイプである可能性が高い。被害者が裸だったのもそのため。レイプとしたらば、膣内に残っている精液で身元が判明する。だから犯人は、それをおそれ切断したのかも知れないね」

「ああ……」須藤の顔は引きつり、目を泳がせていた。

「だから気をつけてね。脅すつもりはないけど、私は大丈夫とは思わないでほしい」


 須藤はごくりと唾を飲み込み、頷いた。あおいも真面目な表情を浮かべ頷いた。

 結果論ではあるが、言葉を選ばずに話して良かったのかも知れない。

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