92球目 個人練習はおろそかにしない(本賀の場合)

 本に囲まれた部屋の中、本賀ほんが好子すうこは、頬杖ほおづえをついて考え込む。彼女の最近の悩みは、どうすればフライが捕れるかだ。



「だって、怖いものは怖いよ……」



 空高く上がったかたいボールが、自分の頭目がけて落ちてくる。ろくにスポーツをやってこなかった彼女にとって、それは恐怖でしかない。ケガしないとわかっていても、体が勝手に逃げてしまうのだ。



 津灯つとうやグル監は少しずつ慣れていけばいいいと言うが、そんな余裕がないことは重々わかっている。夏大なつたい予選は2か月半後にやってくる。メンバーはこれ以上増えない。ケガ人が続出して、彼女の守備機会が訪れるやもしれぬ。



「ハァ。困った時は読書やね」



 彼女は目をつむって、本棚から適当な本を取り出す。本の中には、今の悩みを解決するヒントが隠されているものだ。



※※※



鷹杉奨『女性教師がマンティコア化したら学校中がモンスターだらけに』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054921786938/episodes/1177354054921996904


 ドアを開けて、家を出ようとしたら、頭がぶつかる。



 イッター! 私が大きくなってるから、いつもの通りに出たらダメよね。あー、イライラする。2階から目薬、隔靴掻痒かっかそうようだぜー!



 ドアを思いっきりバーンと閉めたら、ドアの表面がひしゃげてしまった。まるで2tトラックに衝突しょうとつした跡みたい。これ直さないと、大家おおやさんに叱られるー。



※※※



「二階から目薬!」



 彼女は本を閉じて、すぐ隣の兄の部屋をノックしに行く。



「お兄ちゃん、お兄ちゃん! ちょっと手伝ってほしいことがあるんよ」


「何やねん。忙しいのに―」



 浪人中の兄・好男よしお股間こかんをボリボリかきながらドアを開ける。机上には漫画雑誌が広げられている。



「ずっと勉強やっとると、集中力切れちゃうでしょ? そこで、私の自主トレに付き合ってほしいんやけど」


「自主トレ? 今から外に出るんは嫌やで」


「お兄ちゃんは外に出なくてええの。あの窓から手を出して、庭の私にテニスボールと野球ボールを交互に落としてくれたらええから」



 彼女は廊下の物置から、野球ボール3球とテニスボール23球が入ったカゴを取り出す。テニスボールは、近所のテニス練習場の側溝に落ちていた物だ。



「ホンマに落とすだけでええんやな」


「うん。全部捕り終わったら、また私が兄ちゃんの部屋に持って行くから」



 フライの捕球とボールの恐怖心の克服と階段ランニングという一石三鳥な自主トレだ。彼女の兄は落とすだけならと、背中をかきながら快諾かいだくしてくれる。





 好子すうこは庭に降りて、窓辺の兄に合図を送る。夕暮れにさしかかっているが、街灯のおかげでボールはよく見える。



 兄の手からテニスボールが落とされる。彼女はグローブを出して、問題なくキャッチする。



 テニスボールが9球続いた後、野球ボールが落ちてくる。9球とも落下点は全く変わらなかった。グローブを引っ込めなければ、ケガをしない。彼女は目とグローブを開いたまま、じっとしている。



 彼女のグローブに重みがかかる。グローブの中身を見れば、野球ボールが入っている。



「やったぁ! フライ捕れたぁ!」



 妹の喜ぶ姿を見た兄は、少し口元をゆるませる。この後、ボールの速度や落下点の変更など、細かい注文を受けて、妹をうざったいと思うのだが……。



(夏大予選まであと72日)

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