呂布の娘の嫁入り噺31

 生物が最も激しく闘争するのはどういう状況においてだろうか?


 答えは単一ではないが、


『雌を得るために雄が闘う時』


というのは、少なくとも間違いとは言い切れないだろう。


 そういうことを考えると、この日の龐舒は人生で一番激しく闘ったのかもしれない。


 呂布はその怒涛の連撃をさばきながら、雄としての弟子を感じていた。


 その斬撃はまるで獣の爪のようであり、刺突は牙のようだった。


(生々しいな)


 ふと、そういう感想を持つ。


 乙女の憧れるような恋というものではなく、もっと生々しい生殖に絡んだ執念のようなものを感じるのだ。


 美しくもなければ、綺麗でもない。しかし呂布にはそんな無駄に整った妄想の産物より、剥き出しの欲望の方がよほど好ましく思えた。


「そうだ、それでいい。欲しいものは力で奪え。どんな綺麗事を並べたところで、現実はいつも力のある方が決めるのだからな」


 龐舒はそれに言葉ではなく、戟の三段突きで応えた。


 その三段ともが絶妙な箇所を狙っており、しかも軌道は直線から微妙に歪んでいる。よほどの手練が相手でも、そう受け切れるものではなかった。


 呂布は己の弟子ながら、その妙技に舌を巻いた。


 しかもこの弟子は天性の才に恵まれてはいない。血の滲むような努力によってこの領域にまで達したのだ。


 が、人中の呂布と言われたこの男は受け切った。戟を幻のように揺らめかせ、その三段突きを見事にいなした。


「いいぞ、まるで獣のような気迫を感じる。お前は優し過ぎて俺にはまるで似ていなかったが、ようやく俺の弟子らしくなったではないか」


 先ほどは言葉で答えなかった龐舒だが、今度はきっぱりと返事をした。


「僕ほど呂布様の弟子な人間はいませんよ。呂布様に出会ってからずっと、僕はこれ以上ないくらいに呂布様の弟子です」


 その言葉とともに、さらなる突きを追加する。今度は気当たりで何重にも本命を隠した技巧的な突きだった。


 しかし呂布は迷うことなく突かれる場所から身をずらし、それをかわした。


 しかもそれだけでなく、突きの手が引かれるのとほぼ同時に突きかかっている。


 龐舒は攻撃で体勢が前のめりになっているから後ろには引けない。斜め前に飛び込むようにしてそれをかわした。


 転がりながら次の攻撃に備え、師の動きを探る。が、呂布はそれが無駄だと言わんばかりの速度で次の攻撃を叩き込んできた。


 先ほどまで突き出されていた戟の穂先が滑るように軌道を変え、龐舒の脳天に向けて振り下ろされる。


 普通なら防ぐことなどできない状況だ。その斬撃は龐舒が転がり切った直後に襲いかかってきたから、受けられるような体勢を取れない。


 が、龐舒はそれを防いでみせた。


 戟を縦に回して地面に立て、その刃の根本で受けた。こうすることで己の筋力に頼らず、武器と大地の硬さで受けたのだ。


 相当に精密な角度調節が必要なことだったが、龐舒はそれをやりきった。


 呂布は戟を高いところで止められ、やや腕が上がったままの格好になる。そのどてっ腹へ、龐舒は思いきり跳ねた。


 純粋な体当たりだ。


 武器からも手を離し、ただひたすらに速度だけを追求している。鍛え上げられた脚力によって、龐舒の体は弾丸のようになった。


 それで呂布の巨体は地面に筋をつけながら、かなりの距離を下がった。


 龐舒はさらに地面を蹴って跳び上がり、額を呂布の顎に強くぶつけた。


 ゴッ!!


