第3話 従うなら
「あらぁ、紗季ちゃん今帰り?」
ビックククゥ!!と肩を震わせた紗季が振り向いた先には。
「くんちはー、重村さん。まなと遊び行ってましてん。」
あまりの驚きに口が固まって変に訛ってしまった。
「シゲムラサン?この人のなまえだ。」
「しーー!ちょっと少しの間静かにしててください!」
紗季はこそこそ声で空中のどこかに牽制する。
「シイ?わかった、静かにする。」
「今紗季ちゃんのおうちにじゃがいも届けたところなのよ。んもーうちの人が紗季ちゃんにあげるから、って採りすぎちゃってホホホ。」
「いや〜、重村さんの向かいに住んでみるもんだなぁ。いつもご馳走様です。お父さんにもよろしくお伝えください。」
ぎくしゃくした動きで社交辞令を済ませる。雰囲気からして、私が空中に向かって一人で喋ってたのは見られていないらしい。
「いいのよお礼なんて。今度トマト!赤くなったらお裾分けするからね。」
「ヤッタァ!トマト大好キィ!」
うぅ、カタコトになっちゃった。怪しまれないかなぁ。最早一人で喋ってなくてももう十分怪しい気がする。
またね〜ホホホ、なんて言いながら重村さんは去った。いい人だなぁ。ちゃんとした態度取れなくて申し訳ない。
「シイ、ってなに?」
「ぉわあ!え?し、しー?何が?」
一瞬だけ、私が変な態度をとるハメになった大元のことを忘れていた。
「シイ、って言われた。いま。」
「ああ、ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて…ん?」
しーの意味、わかってないのか。
「これはぼくのなまえ?シイ、って呼んだ。」
「それは、そういう意味じゃなくて、なんというか」
「さきがつけてくれたぼくのなまえ。シイ。」
あ、笑った。あれ、なんで私そう思ったんだろう。でも。影も形も見えないけれど、そんな気がしたんだ。
彼の嬉しそうな感情が、私の心に流れてくるようだった。
「シイ、でいいの?」
「うん。もっと呼んでほしい。」
シイ、シイ、シイ。
あなたの名前は、シイ。
さき、さき。
ぼくはここにいるよ。
こんなにもわからないことだらけなのに、もっとあなたが知りたい。
「さき、夜がくるよ。家にかえったほうがいいよ。」
横殴りの夕陽が地平線へと消え、空は紫ががっていた。
「あなたの…シイのおうちは?」
「…ない。ずっとひとりで歩いていただけ。」
紗季はぎゅっと胸が締め付けられるようだった。
"さきがぼくを初めて見つけてくれたから"
紗季はよし、と唇に力を込めた。
「なら、私のおうちに帰ろう。一緒に。」
「いいの?」
「シイがどんなものかわからないけど、絶対悪い人じゃない気がする。それに、私以外シイの声は聞こえないんでしょ?なら大丈夫だよ。」
沈黙の中に不安と喜びが入り混じった感情。何もかもわからないシイは、人の家に入ったことなどないだろう。戸惑っているのが手にとるようにわかる。
だからこそ、その戸惑ったシイの手を私が引いていこう。
少しずつ、わかっていこうよ。
「お母さんただいまぁ〜。ぐぅただいま!いい子にしてた?」
玄関を開けると、白い大きな犬が駆け寄ってくる。ぎゅうっと抱き寄せて全身をくまなく撫で、ぐぅはそれに身を任せる。毎日のルーティン。
「この子のなまえはぐぅ。かわいいね。」
よしよしよし、とム○ゴロウよろしく白いふわふわの毛を撫でしきっていると、ぐぅはシイに返事をするようにワン、と鳴いた。
「ぐぅ、シイの声が聞こえるの?」
わふわふ、とまるで(わかるよ)とでも言いたげにぐぅは返事をする。
「うわぉ、早速シイを認識する生き物発見しちゃったじゃん。」
シイはうーん、とひとつ唸り、悲しいけどと言葉を繋げた。
「言葉を喋らない生き物はぼくの声が聞こえてることが多いよ。ただ、どこにいるかわからないし、返事ができないからね。」
なるほど…?動物は第六感が鋭いっていうし、そういうものなのかな。…いや第六感のくくりなのか?幽霊じゃあるまいし…いや一概に否定できない…のか?あああ、課題が多いなぁ。
「紗季ぃ、帰ったんでしょ?ぐぅと遊んでないで手洗いなさい。ご飯にするよ。」
