第7話 両親の悲しみ

 日の姿が消え夜が訪れ、署に戻ってきた。自動販売機に硬貨を投入し、ボスの微糖コーヒーを買った。古手川は缶コーヒーを取り出すと、目を瞑りため息をついた。

 第一発見者の男性からあらためて話を聞いたが、有益なものは得られなかった。その日はたまたま散歩コースを変え、たまたま死体を発見しただけだ。愛犬が走り出さなければ見つかってもいない。

 第一発見者が一番怪しいと良く言うが、七十代のあの男性には、とてもじゃないが犯行は難しいだろう。痩せて腰も曲がり、体力もないはずだ。それにレイプの末、あの少女は殺された。一般的に七十代のレイプ犯はいない。やはり若者の場合が多い。


 では今回の犯行も、若者による仕業なのだろうか?


 蓋を開け、コーヒーを一口飲んでいると、武藤がやってきた。目を擦り、疲れている様子だった。

「とりあえず、今日はもう帰ろう。夜勤のもんに探索願と照らし合わせてくれと言っておいたから」

「わかりました」

「身元もわかれば、捜査の幅も広がる。はやく寝て体を休めておけよ?」

「はい。武藤さんもはやく帰ってくださいね。奥さんにも会いたいでしょ?」

 武藤は人懐っこい丸い顔を、くしゃくしゃにして笑った。「言ってくれんねえ」

「はは、では明日」

「ああ、おつかれ」

「おつかれさまです」古手川は軽く頭を下げた。

 武藤は手を挙げると、去っていった。


 身元がわかれば捜査の幅も広がる。

 確かに武藤の言う通りだ。だが、はやく休むことはできないかも知れない。あの少女の陰惨な遺体が、今も古手川の目に焼き付いていた。古手川は、少女の遺体を見たのは初めてだった。田舎に同年代の妹がいるため、余計胸が苦しい。

 一気にコーヒーを飲みきると缶を握り潰し、ゴミ箱に捨て、歩き出した。


 犯人を捕まえられなかったら、俺を怨んでくれ──古手川は、少女にそう強く思った。



 

 同僚や上司に朝の挨拶をし、古手川はデスクに荷物を置いた。捜査一課の半数近くは出払っており、他のものは書き物をしていた。刑事というのは、書類作業も多い。古手川のデスクにも書類が束になってあった。

 みな事件に追われ、疲れた顔をしている。活気というものが感じられず、主任はいつも元気を出していけと言うが、事件が解決しない限り難しそうだった。

 古手川は自分の顔を叩き、気合いを入れた。


 武藤は椅子から立ち上がり、一枚の紙を手に持ちこちらにやってくると、

「少女の身元な、わかったぞ」と言った。

「本当ですか!」

「ああ、探し当ててくれたよ。この紙に情報をまとめてくれてある」と武藤は紙に目を落とした。「名前は田宮(たみや)舞花(まいか)、十七歳。今から五日前、友達とショッピングを楽しんだあと、駅前で友達と別れたところで行方がわからなくなった。別れた時刻は十七時頃。

 とりあえずの情報はこんなところだ。ご両親のもとに何人か説明しに行ってもらってる。もうすぐで身元確認に来てくださると思う。そのときに詳しい話を聞いてみよう。解剖の許可もそこでもらう」

「わかりました」と古手川は言った。「友達と別れたあとにか……。誘拐という線が強そうですね……」

「それはまだわからんさ。本人の意思で向かったのかも知れんし」

「でも、友達とのショッピングの帰りってことは、荷物を持っていますよね? どのようなものを買ったのかはわかりませんが、時間も時間ですし、誰かに会いに行くようなことをしますかね」

