呂布の娘の嫁入り噺37
「開門!!」
という声とともに、
それと同時に、呂布の騎馬隊が雪崩をうって飛び出してくる。向かう先は城門に取り付いた曹操の攻城部隊だ。
しかし、いきなりそこへ突撃したりはしない。敵部隊の周りには
「縄をかけろ!!」
呂布の声に従って、数騎の部下がかぎ爪の付いた縄を投げた。
こういう訓練は繰り返し行っているから、ほとんどのかぎ爪は逆茂木にしっかりと引っかかった。
「引け!!」
騎馬なのだから、当然引く力は強い。逆茂木の多くは除かれて、敵兵たちの顔が恐怖に引きつるのが見えた。
「突撃!!」
呂布は自身が先頭を駆け、突っ込んでいった。
その後ろには龐舒だけでなく、玲綺の騎馬も付いている。厳しい籠城戦において、少しでも戦力になればと思い自ら志願したのだった。
敵部隊はすぐさま密集して長槍を突き出した。怯えているとはいえ、騎馬隊への対処は事前に叩き込まれている。
が、少なくとも『人中の呂布』に対し、その努力は無駄だったようだ。
戟の一振りで長槍の束は弾き飛ばされ、二振りで多くの兵たちが絶命した。
普通ならこの穴を広げることによって敵部隊を崩せるだろう。しかし曹操は過剰なほどの騎馬対策を施しているから、すぐに次の
(もう一段抜かないと崩せない!!)
龐舒と玲綺は同時にそう認識し、馬足を落とした呂布の前に出た。
ヒュッ
と風を切る音がして、まず玲綺の鉾が振られた。それは槍衾の間を縫うように流れたが、実際には微妙に力を加えて槍同士を絡めている。槍衾に人一人分ほどの隙間ができた。
そこへ龐舒が鞍を蹴って飛び込む。
空中で戟を投げて一人を仕留め、同時に剣を抜いた。そして着地した時にはさらに二人を斬り倒している。
乱れた敵中に玲綺の騎馬も踏み込み、容赦なく鉾を突き出した。
確実に急所を襲うその乱れ突きは、僅かな動作で死体を量産していった。
龐舒も剣を振るいながら素早く周囲を見回す。そしてさらにもう一段の槍衾が出来かけているのを見つけた。
(もう一段か……)
もはや気分が悪くなるほどのしつこさだったが、その気分はすぐに晴れることになった。
部隊が密集する前に赤兎の俊足が届き、呂布の戟によって粉々に砕かれたのだ。
「敵は崩れたぞ!押しまくれ!」
と、呂布が叫んだ直後、敵部隊の指揮官も叫び声を上げた。
「撤退!!退け退け!!」
防衛線を突破されたとはいえ、鮮やかなほどの引き際だった。明らかに早めに引くよう指示を受けている。
兵たちも抗戦を命じられるよりはよほど良かっただろう。このまま意地になって戦っても鬼神の殺戮に巻き込まれるだけだ。
敵は攻城兵器などの重いものは捨てて、ほとんど身一つで駆け出した。
陣形もなにもない。完全にただの潰走で、呂布の騎馬隊はそれを後ろから討っていった。
龐舒も馬に乗り直し、戦果を拡大すべく疾駆した。
玲綺もそれに並んで馬を駆けさせる。戦場では念のため、龐舒と共に行動するよう父から命じられていた。
「この部隊くらい殲滅させられるかしら?」
玲綺の質問に、龐舒は呂布の後ろ姿だけを見て答えた。
「……ちょっと難しいかもね。呂布様の駆ける速度が少し遅い気がする」
「なんで遅くしてるの?」
「すぐでも反転できるようにしてるんだ……ほら!」
二人の視線の先で、呂布は腕を振って部隊の反転を命じた。
騎馬隊は方向を変え、まだ残っていた敵兵たちは九死に一生を得た。
玲綺と龐舒が進路を変えながら逃げていく敵の方を見ていると、それを挟むようにして左右の林から敵の歩兵隊が現れた。
そのまま進んでいたら、呂布の騎馬隊は挟み撃ちにされていたのだ。
「僕には全く見えなかったけど、呂布様には見えてたんだろうね。それとも肌で感じてたのかな」
