あちらの世界の歩き方
「やあ、マスター。お見舞いに来てくれたのかね?」
白い壁に豪勢なタンスやテーブル、椅子。
絨毯が敷き詰められ、窓際には濃いワインレッドのカーテン。
その横に、病室の物とは思えないキングサイズのベッド。
そこに横たわる老人は、VRゴーグルを付けたまま笑顔で客人を出迎えた。
客人は少年。
ふわふわの白髪と、金の瞳。
不敵な笑みを浮かべ、老人に歩み寄る。
「報告だよ。君の奥さん……いや、君の奥さんと、君の人格データを投影したNPCは『個体』として自立を始めたようだ。次のステージでの活動を継続させる事にしたけれど、問題ないかい?」
「もちろんだとも! 見ていたからね! ああ、きっと妻も喜んでいるさ! ……これで私も安心して妻の下へ逝ける」
「まだ死にそうにないようなのにねぇ」
老人は心から喜んでいた。
この『実験』に私財を全て投じた甲斐があったというもの。
自身と自身の中の思い出の『妻』の人格データを、ゲームのNPCにゆっくりと投影して彼らを『個人』……つまりは『自分たち』にするという実験。
しかしこれには問題も多い。
自分は自分の人格のままゲームをプレイすれば良いのだが、彼の中の『妻』は彼の記憶の中のものでしかない。
彼女が持つマイナス面を、彼は本当の意味で理解していないのだ。
だからとても苦労した。
申し訳ないと心の中で謝り倒しながら、ゲームの中の彼女には辛い思いを繰り返させてしまったのはその為だ。
彼女に、彼女自身に『闇』の部分を与えなければきっと『彼女』にはならない。
人間とは表があれば裏もある生き物だからだ。
そうして初めて『人間』になれる。
……しかし。
「……まあ、でも、なんだかやはり別人のようになってしまったなぁ」
「そう?」
「ああ、大分似てはいるんだよ? けどねぇ、端々がちょっとずつ違うんだ。……ふふふ……でも、若い頃の彼女に似せた彼女が幸せそうに笑ってるのを見るとこっちまで幸せになるよ」
「ふーん?」
「……うん、我々夫婦のコピーというよりも……なんかもう娘と息子が幸せになったのを見届けた気分だ」
「……そう。……あれ? ではご希望には添えなかった? でもやり直す時間は——」
「やり直さなくていいよ。十分だとも!」
「……まあ、彼と彼女のバックアップは取ってあるので、今後も別な実験……じゃなかった、ゲームなんかで使わせてもらう事になるだろうけれど」
「ああ、それも約束通り構わない。存分に活躍させてやって欲しい。……彼女には仕事を辞めてもらってしまったからなぁ……きっともっと働きたかったと思うんだ」
「ん。了解だよ。ではそのように。……他になにかあるかい?」
他に、と言われて老人はVRゴーグルを外す。
そして、目を閉じて思い浮かべる。
若い頃に出会い、恋をして、結婚して、苦楽を共にしてきた彼女との思い出を。
子どもたちは成人するとさっさと家を出て行き、時折戻ってきて口を開けば「金」「金」「金」……。
無駄に築いた資産を食い潰す事しか頭にない。
とても彼女と自分の血を分けた子どもたちとは思えなくなっていた。
そんな頃に、彼女は突然交通事故に巻き込まれて亡くなった。
人を恨むような人ではなかったが、子どもたちがそれを機に「遺産についての遺書を……」と言い出したので更に絶望したのだ。
そして、この計画に参加する事にした。
妻と自分の『人格』をゲームのNPCに移植していく実験。
AIに自身の言動を学習させ、コピーさせる。
そうして永遠にデータとして、仮想世界で彼女と共に生きていくのだ。
煩わしい事はなに一つない。
ただ、彼女だけを愛していられる世界で、彼女だけと……。
けれど、彼女と自分の人格を移植したAIは自身で学習を繰り返し、思った通りには育たなかった。
とても近い、別の誰か。
特に彼女にはその傾向が強い。
無理もない。
彼女に植えた情報は自分の中の『思い出の彼女』だけ。
どう頑張っても彼女ではない自分に彼女を模する事は出来なかったのだ。
それでも彼女が自分の人格を移植したNPCを選んでくれた事には心から喜びと幸福を感じる。
また選んでもらえたのだという、この言い知れぬ幸せを。
更にそれ以上の願いが、果たして自分の中に残っているのだろうか?
目を閉じたまま考え続けるが、もう、まるで絞り出せない。
出るとしたら一つだ。
「いいや、ないな。……あの子たちが幸せに過ごしてくれればそれで良いよ」
「…………そう」
「ああ……もう本当に…………なにもないな」
「そう。良かったね」
「ああ。ありがとう」
「こちらこそ、
「…………」
消えていく少年の姿に微笑み返す。
本当に、空っぽになってしまった。
しかしなんとも充足感に満ちている。
「…………………………」
また君と未来を歩もう。
打倒! ドMヒロインVS悪役令嬢なわたくしの奮闘記ですわ! 古森きり@『不遇王子が冷酷復讐者』配信中 @komorhi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます