呂布の娘の嫁入り噺36
龐舒は使者の役目を終え、無事に劉備のもとから帰った。
が、しばらくしてそれを後悔することになる。
(劉備様に言われた通り、あのまま公認の間者として働かせてもらえばよかった)
龐舒がそこまで思った理由は、劉備のいる
龐舒が訪問してからさほど時を置かずして、呂布と劉備は戦闘状態に入った。
(曹操との対立を覚悟しないといけないから、本当はもう少し開戦を遅らせたかったけど……)
それが呂布陣営の本音だったが、この乱世には戦の火種などいくらでも転がっている。
呂布軍の中に裏切りを計る者がいて、十数頭の馬を奪って劉備のもとへ逃げようとする事件が起こった。
この事件への劉備の積極的な関与は不明だ。しかも馬は途中で奪い返すことに成功している。
しかし、どちらにせよ劉備が最も近い脅威であることは間違いないし、こういう事があるとただ黙ってもいられない。呂布は劉備の小沛を攻めることにした。
城攻めに派遣されたのは呂布軍きっての勇将、張遼と高順だ。
しかし劉備の守る小沛城は、この二人の猛攻に半年間も耐えてみせた。
(もし僕が間者として入り込めていたら、何か出来たかもしれなかったのに)
無器用な龐舒がそう後悔するほどに、劉備の軍は硬かった。
ただ、劉備にとってもこの戦の経過は不本意なものだったろう。というのも、期待していた曹操からの援軍が呂布軍に打ち破られたのだ。
援軍として送られたのは
ちなみに隻眼の将としてよく知られている夏侯惇だが、その片目を失ったのがこの戦いだ。流れ矢を受けたのだという。
この一戦自体は呂布対曹操の前哨戦のようなものだが、そういう意味では三国志の中でも色鮮やかな一戦と言えるだろう。
そして劉備、夏侯惇の敗戦を受け、曹操は本腰を入れて呂布を滅ぼす決心をした。小手先の派兵では呂布は潰せぬと判断し、自ら大軍を率いて兗州を進発した。
ただし、この遠征には多くの配下が反対していた。この時の曹操は呂布の他にも、背後に
そんな中、
曹操はその意見を容れ、まず徐州を攻めることにした。
呂布はそれを迎え撃つべく、こちらも自ら軍を率いて本拠地の
その軍旅の途上、龐舒は呂布に尋ねた。
「本当に野戦でいいんでしょうか?守る側なので籠城の方が固い気もしますが……」
呂布陣営は議論の末、野戦で曹操に当たることを決定した。
迎え撃つ側が野戦を選ぶべきか籠城を選ぶべきか、これはとても難しい問題だ。
一般的には城攻めをする側の方が圧倒的に多くの戦力を必要とし、被害も大きいと言われている。しかしその一方で、籠城側は補給が難しいから物資の面で大きな不安を抱えることになる。
さらに言えば、城壁などの守備施設や地形などにも左右されるので、結局のところ『時と場合による』としか言えないだろう。
「正解は無いが、俺としてはやはり自分の一番得意なもので勝負したい」
師は弟子にそう答えた。
呂布の一番得意なものといえば、やはり騎兵の運用だ。赤兎にまたがり、自らが指揮をとって道を切り開く。
もちろん籠城戦でも騎馬隊が活躍できる場面はあるだろうが、やはり野戦で縦横無尽に走り回るのが騎兵の本質だ。
龐舒もそれは理解しているが、呂布は一度伏兵によって曹操に大敗している。それが恐ろしかった。
(まぁ……呂布様も周りの将校もさすがに警戒してるよな)
その点、負けの経験がある分だけ安心できると考え直した。
(曹操はどんな布陣で呂布様に当たるのかな?……やっぱり騎兵対策を中心にした布陣だろうな)
曹操も呂布の得手は知っているから、対策は施しているだろう。
(となると
あれこれと想像しながら馬を進める。
しかしいざ戦場に着くと、曹操という男が自分の想像の枠には収まらないのだと思い知らされた。
丘の上から眺めたその布陣は、普通ではちょっとありえないようなものだった。
「呂布様……あれって……」
と、言ったまま龐舒は絶句した。
呂布はその斜め前で、憮然とした顔でそれを見下ろしている。
曹操の陣はパッと見、まるでハリネズミのように見えた。というのも、ほとんど全ての兵が長槍を所持していたからだ。
「弓兵まで長槍を背負ってるのは聞いたことがありませんね……それにあの密集陣形……」
長槍の密集陣形は、すなわち槍衾を意味する。騎兵に対して長槍をまとめて突き出し、その突撃を防ぐのだ。それが陣のどこでも即座に実行できるようになっていた。
呂布は憮然とした表情のまま、弟子の認識を補足した。
「それだけではない。やつら、林を背にしているだろう。騎兵が来たらいつでも逃げ込めるような場所から動かないつもりだ」
騎兵の突撃を避けるなら、馬が疾駆できない所に行けばいい。ごく単純な事実ではある。
しかし、それは野戦において大問題なのだ。
「……え?敵は林のそばを動かないんですか?」
「曹操の選択している布陣は騎馬隊に対する超防御的なものだ。見ろ、自軍の邪魔になりそうな所にまで逆茂木が置いてある。わざわざこんな選択をしたということは、何が何でも騎馬隊とぶつからないつもりだろう」
「でも、それじゃあ曹操自身も攻められません」
「ここでは攻める気がないのだ」
「ここでは?」
龐舒はそこでようやく曹操の意図を理解した。
「……つまり騎馬隊との戦闘を徹底的に避けながら、無理やり攻城戦に持ち込もうとしている、ということですか?」
「そういうことになる。もちろん単純な歩兵同士のぶつかり合いをやってもいいが、泥試合になるだろうな。そして、それは戦力で勝る曹操にとって悪い話ではない。そのための準備もしていることだろう」
一方の呂布軍は騎馬隊で曹操軍を切り崩すつもりでいた。今さら泥試合をやっても勝ちの流れを掴める気がしない。
龐舒は曹操の思い切りの良さに唸った。
(曹操が呂布様の騎馬隊を驚異だと認識して対処したってのは分かるけど……それにしても徹底してるな。しかも曹操自身、これで難しい城攻めを余儀なくされるのに)
こういう極端な戦法は凡人では思いつけないし、仮に思いついたとしても実行するだけの度量は持ち合わせていないだろう。
「曹操の頭の中って、一体どうなってるんでしょうね……」
龐舒は半ば呆れるようなつぶやきを漏らした。
呂布は鼻を鳴らしてそれに答える。
「ふん……やつの頭をかち割ってそれを見てやるつもりだったが、少なくとも今日は無理そうだな」
呂布は敵陣を遠目に睨んでから、赤兎の手綱を引いて曹操に背を向けた。その目元にはかすかな悔しさが滲んでいる。
「腹立たしいが、この野戦は我らの負けだ。籠城戦に移るぞ」
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