94球目 個人練習はおろそかにしない(デヴィッド真池の場合)

 リビングに着くなり、真池まいけ久尊ひさたかは、TV番組を春のJポップスペシャルからプロ野球中継に変えた。これは、真池まいけファミリーにとって、前代未聞の出来事だった。



「どうしたんだい、デヴィッド? 三度のランチよりミュージックが好きな君がベースボールなんて!」



 ツーブロックの赤髪の父(家の中ではリッキーと自称)が、口を縦にして驚く。



「熱があるんじゃない? ホスピタル病院に行かないと!」



 紫のカールの山髪型の母(家の中ではダイアナと自称)が体温計を持ってきて、息子の口の中へ入れようとする。



「やめてくれ、マミィ! オレはバンドマンじゃなくて、バントマンになるんだ! プロのテクニックを盗んで、自分のものにしたいっ!」


「おぉ。君のフィンガーがごつくなってきたのは、そういう理由かい」


「でも、ストレンジ奇妙ね。ハマコーにはベースボール・クラブなかったはずでしょ」



 ダイアナは首を左右にかしげる。



「それなら、1年の子が作ったんだよ。オレはファーストのレギュラーさ」


「なっ! なぜ、そんな大事なことを、パパに言わなかったんだ!」



 リッキーはテーブルを拳で叩く。その勢いでグラスの水が飛び散った。



「だって、2人とも1か月ぐらい世界一周トラベルに行っとったやん。ゴーホーム帰宅は昨日だし、いつも自分たちの話ばっかだし」


「ああ、ソーリーソーリー。画面上の君の元気なフェイスを見れば、何も聞かなくていいと思ってな」


「もう、リッキーったら! レギュラーってことはゲームに出たのね? どういう結果?」


「た、たくさんのバントを決めたよマミィ……」



 絶対に毎試合2つ以上のエラーをすることは言わない。



「さすが我が息子だ! プロベースボーラーになって、バントのワールドレコード世界記録を更新するんだ! ハハハハハハ」


「気が早すぎますよ、リッキー」



 のけぞって笑う夫の額を妻がピシャリと叩く。アメリカンな真池まいけ夫妻は、一挙一動が大げさである。



<ディーン、バスターだぁ! センター前ヒット!>



 TVでは、幕張まくはりロードランナーズのディーンがバスター(バントの構えからヒッティングに切り替えること)を成功させていた。



「ん? リンゴスター?」


「どんな耳してんのよ。バスターよ、バスター」


「しっ! 2人とも黙ってて」



 デヴィッドはTV画面のリプレイ映像を真剣に見る。



<それにしても、ディーン選手のバスターは実に上手かったですね>


<はい。力を抜いたバントの姿勢から、瞬時に腰の入ったヒッティングに変えるのは、さすがですよ>



 ディーン選手の右手の指の運び、目にも止まらぬバックスイング、稲妻いなづまが走る光速スイングは、まさに芸術品だ。デヴィッドの目には、それがバラードからアップテンポな曲への転調に見えた。



「これだ! オレはバントマンからバントスターになる!」



 デヴィッドの目は億千万の輝きだ。母は拍手を送り、父は口笛を吹く。



「しかし、あのバスターとやらは、かなり速いスイングが求められるぞ。デヴィッド、今の君のスイングを見せてくれ」



 デヴィッドは赤面しながら席を立ち、玄関の傘立てからバットを持って来る。庭に出てスイングするが、ハエが止まれそうな遅さである。



「ノーウェイ! これじゃバラードじゃなくて演歌だ。そのバットよりも、アレで練習した方がいいな」



 父は自室からドクロがボディについたエレキギターを持って来る。あちこちが破損していて、もう音は鳴らない。



「このギターは約4キロある。このギターをキレイなスイングできれば、どんなバットでもバスターは可能だ」


「よ、4キロ? 正気かい、パピィ?」



 金曜の重たい金属バットの2倍の重量だ。持ってるだけで手が震えるのに、振り切れるはずがない。



「ライオンは息子を谷に落とすのだろう? バントキングになるなら、この試練を乗り越えなさい!」


「まぁ、リッキー。今日のあなたは一段とクールよ。ステキ」



 ダイアナとリッキーは熱く抱き合い、濃厚なキスをかわす。その隣で、息子はギターのネックを持ってスイング。見事に手首がいかれて、腰がデスメタルの叫びを上げた。



(夏大予選まであと67日)

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