選ばれた子、選ばれなかった子 最終話
「正式な許可が下りたよ。きちんと埋葬していいって」
桃花は徐林の背中にそう声をかけた。
その向こうには盛り上がった土が見える。
「そうか、ありがとな」
徐林は礼を言いながら、地面に花を置いた。父の墓前に供えたのだ。
ここは徐林の村のはずれなのだが、この土の中に夏侯淵の遺体が眠っている。
漢中を支配する劉備にとっては敵の遺体ということになるから、きちんとした墓を建てられなかったのだ。
だからとりあえず土に埋め、今日まで花だけ供えてきた。
「さすがに桃花が動いてくれたら話が早いな。助かる」
「私っていうか、旦那が劉備様に掛け合ってくれたんだけどね」
夏侯淵は桃花の親族で、張飛は妻の桃花を大切にしている。
劉備もそれは分かっているから、特に異論もなく埋葬を許可してくれた。それに遺体を悪く扱っても敵の憎しみを強くするだけで損しかない。
劉備は夏侯淵を破り、漢中を手に入れた。残された曹操軍は張郃を代わりの大将に立て、整然と撤退していった。
ちなみにその翌月には曹操自身が取り返しに攻めてきたのだが、これも上手く撃退している。
漢中は完全に劉備のものとなった。
夏侯淵が死んだ後、徐林たちが心配していた兵からの乱暴はなかった。それどころか手厚く保護されたほどだ。
というのも、あの後すぐに徐林が黄忠との接触に成功したからだ。
元暗殺者の技能でもって黄忠に声が届くところまで潜み行き、
『黄忠様!いつかお会いした張飛様の妻の従兄です!!』
と大声で呼びかけた。
もちろん夏侯淵を殺した黄忠に対して何も思うところがないわけではない。
しかし実父が養父を殺したのと同じように、戦でのこととして受容しなければならないと理解できている。
それに黄忠の澄んだ瞳を思うと、決して憎しみで殺すような人間でないとよく分かるのだ。
その黄忠は老齢とはいえ記憶力が良かったし、徐林の髪が一筋白いのもその記憶を手助けしてくれた。
自軍の重鎮の姻族ということで、すぐに護衛の兵が配備された。
その後、戦が終わってからも特に問題なく過ごせている。赤子は順調に育っているし、雹華の産後の肥立ちも良い。
村人たちも戻ってきて、また元の平和な生活が始まった。
そんなある日、桃花が村に現れた。張飛から話を聞き、漢中が落ち着いたのでやって来たのだ。
『出産祝いに来たよ〜』
そう言って、山ほど祝いの品を運び込ませた。
本当にめでたいことだと思ったし、桃花は普通でない人生を歩んできた従兄のことを心配していた。
徐林は素直に礼を伝え、それから夏侯淵の墓について相談した。
『とりあえず埋めるだけ埋めてあるんだけど、俺からきちんと墓を立てたいって言うのは怖くてさ。桃花に頼めないか?』
徐林は村長として、支配者の機嫌を損ねてはいけないという配慮がある。だから申し出るのを控えていた。
しかし桃花は結構な立場の人間だから、それくらい言ってもらっても問題なかろうと思ったのだ。
そして正式な許可が下りたので、桃花はそれを伝えに来ている。
「墓地の場所はどこでもいいって言われたよ。ここにこのままお墓を立ててもいいし、私の家の近くに埋葬し直してもいいし。どうする?」
「ならここを墓にさせてもらうよ。そしたらいつでも孫を見せに来られる」
「そうだね。伯父様もきっと喜ぶよ」
桃花は初め、夏侯淵に対する徐林の態度の変化に驚いていた。
生き地獄を味わわせたいと言っていたのに、すっかり逆を向いてしまったのだ。
ただし、憎まれ口は変わらない。
「こいつ、孫の世話も手伝わずに死んでしまったからな。せめて村の守り神として働いてもらえるよう、廟でも作って
要は、これ以上ないほどしっかりと供養してやろうと言うのだ。
それに夏侯淵は祀られても全くおかしくないほど人並み外れた戦績・功績を残している。一部地域ではこの男の名を出すだけで脅しになるほどだった。
事実、この後建国される魏では三代皇帝の時に功臣の一人として祀られることになる。
しかし桃花は伯父のことより、従兄の言うことに笑った。
「子育てって大変でしょ。猫の手も借りたいくらいだよね」
「そうだな。でもすごく満たされる」
徐林は自分の胸に手を当てた。
父を失って以来ずっとそこに穴が開いていたのだが、子供がその穴を暖かく埋めてくれたように思う。
「あ、それ分かる。子供がいると幸せなだけじゃなくて、満たされるんだよね。自分の人生に満足できるっていうか」
「そうだな。そんな感じだ」
二人が満足げに笑っているところへ他の声がかかった。
「徐林殿、お久しぶりです」
声の方を向くと、何年かぶりに見る顔があった。
許靖だ。
この男の今の役職は鎮軍将軍ということになっているのだが、実際には主に人を鑑ている。
漢中にも人材発掘のために来ていた。
「あ、そうだった。許靖様が綝に会いたいっておっしゃるからお連れしたよ。覚えてるよね?」
徐林は桃花の問いに大きくうなずいた。
会ったのは一度きりだが、あの時に言われたことを何度も思い出す機会があったから忘れようもない。
「もちろん。俺も許靖殿にもう一度会いたいと思ってたんですよ。俺の瞳に映るものがどう変わったのか、聞いてみたくて」
許靖はあの日、結婚して子をもうけることを勧めていた。
徐林は実際にそれを為したから、会って変化を確かめたかったのだ。
そしてそれは許靖の方も同じで、悲しい「天地」をした徐林のことを気にかけていた。
それで機会があったので、また会いたいと思って桃花に声をかけたのだった。
許靖は徐林へ柔らかな笑みを向けた。
「私の方も徐林殿の瞳を見たくてお邪魔しました」
「ありがとうございます。以前の俺の瞳には、『親を求めて荒野をさまよう子供』が見えるとおっしゃってましたよね?」
「ええ、その通りです」
「でもきっと、今は変わってるでしょう?」
徐林自身、そうだろうと思う。
自分は変われたと思っていて、だから余計に話を聞きたいと思っていたのだ。
許靖は首を縦に振ってそれを肯定した。
この男は間違いなく変わっている。それはひと目ですぐに分かっていた。
「そうですね。あの時はあまりないくらい胸の痛くなる光景でしたが、今はむしろよく見る光景になっています」
「よく見る光景?それはつまり、ようやく俺は人並みになれたってことですかね?」
「いいえ」
と、今度は首を横に振って否定した。
「それは確かによく見る光景なのですが、これほど幸せで満された光景も他にありません」
「……?」
徐林と桃花はわけが分からず顔を見合わせた。
その話通りだと、満たされた幸福がそこら中に転がっていることになってしまう。
「それは一体……」
「どんな光景なんですか?」
問われた許靖は幸せそうに、それでいて満足そうに微笑んで答えた。
「親が子の手を引き、道を歩む光景です」
それを聞いた従兄妹たち、幼い日に別れてからまるで異なる道を歩んできた二人は、
「「ああ」」
と、不思議なほど一様に納得できた。
全く違う価値観を育てたはずの二人が、全く同じように感じられたのだ。このことは人の本能の為せる業か、愛の普遍性というべきか。
それは確かにありふれていて、しかし間違いなく幸せで満たされた光景だった。
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