普段は龐舒の呂布びいきに苦笑することも多い玲綺だが、今日ばかりは実感とともに首を縦に振るしかない。
「戦場にいると、お父様の凄さがよく分かるわね」
「本当にそうだよ。でも敵の曹操も凄い。ああやってちゃんと備えをして被害を最小限に抑えてるんだ。抜け目ない敵で、やりづらいよ」
龐舒の言った『やりづらい』というのが呂布陣営全員の感想だった。
戦いにおいて相手の得意なことをさせないのは基本ではあるが、曹操はそれが度を超えて徹底していた。
何重もの騎馬対策を施し、早めに退却させ、そこへ伏兵を用意しておく。こういう状況では騎馬隊で戦場を乱し、切り崩すという呂布の本領は発揮できなかった。
(結果、こうやってたまに城から出て攻城部隊を散らすくらいしか出来ないんだよな)
とはいえ、それも籠城戦では重要なことではある。
騎馬隊は罠に気をつけつつ、いくつかの攻城部隊を散らしてから
城門の内に入ると呂布は部下に休息を命じ、自身は城壁の上へと登って行った。曹操軍の状況を見るためだ。
龐舒と玲綺もそれについて行く。
城壁から遠く見渡した龐舒は、軽い吐き気を催した。
「なんか……逆茂木を足してるような……」
玲綺もうんざりした声でそれに応じる。
「そうね、今までよりも分厚く設置してるみたい……何がなんでもお父様の騎馬隊を働かせたくないんでしょうね」
「それは分かるけどさ、今でも曹操の城攻めは鈍重なのに、この上さらに動きづらくするなんて」
その点は守る側の下邳城にとってありがたい状況にはなっている。敵は城攻めが仕事なのに、守るための装備がかさんでしまっているのだ。
とはいえ、そもそも城攻め自体あまり機動力を求められない仕事だ。
やはり得手を発揮できない呂布の方が不都合は大きいし、そもそも籠城戦を強いられている時点で分が悪いのは間違いない。
その呂布は無言で曹操を軍を睨み続けている。
そこへ、戦場とはかけ離れた明るい声がかけられた。
「三人ともお疲れ様。怪我はしなかった?」
現れたのは魏夫人だ。兵に伴われて城壁の階段を登ってくる。
腕には愛犬の
「お母様に、貂蝉も」
「奥様、どうされたんですか?」
「お散歩中に三人が上がって行くのが見えたから、兵隊さんにお願いして私も上がらせてもらったの。今日の攻撃はもう終わったんでしょ?」
呂布の騎馬隊に散らされ、曹操軍はすでに引き上げていた。今は遠巻きに包囲をしているが、時間的にも今日の城攻めは終わったと考えて間違いないだろう。
「いい天気ねぇ。お城の風水師さんは近いうちに雨が降るって言ってたけど、今日はとっても気持ちのいい空だわ」
魏夫人の場違いなほどの明るさに、龐舒も玲綺も笑みをこぼした。
自分たちは地を見て気分を暗くしていたが、魏夫人は天を見て明るく笑っている。
呂布は龐舒たちのようには笑わなかったが、目を細めて小さくつぶやいた。
「お前と一緒になれて本当に良かったよ……」
あまり聞かない台詞に龐舒と玲綺は驚いて振り向いたが、呂布はすぐに背を向けてその顔を見せなかった。
ただ、魏夫人と二人きりの時は意外とこんなことも言っているのかもしれない。魏夫人は娘たちのように驚きはせず、ごく自然に言葉を返した。
「私だってそうよ。でも、そんなお別れの挨拶みたいなこと言わないで欲しいわ。縁起でもない」
そうは言ったものの、魏夫人も夫が明日には骸になっているかもしれないという現実は理解している。だからこそ、こうやって明るく振る舞っているのだ。
「あーあ、早く戦が終わってお城から出られるようにならないかしら。私ね、春になったらちょっと遠出して、丘の上のお花畑でお昼ごはんを食べたいのよね」
呂布たちが籠城戦をしている今の季節は冬だ。
