93球目 個人練習はおろそかにしない(千井田の場合)

 千井田ちいだ純子じゅんこは外でランニングをしていたが、ゲリラ豪雨に打たれて、濡れネズミと化して帰ってきた。



「くそっ! 天気予報はくもりやったのに!」



 彼女はテディベアの腹にチーターパンチを繰り出す。



「姉貴、早く着替えろや。風邪ひくよ。って、姉貴はアホやから、風邪ひかへんか」



 弟の勇気ゆうきがせせら笑う。中三の彼は未だに小学生体型だが、言葉づかいは大人、おっさんびている。



「何やとぉ、こんのクソガキッ!」



 純子じゅんこはチーター化して、弟を追いかける。彼は家具の間をちょこまかと逃げ回り、1分間捕まらなかった。



「ハァハァ。あんた、逃げるの上手いやん」



 純子じゅんこは四つんばいになって、得意げに腕を組む弟を見上げる。



「ヘヘン。オレはサッカーのドリブル得意やからね。と言っても、その輝きは3分間だけやけど」


「あぁ。あんたもあたいと一緒か」



 千井田ちいだ家はチーター化する体質なので、瞬発力に優れている。その反面、持続力に欠けており、プレイ時間が長いスポーツは向かない。



「姉貴、ホンマもったいないわ。オリンピック級の足持ってたのになぁ」


「いや。あたいの足はメジャーリーグやん」



 彼女は津灯つとう勧誘かんゆうされた時のことを思い出す。



 100m走の途中でウサギのぬいぐるみを投げられ、チーター化した自分をなぐさめてくれた。メジャーの盗塁王になれる、美味しいお肉がたくさん食べられるという言葉で、野球部入部を決めた。



「メジャーって160試合ぐらいあるやろ? やっぱ、もっとスタミナつけへんとキツイって」


「スタミナねぇ。チーターに持久力があったら……」


「馬ぐらいのスタミナとチーターの足が合体したら、最強やんね」


 

 瞬発力と持久力がある動物、彼女の頭の中に色々な動物が浮かんでは消える。その中で、犬だけがワンワン吠えて残っていた。



「せや! 犬やん! あたいは犬になる!」


「あっ、姉貴ぃ?」



 彼女はチーター姿のまま、四つ足で歩きまわる。テーブルの脚やお菓子の匂いを嗅ぐ。ダンベルを骨っこ代わりに噛みまくる。



「パイ焼けたでー」



 祖母が持ってきたパイは、テーブルに頭だけ乗せ、道具を使わずに犬食いし始める。



「こらっ、純子じゅんこ! お行儀悪い!」


「グルルルルル」


 純子じゅんこは牙をむき出して低くうなる。祖母は「あらまぁ」と目を丸くする。



「姉貴は犬になりきるって」


「そうなんやね。ほな、今日はカレーライスやけど、純子じゅんこだけドッグフードやな」



 純子じゅんこはクゥンと鳴いてうつむく。弟はニシシと笑って、口の周りのパイをティッシュで拭き取る。



 彼女が犬になりきったのは、わずか30分だった。



(夏大予選まであと70日)


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