第6話 少女の死体

 鬱蒼と生い茂った森の中に突っ立っていると、余計に寒さを感じた。死体を見据えているという理由もあるのだろう。彼女への申し訳なさも、影響しているのかも知れない。


「惨いな」と武藤は死体を見ながら言った。

 古手川(こてがわ)賢一(けんいち)は顔をしかめ頷いた。「ええ、こんな若い女の子が……」


 落ち葉が広がる木の根元で、高校生くらいの少女が股座を切断され捨てられていた。両太ももの付け根と、下腹部をなぞるように切り取られ、断面が見えた腹から真っ黒な血がついた臓物が垂れている。両足は隣に綺麗に並んでいた。数匹のハエが死体に群がり、鬱陶しい羽音を鳴らしている。ウジの姿は見えない。死後、二、三日だろう。

 捜索中ではあるが、切り取られた股座は見つかっていない。この娘のためにも家族のためにも、はやく見つけてやりたかった。

 十六時半頃、地元に住む七十代前半の男性から通報があった。森の中を愛犬と散歩中、鼻をひくひくと動かすと、突然愛犬が駆け出した。男性はリードをぎゅっと掴んだが抗えず、引っ張られた。少しして愛犬は立ち止まり、男性は荒い呼吸を立て顔を上げると、そこには少女の死体があったのだ。


 強い風が吹き、古手川と武藤は身を縮めた。


 殺された少女は裸だった。一秒でもはやくこんな場所から移動させてやりたかった。せめて毛布でもかけてやりたい。

 少女の顔には殴られたあとが見受けられるが、綺麗な顔立ちをしているのがわかる。髪の毛は肩まで伸ばし、前髪は眉にかからないところで揃えている。虚ろな目で曇った寒空を見ている。そんな姿を、鑑識課が写真を撮っている。

 古手川は警察官になって二年と少しになる。捜査一課に配属されたのが半年ほど前で、死体も何人か見てきたが、このどんよりとした気持ちになるのには、慣れそうになかった。慣れてはいけないとも思う。


「殺しで間違いないが、誰だと思うよ、“期待のホープ”」と武藤はズボンを肥えた腹に上げ言った。

 不本意だが、古手川は期待のホープと呼ばれていた。二年と少しという浅い歴のわりには、優秀な検挙率をほこっていたからだ。もちろん、茶化している部分もあるのだろうが。

 古手川は少し考え言った。「……彼氏か、遊び相手か……、見知らぬ男に連れさられたという線もありますよね」

「そうだな、俺も同意見だ。早々に動機が見つかれば証拠を固めるだけでいいが、犯人が身近な人物でないとすれば、面倒になるな」

「そうですね……、無作為に選んだ殺人なら……」

「身元も早々に特定しなければな。十代の娘であることは間違いないが、身につけてるものがなにもない。特定は面倒になりそうだ」


 すると、鑑識官の永田(ながた)がやってきた。永田の年齢は五十代前半、左頬には大きなシミがあった。

 武藤は組んでいた腕をほどき言った。「どうです、死因はわかりましたか?」

「死因は窒息死だよ、首に締められた跡がある」としわがれた声で永田は言った。

「そこから犯人は特定できそうですか?」

「いや、無理だね。扼殺ではなく、紐かなにかを使ったらしいから」

「そうですか」と武藤はがっかりした様子もなく言った。

「詳しいことは解剖してみないとわからないが、死後、二日から四日といったところだろうな」

「身元が特定できそうなものは見つかりましたか?」と古手川は訊ねた。

「なかった。なんせ真っ裸だしな。歳の頃は十代後半だよ。薬物をしている様子もないし、タトゥーも見受けられない。極一般的な少女といえよう」

「やはりレイプなんでしょうか」

「そうだろうね。裸にされているし、暴力のあともある。可哀想だけど、このケースはレイプだろうねえ。切断のために脱がせたとも考えられるが、それなら上を脱がせる意味はない。股座を切り取ったのも、精液でバレないためだろう」

 武藤は寒そうに息を吸い込み、渋い顔をすると言った。「犯人の体液や毛髪、指紋は出そうですかね」

 永田も釣られたように身を縮めた。「詳しく調べないとわからないが、今のところ出ていない。犯人に抜かりはないようだ」

「そうですか……」武藤を目を細め、嘆息をついた。

「とりあえず、こんなものでいいかね」

「ええ、ありがとうございます」

 永田はひょいと手を挙げると、背中を見せ少女のもとへ歩いていった。


「レイプか……」と武藤は呟くように言った。「あんなにも若い子をな……」

 古手川は首を捻り、武藤の険しくなっている横顔を見た。武藤は顎に髭を生やし、顔は丸く、目元は鋭い。体も大きいため初見の人物には威圧感を与えるだろうが、笑ったときにできる目尻のしわが、人懐っこさを生み出し帳尻を合わせていた。年齢は三十代後半、下の者の面倒見もよく、叱りはするがけっして怒鳴りはしない優しい人だった。そんな武藤も、犯人にたいしては憎悪を抱いている。

 古手川は頷き言った。「虫酸が走りますね……」

 どうしてこんなにも惨いことができるのだと、理解しようとしてもすることができない。捕まらないように“工夫”を加えているのはわかる。だからといって、少女の股座を切断できるものなのか? 刑事という職業柄、ずっとこのようなことを考えていかなければならいのだろうが、理解できる日はやって来そうにもない。


 古手川はため息をつくと、武藤のほうに顔を向けた。「犯人は死体を、この森の中に捨てにきましたよね。けど埋めようとせず、野ざらしにしました。隠す気はなかったんですかね?」

「ことを終えて、満足してしまったのかも知れないな。死体を処理しなくてはいけないから森には来たが、面倒になったんだろう」武藤はそこで思い出したようにあっと声を出すと、「ということは車も持っているんだろうな」

「そういうことになりますね。遺体を運ぶのなら車がないと。では複数犯か単独犯、どちらでしょう」

「それもまだわからんだろうな。少女の身元も特定しなければならんしな」

「探索願と照らし合わせてみましょうか。事件に巻き込まれたのが数日前なら、すぐに見つかるかも知れませんし」

「それもそうだな。手が空いているものに頼んでおくよ」武藤は手を擦り合わせ言った。肥えた体をしているが、古手川よりも寒さに敏感だった。

 だがまだ温かいコーヒーを飲み一息つくわけにはいかない。第一発見者の男性から、話を聞かなければならない。

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