第4話 祈るなら





「さきのへや、本がたくさんある。前に『図書館』ってところに行ったことがあるよ。なんだか似てるね。」

「図書館程はないけど、確かに本は好きだよ。お父さん譲りなのかな。」

「そういえば、おとうさんはどこにいるの?」


紗季は棚に並んだ本の背表紙を指でなぞりながら、うんとねー、と顎にシワを寄せた。


「今日は会社に居たな。先週は取材旅行で熱海に居たな。講演会とかしてる物書きなんだ。日本中駆け回っててね、今日は『久しぶりに早く帰ってくる』って言ってたけど…まぁこんなことはザラですわ。」

「さき、さき、その大きい本はなに?」


大きい本?と本棚を見回し、ああ、辞書のこと?と机の上にどんと乗せる。


「見たことあるよ。これで言葉を知った。」


図書館で忘れられてたんだ、じしょ。と自慢げにシイは教えてくれた。


「本が読めるの?」

「読める、というか、読んでいる所を後ろから見てたんだ。字もそうやって覚えたよ。」


でも、ジショはムズカシイ。むっとしたシイの声に紗季は思わず笑ってしまった。


「なんか読みたい本ある?私が読むよ。」


本棚の前に立つ紗季に、シイは少しの沈黙の後、それがいい、と紗季の指を使命した本まで導く。


「こ、これですか?」

「うん。だめかな?」


ダメじゃないけど…と紗季は赤面する。

というのも、シイが求めている本は漫画。しかもコテコテの恋愛もので、まながオススメするので全巻揃えた…ザ・少女漫画だったからだ。

紗季は一巻を手に取りパラパラとめくって、ええ…これは…いいけど…でも…と言葉を濁しに濁していた。


「"絵"だね。面白そうだ。」


シイはワクワクした声色で紗季をせっつく。


「わかった。わかったよ。じゃあ、ページをめくってほしくなったら読んでる手をつついて。」


うん、と嬉しそうに返事をするシイに、尻尾を振って喜ぶぐぅの姿が重なった。


「『はじまりの空の色』」


シイは題名を音読する。



主人公は美術部に属する大人しい高校生一年生の女の子。ぶっきらぼうだが学校の誰よりも美術を愛する、少し変わり者の男子部長に恋をしている。部長の言動に右往左往しながら、二人が作り出す作品を経て次第に距離を縮めて行く。


紗季がページをめくる。トントン、と漫画を読み進める紗季の手を定期的につつくシイ。無言で読んでいる…熱中しているようだ。


二巻目の冒頭にて、文化祭が近づき、主人公は大きなキャンバスに空の絵を描くという。夏休みの部合宿の際、部長と二人で見たあの景色を思い出し…改めて部長に募らせる恋心に焦がれる。


『部長が教えてくれた空は、果てしなく燃える恋の色だった。』



「こいのいろ…。」


シイが、ポツリと呟いた。


「あ、あの、それは私にもわからないので質問とかはなしでお願いします。」


紗季は先手を打ちシイに牽制する。なのに。

…うわあ、なんかすごくシイに見つめられてる気がする。「え?知らないの?」的な雰囲気をビシビシ感じる。

確かに私は夢見るティーンズではあるが、まだ恋をしたことがない。告白されたこともないし、異性を好きだと思ったことがない。周りのみんなは焦った様に恋人を作るけど、私にはよくわからない。じっくりじっくり、誰かと向き合わないとわからないものだと思うし。


「恋って、なに?色の種類?」

「ちょ、質問はなしと伝えましたが…。」

「………。」


シイの無言の圧力がヤバい。せめてもっとわかりやすい話だったらよかったのに…。紗季は複雑に眉毛を上げたり下げたりして困惑していた。


「こ…いって、誰かを好きになったり、とか…大切にしたいとか思うこと、じゃないかな。」


苦し紛れに紗季は言葉を絞り出す。

きっと広辞苑を調べても同じことが書いてあるだろう。これも間違ってはいないはずだ。

するとシイはそうか、と嬉しそうに声を弾ませた。


「なら、僕は紗季に恋してる。君が好きだよ。」






ええ!!!今??!?






