メドゥーサ

 樹木ロケットは切り株から離れた瞬間、コウスケのアマルの補助により内含した水分を噴射して加速、落下する錆蟹の甲羅下部へ過たず直撃した。

 巨大な金属を打つような甲高い音と共にバキバキと木がひしゃげ裂ける音が聞こえてくる。だが、アマル強化された樹木は完全に粉砕することなく、半分ほどが原型を留めていた。

 むしろ、割れた木の幹に胴体が食い込む形となり、アマルと水の噴射で打ち上げられる勢いから、錆蟹は逃れられなくなっていた。

 ぽかんと口を開けて見上げていたミーリュは、しかし何かに気付いて慌てる。


「か、蟹もアマルを噴射して、押し返してます! 木のアマルはもう尽きちゃう!」


 錆蟹は甲羅上部からアマルを噴射し、木の推力を押し返そうとする。だが、コウスケは右目を細めて笑った。


「かかか、思うつぼというやつじゃ」


 いきなり木の下部で小さな爆発が起きた。コウスケが金槌で最初に叩いた場所だ。

 その小さな破裂によって木に横からのモーメントが加わり、木と錆蟹は大きく傾いた。その状態でアマルの尽きた木の噴射は止まり、錆蟹は傾いたまま斜めに加速、落下していく。

 地面と錆蟹に挟まれた木は完全に砕けてしまうが、錆蟹は自分の加速のせいで地面に深くめり込んだ。


「サラ!」

「はあああああっ!!」


 それまで静かに集中してアマルをタメていたサラが、裂帛の気合と共に大きく踏み込む。


「心天六功絶技!」


 地面にめり込んでもがく錆蟹の甲羅にサラの後ろ回し蹴りが当たった瞬間、大きな爆発と共にその巨体が真横に吹っ飛んだ。

 しかし、その爆発では甲羅の表面が軽く欠けただけで、大したダメージにはなっていない。


「剛龍絡崩堰!」


 直後、錆蟹の甲羅が内側から破裂した。その爆発は先程よりもはるかに大きく、錆蟹の胴体部分は半分以上が砕けて吹き飛んだ。


「おお!? 流石に言うだけあってやるのう!」

「は、はは……あ、あったりまえじゃん……ハァ、ハァ……」


 その技の消耗は大きく、サラはその場に膝を突いて大きく肩で息をする。

 コウスケがサラに駆け寄り、二人は互いに笑顔で拳を突き出し合い、こつりとぶつける。


「えへへ……」

「ま……まだ!」


 すっかり気の抜けた二人の横を駆け抜け、ミーリュが錆蟹へ向かっていく。

 甲羅と共に胴体の大半を砕かれた錆蟹は、しかしまだ崩れること無く足を蠢かしていた。

 じわじわと胴体の修復も始まり、爪で近くの木を掴んで起き上がろうとする。


「大人しくやられておかんか……くぅっ……」


 慌ててコウスケが駆け出そうとするが、くらりと目眩を覚えて足踏みする。彼も木をロケットに作り変えるためにアマルをかなり消耗していた。

 緩慢な動きながら復活しようとしている錆蟹に、コウスケは胸を抑えながら焦りの表情を浮かべ、足を引きずるように近づいていく。

 だが、ミーリュがさっと手で彼を制する。


「いまなら……わ、私でも……! み、右目を使います!」

『っ! コウスケ、ミーリュの前には出るな! 彼女の視界に気をつけろ!』


 アレックスの切羽詰まったような声にコウスケは従いつつ、彼女の背中を心配そうに見やる。


「彼女一人で大丈夫なんかの? ミーリュの魔眼は、見るだけの能力では?」

『それは左目、“観測の魔眼”だ。右目の能力は……』


 ミーリュは左目を閉じ、右目を見開いた。その瞳が、ほの青い輝きを放ち始める。


「“干渉の魔眼”……!」


 ミーリュの前にあるものがすべて一斉に色褪せたように、コウスケには見えた。

 木や地面はもとより、錆蟹の表面も、黒っぽい錆色だったものがじわじわと白っぽい灰色に変わっていく。

 錆蟹の動きがさらに遅くなり、油の切れた機械のようにギシギシと軋んだ音を立て始める。


「これは……」

『彼女の右目はアマルを止める力を持っている。アマルを止められた物体は、石化したように灰褐色になり、完全に固まってしまう』

「なんと……この力を使えば、もっと楽に倒せたのではないか」

『いや、この力は文字通り、彼女の目に見えるモノだけにしか働かない。巨大な物体であれば、表面には干渉できるがその内部まで力を及ぼすには時間がかかってしまう』

「素早く動かれると、表面しか石化できないということか」

『その上、視界に入っているモノすべて無差別に石化してしまう。彼女自身にも対象を選ぶ事はできない』


 さっきまでぴょんぴょんと元気に飛び回っていた錆蟹を、ミーリュが石化能力を振り回しながら目で追う様を想像して、コウスケは項垂れた。


「う、うぅ……っ」


 ミーリュが苦しそうに呻き、右目を閉じてがっくりとその場に座り込んだ。

 少し遅れて、すっかり灰褐色に染まり動かなくなった蟹の石像が、さらさらと崩れて消えていく。


「はぁ……はぁ……や、やったぁ、やりましたよー」

「おう、すごいじゃないか、ミーリュ。もっと自信を持ってええんじゃないかの」


 コウスケが右目を細めて拳を差し出すと、ミーリュは少し戸惑いつつも、拳をぶつけ返した。


「それにしても、使い勝手が悪いとはいえ凄まじい能力じゃ」


 コウスケの見つめる先、焦錆獣が消えた後にはその一帯だけすっかり石化した林が残っていた。

 木に触れると表面はすぐに砕け、その中まで石化していた。軽く風が吹くだけでパラパラと剥げ落ちていく。風化してそこだけなにもない空き地になるのに、そんなに時間はかからないだろう。


『ミーリュ、疲れているところ悪いが、屋敷の様子を見ることは出来るか?』


 勝利の余韻に浸る間もなく、アレックスがミーリュを急かす。


「うう……人使いが、あ、荒い……」


 そうぼやきつつも、左目で屋敷の方角を見た彼女は、思わず立ち上がって叫んだ。


「も、もうカテゴリーⅣが三体もいます!」


 お互いの引きつった顔を見て、誰ともなく嘆息する。


「さすがにもうワシらの手には負えんと思うぞ……」

「だよね……援軍は?」

『ついさきほど、バリンドンが帰還した。負傷しているので治療が必要だ。あとは、もうすぐエルノとレールが帰還できるそうだ。他のクルーも何件か順調だと連絡があった』

「じゃあ、そのカテゴリーⅣは任せても良さそうかな」


 サラがそう言って胸を撫で下ろしたところで、周囲を見ていたミーリュが何かを見つける。


「……あ、れ?」

「今度はなんじゃ?」

「林の外から、人間が……近づいて、きてます」

「なんじゃと、こんな辺鄙な場所に?」

「その辺鄙な場所に住んでる人がいるみたいだけどね」

「白い車に……お婆さんが一人、乗ってます」

「そいつはまさか……ヨシエさんか!?」

「知り合い?」

「ああ……ワシに会いに来たとしたら、このまま屋敷に行ってしまうぞ!」


 コウスケは泡を食ったように駆け出し、サラとミーリュも彼を追った。

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願い焦がれるアマル・ガム ブラインド @blind_alley

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