日本では冬来たりなば春遠からじ、などと言うものの、籠城戦の一季節は永遠と言っていいほどに長い。
だから呂布も、それが夢の話であるかのように答えた。
「いいぞ、春になったら連れて行ってやる。それこそちょっと遠出という程度ではなく、この国の花の名所を全て回ってやろう」
「ふふふ……それは素敵な提案ね。じゃあ私はあなたがこの乱世を終わらせる日を楽しみに待ってるわ」
「ああ、そうしていろ」
呂布は遠く、今度は地ではなく天を眺めながらそう言った。
それから四人は柔らかな日差しの中、他愛もない話をした。
視界の中には自分たちを攻めてくる軍隊がいる。しかしそんなことを感じさせない暖かな雰囲気が四人と一匹を包んでいた。
(いつまでもこんな時間が続けばいい)
龐舒はそう思いながら笑った。
そしてそれは他の三人も同じ気持ちだったろう。ごく自然な表情の中に、全員がかけがえのないものを見い出している。
しかし、やはり今は戦の最中で、こんな時間がいつまでも続くことはなかった。
兵が駆け足で階段を登ってきて、四人と一匹の時間は遮られた。
「呂布様、急ぎ議事堂までお越しください」
兵はかなり走ったようで、息を切らしていた。冬の寒さにも関わらず、額には汗も浮かんでいる。
「どうした?軍議の時刻にはまだ少しあるだろう」
「それが……高順様と陳宮様が言い争いをしておられまして……」
呂布は小さくため息をついた。
高順と陳宮は仲が悪い。
呂布としては当然困ることだったが、それも二人の背景を考えると仕方のないところもあった。
高順は呂布に対して極めて忠誠心の高い、生粋の武人だ。
対する陳宮は反乱に関わったことすらある、頭脳派の軍師だ。
正反対の二人だから平素から互いを敵視しており、意見が割れることも多かった。
「今日の喧嘩は何だ?降伏の是非についてか?それとも俺が城外で補給路を乱す作戦についてか?」
ここの所、軍議ではその二点についてよく議論がなされている。
一点目は曹操への降伏についてだが、実は呂布は早い段階から曹操への降伏を積極的な姿勢で検討していた。
この現実主義者は『最後の一兵になるまで戦う』といった迷惑な価値観になんの魅力も感じていない。自分も部下も無駄死にするくらいなら、降伏すべきだと考えている。
(それに、曹操と俺が組めばこの乱世の終息は早まる)
そういう自負心もあった。
(曹操が歩兵の指揮を取り、俺が騎兵を率いるのだ。もはや天下に敵はおるまい)
もちろんこの場合、呂布は曹操の下風に立つことになる。しかし曹操の天才ぶりを目の当たりにすると、それも悪くないと思えるのだった。
もちろん部下たちにとっても無駄死には避けたいことだから、降伏を支持する声は多い。
が、これに強く反対しているのが陳宮だ。
陳宮は元々曹操の臣下だったが、裏切って呂布に
(それに、陳宮の語る勝ち筋もあながち願望から来る妄想ではない)
呂布はそうも思っていた。
曹操は呂布の他にも敵を抱えているから、長期の攻城戦には耐えられないということを陳宮は強く主張していた。
下邳城はすでに三ヶ月を守り抜いている。苦しいが、すぐに落ちるというほどの状態でもない。
曹操は騎兵対策で攻撃力を弱めているとはいえ、もう少し早く落とせる見通しを持っていたらしい。捕虜からは、曹操がかなり焦っているという情報が入ってきていた。
しかし高順と陳宮の喧嘩の原因は、そういう降伏についての議論ではなかった。
「補給路を乱す方です」
兵はそう答え、呂布はまたため息をついた。
「あいつらは……それだからその作戦が難しいのだと分からんのか」
その作戦とは、呂布の騎馬隊が城から出て身を隠し、ゲリラ的に曹操の補給部隊を襲うというものだ。
