第11話 浮気相手

 車を停め、外へ出る。武藤は気持ち良さそうな声を出し大きく背伸びをした。古手川も釣られて体を動かすと、ポキポキと骨が鳴った。ふうと吐息をつき、目を擦る。今まで聞き込みばかりで、ずっと神経を研ぎ澄ませていた。自分が思っていた以上に疲れているらしい。


 古手川は署の方に向き見上げた。どこか威厳があるこの警察署と紋章を見ると、いつも気が引き締まる。下手なことはできない、誠心誠意でもって捜査に当たらねば、と。そう感じのは新米の頃から変わらない。


「さあ、行こうか」と武藤は言った。

「はい」

 古手川と武藤は歩き出した。


 七瀬智也を、まだ容疑者から外すことはできないが、犯人であればわざわざ刑事と会おうとはしないように思う。なにか有力な情報を持っているのだろうか? それとも別の理由で会いたいのか。なににしても、七瀬智也が容疑者であるかないかは、この事情聴取ではっきりしそうだ。

 署に入り、階段を上り廊下を歩く。署内はいつもざわざわし、みな忙しそうにしている。前から若い制服警官が歩みよってきて、七瀬智也は応接室に通していますと言った。武藤は頷き礼を言った。


 応接室に入ると、ソファーに座っていた智也は慌てて立ち上がり、頭を下げた。丸い顔は汗をかき、緊張している様子がうかがえた。歳は優斗と同じ二十代前半と見られる。


「お忙しいところ申し訳ありません」

「七瀬さんですね」と武藤は言った。

「そうです。今日、刑事さんたちが事情聴取した瑠衣の兄です」

「まあ、お座りください」

「あっ、はい、わかりました……」

 智也が座ると、古手川らも座った。武藤はよいしょと声に出し、小さく吐息をついた。武藤も疲れている様子だったが、力強い目をして智也を見ていた。油断はなかった。


「それでどうしました」

「はい、お話ししたいことがあるんです。今日は大学がお昼までで、家に帰ってくると妹もいました。体調が悪いらしく、早退したらしいんです。そこで話を聞きました。事情聴取を受けたことも舞花ちゃんが殺されたことも……。それと、舞花ちゃんに怪しい交際があったかって聞かれたことも。それでぼくに行き着くんじゃないかと思いまして……」

「それはあなたが浮気相手だったからですか」

 智也は急いで顔を上げた。「そ、そうです。やっぱり知ってたんですね」

「先ほどまで彼氏さんのところにいましてね、そこで聞きました」

「そうですか……。なら話ははやいです。刑事さんはぼくを怪しいと睨むでしょう? だから妹から刑事さんの名前を訊き、ぼくはやっていないことを伝えたくて来たんです。本当です、ぼくはやってません!」

「智也さん、あなたは免許を持っていますか?」

「え、免許? 免許って車のですか?」

「そうです」

「いえ、持っていないです。バイクの免許ならありますが……中型のですけど……」

「バイクですか、そうですか」武藤は態度には出さなかったが、がっかりしているのがわかった。

「そ、それが事件の関わりがあるんですか?」と智也は鼻息を荒くして言った。焦っている様子だ。


「いえ、まあそういうわけでもないんですがね。それで、舞花さんと親しくなったのはいつ頃です」

「親密になったのは、その、二月ほど前だったでしょうか……。家に遊びにくるにつれ、ぼくは舞花ちゃんに惹かれていきました。可愛らしかったですし、優しくて、音楽の趣味も合いました。舞花ちゃんも、ぼくのことを満更でもない様子でした。彼氏がいるのを知ってましたけど、あのときはのぼせ上がっていました。自分を止められませんでした。それで、段々と親しくなっていったんです……」

「あのときと仰ったが、今は違うと?」

「なんて自分は馬鹿なんだって呆れてしまったんです。ぼくたちのことが彼氏にバレてしまい、舞花ちゃんは泣いてました。彼氏のことが本当に好きだったんでしょう。舞花ちゃんに申し訳なかったです。彼氏と別れさせてしまい、なにより自分自身が浮気やら不倫なんて最低なことだと思っていましたから。父は会社の若い女性と不倫して、ぼくたちを残して蒸発しました。父が許せなかったし、嫌悪していたのに、父と同じことをしてしまったんだ、と。夢から醒めて、現実を直視できたんです。ぼくはなんて馬鹿なんだって。好きだとかそういった感情の前に、ただただ申し訳なくて……」

「彼氏と別れてからは、交際はなかったんですか?」

「ありませんでした。舞花ちゃんに縁を切ろうと言われ、ぼくもその方がいいと答えました。お互いのためにもならないしと。だから痴情のもつれなんてありません。殺したりなんてしません」武藤は語気を強め言った。嘘をついている様子は感じられない。真剣そのものだ。


「事件があった日、君はなにをしていた?」

「ああ、アリバイっていうやつですね。それならあります、その日はバイトに行ってました。確認を取ってもらえれば本当だと信じてもらえるはずです」

「どこでバイトしてるんだ」

「コンビニでバイトしてまして、場所は──」


 武藤は働いているコンビニの店舗名と住所を告げた。

 これだけ自信たっぷりに言うということは、アリバイは本当だろう。七瀬智也も、容疑者から消えた。それは武藤も同じ考えだろう。


 武藤は顎に手を当て数秒ほど考えると、

「なら、君の他に関係があった彼はいた?」と訊ねた。

「そんなやつはいないと思いますよ。舞花ちゃんも、誰でもいいから遊びたかったわけじゃないでしょうし」

「そうか……」

 古手川や武藤の反応を見て、智也は安堵の笑みを浮かべていた。容疑から外れたと確信していた。前のめりになっていた体が、ゆっくりとソファーに沈んでいくのを感じた。余裕が生まれていた。

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