「な…あ、と、ええ?」


声が喉に引っかかって出てこない。

うわうわうわ、どうしよう。顔熱。首の後ろから変な汗かいてきた。なのになんだろう、このシイのしれっとサラッと言い放ったこの感じ。妙に悔しい。


「あの、あと、えと、あ、ありがとう。」

「こちらこそ。」

「あふっ…う、うん。」


こちらこそってなんだ。恥っずかしい。紗季は大きく息を吐いて、冷静に冷静に、と自分に言い聞かせた。


「なんていうか、そんな軽々しく言わない方がいいと…思うよ。好き、とか…私には説明できないけど…。この主人公だって、それを部長に直接言えなくて色々悩んでたりする訳だし。」

「ふーん。そうなんだね。恋も好きも勉強しなきゃ駄目ってことだね。」

「た…ぶん。」


これは哲学か?純文学か?私には難しすぎる。すみません、勉強不足でした。居心地悪そうに目頭をコリコリとかき、自分の部屋なのに逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。

ふと時計に目をやると、いつも就寝準備をする時間が近づいて来ている。紗季はかき消すように、ああ!と時計をわざとらしく指差した。


「お風呂、お風呂に入らなきゃね!そうだそうだ。寝る時間が遅くなっちゃうからね。」


夜更かしはお肌の大敵だからね、と独り言でどんどん話を進め、寝巻きの準備をし始めるとシイから疑問の念が飛んできている気がした。


「おふろ。それはなに?」

「おふろの説明かぁ!うーん、汚れた体をキレイに…。」


そこまで言って、紗季はハッとする。

シイには体がない。汚れるものがない。当然汗もかかないだろうし、それだと風呂がどんなものか理解できないのでは、と言葉を詰まらせる。


「お湯のある部屋で…体を洗うんです。」


いやどんな説明やねん!と漫才師ならツッコんでいるだろう。だが、紗季にはこれしかなかった。


「そうなんだ。じゃあここで待ってるね。」

「あ…うん。お願いします。」










湯船に浸かりながら紗季ははぁ、と大きく息を吐いた。


シイは、非常に物分かりがいい。

優しくて、素直で、純粋だ。

年齢という概念があるのかわからないが、おそらく私より年上なんだと思う。それでいて、生まれたての子犬みたいに無邪気に振る舞う。

選ぶ発言は抜けているようで、何よりも冷静だ。


「あれ、これ誰かも言ってたな。」


もう、抜けてるんだか冷静なんだか…。


ああ、まなだ。シナプスを巡らせて思い出した、まなが私に放った言葉。

そう言えば昔からお母さんにもよく言われてたな。

難しいと言われていたテストで百点を取って先生に褒められた日、教材一式を学校に忘れて空っぽのランドセルで帰ったことがあった。お母さんは抱腹絶倒してたけど、私は腑に落ちなくて凄いモヤモヤしたんだった。


「私とシイは似てるんだな。きっと。」


ふふ、と音もなく笑う。

だけど、シイは何も知らない状態なんだ。これからたくさん物事を知っていく過程で、私が想像もできないくらいに成長するはずだ。

紗季はハッとした表情で水面を突き立てた人差し指で揺らす。


「そうか。シイはまだ雛鳥同然で、初めてコンタクトの取れた私に恋をしたような錯覚になってるだけなんだ。」


なるほどなるほど。そうかそうか。無理にセリフを繋げ、頷きで更に張られた湯を揺らしていく。ぶっちゃけ、今はそうとでも言ってないと整理がつかない。


あんなセリフ。思い出すだけで顔から火が出そうだ。


いやいやいや、相手はシイだし。

きゃつは何も知らぬ子犬よ。雛鳥よ。


ふはははと地響きのような女子学生とは思えぬ笑いと共に、ザバリと湯船から飛び出す。





「シイー、お風呂上がったよ。」

「おかえり、さき。そろそろ眠くなってきたよ。」


紗季はただいま〜と反射的に返事をし、寝る準備するかあと大きな口であくびをしながら呟く。


「シイはいつもどこで寝てるの?」

「どこ。眠くなったその場所で寝てる。街だったり、木のたくさんある場所で。」

「え、それって。」


雨の日も風の日も、凍える町や暗い森の中でも?


「じゃあ、今日は一緒に寝よう。」

「いいの?」

「もちろん。ほら、おいで。」


ベッドに横たわり、シイの分の隙間を空ける。放り出された紗季の手に、わずかにシイの感覚がある。


「電気消すね。おやすみ、シイ。」

「おやすみ、さき。」



ゆっくりと夢の中に落ちていく紗季の手を、シイは離さずに握りしめた。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生き証人である君へ 永洞むらさき @edomurasaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