補給路を乱された遠征軍は、籠城する側に負けず劣らず苦しくなる。これは知恵者と言われる陳宮の発案だったが、確かに効果のありそうな作戦だった。
ただし、当然呂布不在の下邳城は残りの将校たちで守らねばならないのだ。中枢の指揮官二人が不仲では、留守にするのに不安が残る。
龐舒がその話になったのを聞き、おずおずと口を出した。
「それだけじゃなくて、陳宮様が裏切るという噂が流れてますよね……実際のところ、どうなんでしょうか?」
陳宮は過去に呂布への反乱に関わっていたこともあるから、城内ではそのように噂されていた。
真偽のほどは分からないものの、特に龐舒と玲綺はこの噂に関して警戒をしている。
「呂布様の家族を裏切りの手土産にしようとしてるなんて話も聞きますから、ちょっと怖いなと思うのが正直なところですけど……」
仮にこの戦で曹操が勝つと仮定した場合、陳宮が生き残るための道は非常に少ない。その一つが手土産を持参しての裏切りだろう。
拘束した呂布の家族を連れて曹操のもとに降るというのは、あながち無い話でもないように思える。
『そのために呂布様を城外に出す作戦を立案したのでは?』
などという噂が立てられていれば、龐舒たちも警戒せざるを得なかった。
呂布もその疑惑を完全に否定するだけの材料を持ち合わせていないから、注意はしていた。
「俺も気を付けてはいるが、今回の籠城戦で陳宮の知恵が役に立っているのも確かだ。俺の配下には将として優秀な人間は多いが、軍師がやれそうな切れ者はいない。結局のところ、気をつけながら使うしかないだろう。俺が補給路を乱す作戦を了承していないのも、実際のところ陳宮への警戒があるからだ」
呂布は伝令に来た兵に聞かせるつもりでわざわざそう言った。そういう言動が陳宮に伝われば牽制になるだろうと考えてのことだ。
しかしそこまで考えない魏夫人は、夫の言うことを素直に申し訳ないと思った。
「私たちの安全を気にかけてくれるのは嬉しいけど、こっちのことは気にしないで。あなたはあなたらしく、思いっきり暴れてくれればいいわ」
「まぁそう言うな。俺にも人並みに守りたいものくらいある」
「あらそう?長安では何も言わずに私たちを置いて行っちゃったじゃない。龐舒ちゃんが匿ってくれてなかったら私も玲ちゃんも、貂蝉ちゃんだってこの世にいないわよ」
もちろん魏夫人は冗談でこれを言ったつもりだ。
しかも魏夫人の腕の中の貂蝉がまるで同意するように、
「ワン!」
と鳴いたものだから、呂布も珍しく声を上げて笑ってしまった。
「ハッハッハ!そうだな、今さらだ」
「そうよ、今さらよ。だから、こっちは気にせずやってちょうだい」
そんなふうに和やかな会話になってしまったのだが、伝令に来た兵は急いでいるのだ。
喧嘩の仲裁をして欲しいのだから、本音を言えばすぐにでも走り出してもらいたい。
「あの……呂布様、そろそろ……」
と、兵が声をかけた時、別の兵が階段を駆け上ってきた。
しかもこの兵もかなり急いで来たようで、同じように息を乱している。
「りょ……呂布様!で、伝令です!!」
兵は言葉を詰まらせるほどに急いでいたが、呂布はむしろその様子にうんざりした気分になった。
「どうした?ついにあの二人が殴り合いでも始めたか?」
もしそうならば高順の圧勝だろう。
そんなことを考えていたが、伝令の内容は予想とは全く違っていた。
しかも、圧倒的に良い方向に違っていたのだ。
「本日捕らえた捕虜から情報を得られました!!曹操はすでに撤退の意向を固めつつあり、ここ数日はその方向で軍議が進められているとのことです!!」
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