「なら知り合いが偶然を装い、接近したのかも知れんな。今はSNSで情報を拾える時代だ。田宮舞花の投稿を見たのかも知れん」

「面識のない人物による犯行の可能性はありませんか?」

「それだと被害者も抵抗するだろう。目撃情報が出ているはずだと思うぞ」

「複数犯なら、車で横につき、扉を開け素早く拐うこともできますよ」

「そうだなぁ……その可能性もある。けれどその手口なら、もっと夜が老けてから行うんじゃないか? もっと人目が少なくなってから」

「ああ、そうか……」

「まだ憶測の段階だがな」と武藤は言った。「とりあえず応接室を確保しておこう。両親からいつでも話を聞けるように」

「はい……」


 娘が殺されたと聞き、その遺体を確認し、すぐさま刑事からの調書が始まる。酷なことだ。落ち着いて頭を整理する時間も与えてもらえない。だがこれも、一秒でもはやく犯人を捕まえるためだ。古手川は自分にそう言い聞かせた。


 署の待合所で待つこと三十分、田宮舞花の両親が制服警官に連れられやってきた。警官は二人の名を告げると、敬礼し背中を向け歩いていった。


 母親の景子(けいこ)は目を真っ赤にし、ハンカチを目にあて鼻を啜った。父親の拓海(たくみ)は憔悴した顔を浮かべているものの、妻の肩を抱き寄り添っていた。心は叫び声を上げているのに、妻のために涙を堪えているのだろう。


 武藤は頭を下げた。「心からお悔やみ申し上げます。犯人は必ず捕まえてみせます」

 古手川も頭を下げ、悔やみの言葉を言った。

 母親の景子は反応を見せなかったが、父親の拓海はかすかにこくりと頷いた。疲れ切り反応する余裕もないのだろう。


「娘さんのご確認お願いできますか」と武藤は言った。

「……わかりました」と拓海は顔を上げ決心をしたように言った。哀しみがうねる瞳の中に、父親の強さを感じた。こんなことで感じたくはなかった。

 地下へ下り、長い廊下を歩いていく。足音だけがあたりに響き、照明は薄暗く感じる。壁や天井の白の塗装が濁って見える。使っている照明は全階同じはずだが、この静けさと人気のなさがそう感じさせるのだろうか。

 遺体安置所の扉を叩くと、白衣をまとった検視官が顔を覗かせた。武藤の顔を確認にすると、扉を開け、入ってくださいと言った。


「景子、お前はここで待っておけ。俺が見てくるよ」と拓海は妻の肩に手を触れ言った。

「ええ……」


 武藤は、古手川に残っておくよくようにと言った。母親だけ一人にして残しておくわかにはいかないからだ。古手川が返事をすると、武藤は父親と共に中へ入っていった。

 母親と二人きりになったが、古手川は言葉が思いつかなかった。例え辞書を開いたとしても、見つかりそうになかった。これは警察としての歴の浅さと、人間としての幼さが原因だった。古手川は横に揃えている手を動かし、そわそわと前を見つめるだけだった。


 少しして武藤と父親が出てきた。父親は顔を下に向けている。武藤は古手川を見ると、こくりと頷いた。身元の確認が取れたのだ。


「どうだったの、お父さん……」

 父親はため息をつき、数秒遅れで答えた。「舞花だったよ……」

 すると母親は声を上げ泣き出した。堪えようとしていたが、声も涙も溢れてくるようだった。薄暗い廊下に、悲鳴が響いている。


 落ち着きを取り戻したあと、二人を応接室へ通した。武藤がソファーの方へ手をやり、どうぞと言うと、二人はゆっくりと座った。柔らかいソファーに力を吸い込まれたように、ぐたりとしていた。

