第5話 授業
二週間ほどが立った。授業にもだいぶ慣れてきて、生徒ともコミニケーションを取れるようになった。一回目、二回目の授業は付き添いの教員もいたが、よしという判断が出たのだろう。それからは内海一人だった。
内海が教室に入ると、クラス委員が起立と号令をかけ、礼という言葉と共に頭を下げた。
現在は第一次世界大戦に入るまでと入ってからの内容を教えていた。
一九一四年六月のサラエボ事件をきっかけに起こった、初めての世界規模の大戦争。誰もがクリスマスまでには終わると思っていたのに、四年あまり戦争は続いた。スペイン風邪も流行し、多くの死者を出した。戦車や戦闘機、機関銃、毒ガスといった多種多様な兵器もこの戦争をきっかけに生まれた。
そのような内容を、内海は黒板に文字を書きながら教えていった。一度志しただけのことはある、人に教えるというのは楽しかった。あらためて自分も、知識の再確認ができる。こう思えるのは、初めのうちだけかも知れないが。
「内海先生」と前に座っている生徒が言った。
内海は黒板に書いていた手を止め、首を捻り振り返った。「なに?」
「どうして警察になったんですかー?」
「……どうして、か」
内海は悩んだ。理由を話すことはできるが、恥ずかしさもある。それに今は授業中だ。授業と関係のない話をするのは躊躇われた。しかし、授業の小難しい話ばかりでは、眠気を誘うばかりで飽きてしまうだろう。工夫を加えるのも大事なのかも知れない。
「授業中だからダメですか?」
内海は生徒たちに体を向けた。「そうだけど、少しだけならいいでしょう。これも社会の話で間違いはないしね」
「ありがとー、先生」
他の生徒も興味深そうにしていた。眠気と戦っていたものも、目を開け内海の顔を覗き込んでいる。
「といっても、面白い話でもなくてね、有り触れた理由なの」と内海は言った。「学生の頃から、私は曲がったことが大嫌いだった。筋の通らないことって言うのかな。それで男子生徒と揉めたこともあった。警察に入ったのはそれと似たような理由。曲がったことを正したかったから。正義に燃えていた」
「熱血刑事だったんだね」
「いや、そんなもんでもなかったよ、実情は。やっぱり理想と現実は違うから」
「だから警察を辞めたんですか?」
内海は数秒間黙り、視線を下げた。「私に警察を続ける資格がなくなってね──」
内海の様子に、教室内に気まずい空気が流れた。質問した生徒はあたふたとしていた。内海はいけないと思い、笑みを見せた。
「みんなも大なり小なり夢を持ってると思うけど、理想と現実もちゃんと理解しなくちゃね。私みたいになるから」と内海は誤魔化すように言った。
笑った内海を見て、生徒たちは安心したようだった。あたりを支配していた気まずい空気は取り払われた。
「日本の警察って優秀だって聞くんですけど、それって本当なんですか?」と他の生徒が言った。
「そうだね、未然に防ぐことは難しいけど、なにか事件が起これば大体は解決してくれる」
「大体なんですか?」
「残念だけどね。たとえば窃盗」
「気づかない間に取られてるからってことですか」
「そう」
「殺人事件はどうなんです?」
「……ほとんどの場合、捕まえることができる。でも悔しいけれど、逃げ切られることもある」
へぇという声が上がった。“逃げ切られた”事例を問い詰められそうで、内海は授業を再開するよと言い、また黒板に文字を書いていった。生徒たちも素直に従い、板書していった。
内海は窓の外を見た。空は不機嫌そうに曇っている。今もどこかで殺人事件が起き、かつての仲間たちが、どこかで捜査に取りくりんでいるのだろうか。
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