母の一声でとりあえず今は考えるのはあとにしよう、とはーいととぼけた声で返事をし、ぐぅにご飯だってさと手を洗いに洗面所へと向かう。
「今日はね、じゃがいもがたくさん頂いたから肉じゃがよん。そうそう、重村さんからじゃがいも頂いてね?」
「ああ、帰り道に会ったよ。今度トマトくれるって。」
手を洗い終え、母が皿に装った肉じゃがをテーブルに運ぶ。
「いやだわもらいっぱなしで。トマト頂く前になんかゼリーの詰め合わせでもお渡ししようか。」
「そうね。きっと喜んでくれるよ。」
お父さん、また遅くなるみたいだから先に食べちゃお。と母はいつもの調子でご飯を並べる。
「おかあさん、おとうさん。聞いたことある。みんなおんなじなまえ?」
ギク。ここでは答えづらい。
「ぐぅ、ご飯食べたら部屋でお勉強しなくちゃね。色々ね。部屋に行ってからね。」
シイに向かってぐぅに話す。所謂エアリプというやつだ。シイに伝わっているだろうか。
「さきのへやで勉強。わかった。」
ほっ。どうやら伝わったらしい。
「宿題もう終わったんでしょ?ちょっとはゲームしてたら朝になったとかやってみたら?夏休みなんだし。いただきます。」
なんとも母親らしからぬ発言だが、これぞ私の母と言ったセリフだ。母親としては結構アウトローな線にいると思う。だが私が小さい頃からそんな感じなので、今更言及することはない。
「いえ、日々勉強ですので…。いただきます。」
「真面目ねぇ。お父さんに似て。程々にしておきなさいよ。」
すると、ふふふという笑い声。
「さきはまじめ。まじめのこと、あとで教えてね。」
紗季は大きな口で肉じゃがを頬張り、少し赤く染まった頬をなかったことにしようとした。
肉じゃがを食べ終えてどっかりと自身のベッドに座る。スマホを見ると、まなから大量の写真が届いていた。
「おー、まなはやっぱり才能の塊だな。これだけで写真集作れるよ。」
スクロールしながら思い出に浸る。
「あ、」
ふと、とある写真で指が止まる。
シイの声に気付いた、あの時の写真だ。
写真に写った自分は、驚いたような、それでいてその言葉に応えるような表情でこちらを見ている。
『きれいだ』
その言葉を思い出して…紗季は一瞬にして火が吹き出そうな程に首から上を赤らめる。
「きれいだ。とても。」
「うおおおおい!ビックリした!追い討ちかけないで!」
「おいうち?」
なんていうか、見えないからちょくちょく存在を忘れがちになってしまう。
「あああもう。そもそも、なんでシイは…その、私に話しかけたの?その、あの、そんな言葉…。」
「話しかけた。ちょっとちがうかも。ぼくの声が聞こえたことなんてないから、独り言だったんだよ。」
独り言でそんなこと言うだなんて。余計に恥ずかしいじゃないか。紗季はそわそわと前髪を直したり首をかいたりして、無意識にシイの言葉をリフレインさせてしまう。
「聞こえるとは思わなかった。ビックリしたけど、すごく嬉しかったよ。」
「そ、そうだ!シイが私を助けてくれたこと!シイが私に触れるなら、私もシイを触れるんじゃない!?」
空中を縦横無尽に掻くように、紗季はシイを探す。
「シイ、どこらへんにいるの?」
「わからない。でもさきは見えてるよ。」
「全然感触がないんですが…あ。」
ふわり、と頬に指の背の感触。優しく、壊れてしまいそうなものに触れるかのように、恐る恐る撫でられる。紗季はその指を追いかけるように自分の頬に触れるが、そこには何もなく、自分の指の感触があるだけだ。
「どうして…?」
「…わからない。でもぼくはさきに触れて、さきを助けることができた。」
「私もシイに触りたいよ。」
紗季は手を前に差し出すが、そこには何もない。
伸ばした指を、そうっと握り締められる。ゆっくりとその手を握り返すのに、紗季の指は空を掻くだけだ。
「さきの手は温かい。これが、温かいってことなんだね。」
切なくて、苦しくて、やるせない。
シイの優しい声が、余計に紗季をそうさせた。
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