 古手川はお茶を汲んでくると、机に置いた。けれど手をつけないのは知っていた。そんな気も起こらないのだ。


 武藤はすでに着席しており、古手川も隣に座った。新米の頃からそうだった。遺族とこうして向き合うとき、どのような顔をすれば良いかわからなかった。


「娘さんの行方がわからなくなったのは、今から五日前、友達とショッピングへ出かけ、別れたあとで間違いありませんよね?」と武藤は訊ねた。

「ええ、そうです」と父親は言った。「門限になっても帰ってこず、電話にも出ませんでした──」

「すいません」と武藤は話を遮り言った。「門限は何時ですか?」

「十九時です」

「十九時ですか。すいません、ありがとうございます。続けてください」

「はい。電話にも出ず、一緒に遊んでいた友達にも連絡してみました。でも、駅前で別れて、家に帰ったはずと言いました。友達も自宅に帰ってから娘にラインを送ったらしいんですが、返信がないため不審に思っていたらしいです。そのあと、他の友達の家にいるかも知れないと思い、電話をかけましたけど消息は掴めませんでした……。それで警察に向かったんです」

「なるほど……。娘さんは今まで門限を破ったことはありましたか?」

「何度かはありましたけど、基本は守っていました。遅れるにしても連絡がありましたので」

「夜遊びをしていたわけではないということですね」

「ええ、もちろん!」

 古手川は考え込んでいた顔を上げ言った。「例えばですけど、素行の悪い友達との付き合いなどはありましたか?」

「いいえ、そんなのまったく! 娘はいい子でしたよ」

「彼氏はいましたか?」

「以前はいたみたいですが、今はいないみたいです」

「ああ、そういえば……」と母親が言った。

「ん、どうしました」

「一月ほど前、あの子が泣いて帰ってきたことがあったんです。どうしたんだと訊ねると、彼氏と別れたと答えました。酷いことをされたのかと問いただしても、私が悪いからと言ってそれ以上は話そうとしませんでした。もしかしたら、その時なにかあったのかも知れません……」


 武藤は腕を組み、いかめしい顔をして頷いた。「彼氏のお名前はわかりますか?」

「佐藤(さとう)優斗(ゆうと)という名前です」

「年齢は?」

「確かぁ……二十歳そこそこだったかと。E大に通っているみたいです」

「E大ですね、わかりました」

 父親は眉間にしわを寄せ、歯を噛み締めたあと言った。「その彼氏がやったんでしょうかァ」

「いえ、それはまだわかりません。証拠もまだ出ていませんので」

「そ、そうですよね……」父親は弱々しく肩を落とした。

「では、娘さんの様子についてなんですが、突然、ブランド物が増えたりしたことはありましたか? リッチになったというか」

「ブランド品? いえ、ないです。なあ」と妻の方へ顔を向け言った。

「ええ、そんなことはありませんでした。おこずかいの前借りを頼んでいましたし」


 武藤は頷くと、

「失礼とは存じますが、例えば娘さんがナンパされ、それについていくと思いますか? 飛びっきりいい男に声をかけられたとして」

「ないと思います」と母親は言った。「その場に友達がいたり、日もまだ登っている時間なら、お茶くらいはするかも知れませんけど、門限も近づいていましたし、ついて行くようなことはないと思います」

「そうですか、ありがとうございます」


 確かに母親の言うことはもっともだった。友達がいれば安心感も生まれるだろうが、一人だと不安感が勝るのではないだろうか? 田宮舞花は話によれば真面目な娘だ。ナンパにはついて行きそうにもない。

 ということは、知り合いの犯行によるものなのだろうか? それとも第三者による連れ去り?


「最後にいいですか」と武藤は言った。「この人物が怪しい、というのはありませんか? 知り合いでも、近所のものでもいいので」

 父親と母親は顔を見合わせたが、そのような人物は見当たらないらしく、首を傾げていた。

「わかりません」と父親が答えた。「どうしても上げるなら、前に付き合っていた彼氏でしょうか……」

「そうですか、わかりました。では質問は以上です、ありがとうございました」

 武藤が立ち上がり頭を下げ、古手川も続いて立ち上がると頭を下げた。両親も立ち上がり、弱々しく頭を下げた。

「どうか犯人を捕まえてください……」

 武藤は頷いた。「もちろんです。必ず捕まえてみせます」


 両親の見送りに武藤がいき、そのあいだ古手川は車を手配しておくようにと言われた。田宮舞花の通っていた、高校に向かうためだ。

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