 という音がして、龐舒の目に火花が散ったような衝撃が来た。


 かなり痛かったが、この場合顎をやられた呂布の方が被害が大きい。脳を強く揺さぶられ、一瞬だが行動不能に陥ってしまう。


 龐舒はその一瞬を逃さず、師の頬を殴りつけた。拳にひどく重い感触が乗ってくる。


 呂布の体はさらに下がり、下を向いて片膝をついた。そこへ龐舒はさらに拳を重ねようとする。


 が、その腕は呂布に大きな手のひらに掴まれた。龐舒の攻撃を見もせずに、ここに拳が来るだろうと思って無造作に上げた腕だった。


 それから弟子を見上げた呂布の目は、鮮やかなほどの喜色にあふれていた。


「やるようになったな」


 その一言とともに、立ち上がりざま反対の拳を振り上げる。


「ゔっ……!!」


 という低いうめき声とともに、腹を殴り上げられた龐舒の体は冗談のような距離を飛んだ。そしてそのまま仰向けに倒れて、ピクリとも動けなくなる。


 意識は失ってないものの、体が全く反応しない。呂布の拳がめり込んだ腹を中心に、全身の神経がひび割れたかのようだった。


(負けた……)


 龐舒はままならない呼吸の中、そのことを初めて悔しいと思った。


 これまでは師と手合わせをしても、負けて悔しいと思うことなど無かった。勝てるはずがない、負けるのが当たり前だと端から諦めていたのだ。


 しかし今日、初めて勝ちたいと思った。勝とうとした。


 だからこそ、動かなくなった自分の体が憎かった。


 呂布はそんな弟子の所へ歩み寄り、至極満足げな声をかけた。


「ついに俺の面を殴りつけられるほどになったか。しかもこの呂布に膝をつかせるとは」


 師は珍しく褒めてくれているようだが、嬉しいとは思えなかった。


 何をどう言われたところで玲綺は明日、嫁入りする。そのことを思うと、涙で星空がぼやけた。


 呂布はその顔を一瞥いちべつすると、すぐに背を向けた。横恋慕の末に敗れた男に対し、かけるべき言葉などないと思ったのだ。


 ただそれでも、去り際に一言だけ落としてやることにした。


「しばらく天の大きさでも眺めているといい」


 それは呂布自身がまま救われている行為だった。


 豪傑として生まれついた自分ですら、やり切れない思いをする時がある。そういった時、よく天を眺めてその大きさに感じ入るのだった。


 天の大きさを受け入れることは、己の小ささを受け入れることでもある。それを受け入れることは、現実を受け入れることにも繋がるのだ。


 龐舒は仰向けに倒れたまま、降るような星空を一人眺めた。


(天は確かに大きいな……)


 そんなことを思うのは、嫌な気分ではなかった。


 しかしそれだけで若者の鬱屈や欲求不満が解消するはずもない。龐舒の視界では美しい星のきらめきが線で繋がって、想い人の顔になった。


 それは涙でぼやけた結果なのだと思い、龐舒はまばたきをして涙をこぼした。


 すると不思議なことに、星がはっきり見えただけでなく、もっとはっきりとした想い人の顔まで見えたのだ。


「きっつい一発をもらってたわね」


 玲綺は龐舒の顔を覗き込みながらそう言ってきた。


「玲綺……見てたの?」


「うん。っていうか、龐舒が一人酒してる時からずっと近くにいたのよ」


 龐舒はその時からのことを思い起こし、気恥ずかしくなって顔を熱くした。


「なんだよ、声をかけてくれればよかったのに」


「でも私たち、ここの所ずっと目も合わせられなかったから」


 そう言われてふと、今は目を合わせていることに気がついた。


 まだ仰向けに倒れたままの龐舒を、玲綺は中腰になって覗き込んでいる。


「そっか……でも目を合わせられるようになって良かった。明日にはもうお別れだからね」


「……そうね、私も良かったって思うわ」


 玲綺は龐舒に笑いかけた。


 その表情は夜の暗さのせいで、どんなふうだったかあまり分からない。


 しかし龐舒には、その笑顔が世界で一番美しいものであると分かっている。だから自然と言葉が出てきた。


「僕ね、初めて会った時からずっと玲綺のことが好きだったんだ」


 玲綺はその言葉をありのままに受け止めた。そして自分もありのままを返す。


「私はずっとじゃないけどね、今は好きよ。龐舒のことが好き」


 玲綺はそれを言った時も、まだ笑顔のままだった。しかし目からは涙がこぼれてくる。


 その雫が龐舒の顔に落ちたので、しゃがんでそこに口づけをした。


 涙は何度も何度も落ちるので、何度も何度も口づけをした。


 それが妙にくすぐったくて、龐舒も涙を流しながら笑っていた。

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