第10話 元カレ

 佐藤優斗は木造アパートの一室を借り一人暮しをしていた。築二十年以上が経ち、汚さも目立っているが、学生の一人暮らしにはちょうどいい家賃なのだろう。古手川の学生時代も似たようなものだった。家賃の安いボロアパートに住み、節約のため暖房をつけず服を何枚も着て毛布にくるまり、モヤシばかり食べていた。今とは違い、時間はたくさんあったが、お金はいつも雀の涙ほどしか持っていなかった。


 鉄筋の階段を上り、扉の前に立つと武藤はチャイムを押した。中からかすかにチャイム音が聞こえる。すぐあとに足音が聞こえてきた。佐藤優斗は在宅らしい。

 扉が少し開き、たらんと横に伸びたチェーンと若い男の顔が見えた。寝ぐせをなおしていないらしく、髪の毛は“散らか”っていた。


「どなたです」と優斗は言った。

 武藤は警察手帳を取り出し見せた。「警察の者です。少し訊ねたいことがありまして」

「もしかして舞花のことですか?」

「事件のこと、ご存知なんですか」

「ええ、友達から聞いたんです。はじめは疑ってたんですけど、テレビをつけてみるとニュースがやっていたんで」

「それなら話は早い。上がらせてもらえるかな?」

「ええ、わかりました」優斗は一度扉を閉めるとチェーンを外し、大きく扉を開けた。「どうぞ」

 優斗は黒のスウェットを着ていた。寝ぐせといい、先刻まで眠っていたのかも知れない。


 お邪魔しますと言い部屋に入る。髪の毛とは違い、男一人暮らしにしては片付いていた。壁には海外のバンドのポスターが貼られ、本棚には八十年代から現代までの幅広い漫画があり、テレビの前にはゲーム機があった。

 丸テーブルのそばに武藤と並んで座ると、優斗は前に座った。優斗は刑事たちから視線を外し、自分の部屋を見渡した。やはり刑事と向き合うというのは気まづいらしい。


「わたしの名前は武藤、となりの若いのは古手川。すまないね、休日に」と武藤は言った。

「いえ、大丈夫です。それで、訊ねたいことってなんですか」

「言わなくてもわかるとは思うけど、我々は田宮舞花さんの事件の捜査をしている。聞くところによると、君は舞花さんと付き合っていたらしいね? 一月ほど前までは」

「そうです」

「最近、会ったことはある?」

「いえ、ないです。刑事さんが言ったように一月前に別れて、それ以降会ってません。今は別の人と付き合ってますし」

「そうか。ああ、そうだ、君は免許を持っているの? 最近の大学生は、持ってない人が多いって聞いたんだけどさ」

「ぼくは持っていないです。そんなお金はありませんから」

「ふうん、そうか」


 車の免許は持っていないか。佐藤優斗が犯人である可能性は低くなった。反応を見ていても田宮舞花を怨んでいる様子もないし、刑事を前にしても落ち着いて答弁できている。怪しいところはなかった。


「彼女は大学生?」

「はい、そうですが」

「彼女はどうなの、免許」

「いえ、持ってないはずですよ。電車があれば充分ですし。痴漢は怖いって言ってましたけど」

 彼女と共謀して殺害したという線も薄くなった。

「君たちが別れた理由を教えてくれないかい?」

 優斗は目を細めた。「もしかして、俺を疑ってるんですか」

「いや、そういうわけでもないんだけどね」

「別れた理由は、舞花の名誉のためにも言えません。俺は犯人ではないので、言わなくてもいいでしょう。別れた理由が、動機になるようなことなんてけっしてありませんので」

「わかった。じゃあ、犯人に思い当たる人物はいないか?」

「犯人……」優斗は下を向き考えた。妙な間だった。表情を見ていると、どうやら思い当たる人物がいるようだった。

「どう」

「……いえ、いないです」


 武藤の顔をつきが獲物を狙う猛獣のように鋭くなった。なにかあると踏んだのだ。けっして逃がすまいという気迫を感じる。


「付き合ってるとき、君の知らない人との交流とかなかった? 影でこそこそと会っていたとか、舞花さんの様子がおかしかったりとか」

「それは、その……」

「些細なことでもいいんだよ、優斗くん。彼氏なら気づくことあるだろう? あいつは誰なんだ、てさ」武藤はわざとゆっくり言った。じわじわと詰め寄り、優斗の心を揺さぶっている。

「その……」

「怪しい人物を見かけたんじゃないか? それが事件解決の役に立つかもしれないんだよ?」

「わかりました! わかりましたよ……言いますよ……」優斗はため息をつき、首を振った。


「思い当たる人物がいるということかな?」

「犯人であるという確証はないですし、違う可能性の方が高いですけど、いいですか」

「ああ、構わない」

「舞花のやつ、浮気していたんです。もしかしたら、その相手が……」

「浮気? それはどうしてわかったんだ?」

「舞花の態度がよそよそしくなって、不審に思ったんです。それでいけないと思いつつもスマホを見てみたんです。パスコードは、打っているのを遠くのほうから見て覚えてました。ラインを確認してみると、知らない男と生々しいやり取りをしていて、写真フォルダーには裸でキスしてる写真もありました……。それで別れたんです。別に怒りはありませんでした。呆れるだけでした」

「だから別れた理由を言うのを渋っていたのか。彼女の名誉のため、か。なるほど」

「ええ。俺も舞花が殺されたのは悲しいし残念と思います。だから言いたくありませんでした」

「そうか、すまなかったね」と武藤は軽く頭を下げた。

「いえ、これが捜査に役に立つのなら、舞花も納得してくれるはずですし」


 古手川は前のめりになり訊ねた。「その浮気相手の名前、わかる?」

「はい、わかります。名前は、七瀬智也(ともや)です。ラインにそう表示されていましたから。俺と同じ歳くらいです」

「七瀬……」

 古手川と武藤は顔を合わせた。田宮舞花の友人である七瀬瑠衣と同じ苗字である。偶然だろうか。だが七瀬という苗字は珍しい。そう多くはないだろう。七瀬瑠衣と、関わりはあるのだろうか?

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