呂布の娘の嫁入り噺30
呂布は自宅の居間で、涙を流す妻の背中を撫でていた。
「そう泣くな。こういうことは親として、仕方のないことだ」
「だって……玲ちゃん……玲ちゃん……うえぇぇぇん……」
子供のような泣き方をする妻を呂布は愛おしいと思うと同時に、少し面白いと思った。
そして、面白くて助かるとも思っていた。そのおかげで自分はなんとか泣くのを堪えられている。
明日、玲綺が嫁入りする。数日前に袁術からの使者がやって来て、皇帝への即位に関して説明をした。
そして呂布はそれを受け入れ、娘を送り出すことにしたのだ。
相変わらず部下たちは賛成と反対で割れている。ただし結局は結果でしか正解が分からないと知っているから、強く主張する者は多くない。
そんな中、呂布は袁術と手を結ぶことを選んだのだ。
その決定の前日、最近口数が少なくなった娘へ呂布は告げた。
「大丈夫だ。俺がお前を惚れた男の所へ嫁がせてやる」
そう言われた玲綺は、少し寂しそうに微笑んだ。
それを見た呂布は、娘が恥ずかしがりながらも喜んでいるのだと思った。
そして無事に嫁入りの準備も整い、家族で最後の晩餐を終えて、今は誰もが寝る時刻になっている。玲綺も自室で寝ているはずだ。
しかし魏夫人は眠れない。娘が遠くへ行くのが寂しくて、居間で泣いていた。
呂布はそんな妻に付き合って夜ふかしをしているのだった。
「もう一生会えないというわけではないだろう」
「でも……こんな世の中じゃ次に会えるのはいつか分からないわ」
「俺がこの乱世を終わらせてやる」
「それっていつ?明日?明後日?いつになったら玲ちゃん会えるようになるのぉ……ぇえぇぇぇん……」
言うことまで子供じみてきた妻に、呂布は閉口した。
しかし、やはりそんな妻を愛おしく、面白く思う。だから自分の膝に突っ伏して号泣する妻の背中を優しく撫で、泣き疲れて寝るまでそうしていた。
呂布は眠った妻の涙を拭き、寝室まで抱えて寝台に寝かせてやった。
それから自身は寝る前に一杯だけ飲もうと思い、部屋を出て台所へと向かった。
が、
龐舒だ。
龐舒が瓶から柄杓で直接酒をすくい、口に流し込んでいるところだった。
「……あれぇ?呂布様……呂布様も一杯やりに来られたんですか?」
龐舒はそう言ったが、明らかに『一杯』ではすまない量を飲んでいるようだ。ろれつが少々怪しくなっている。
あまり目にしない弟子の酔態に、呂布は眉をひそめた。
「どうした?珍しいな」
「だって、今日はめでたい日でしょう?一人で祝い酒をしてたんですよ」
そう言って笑う弟子の背後に陰のようなものを見た気がして、弟子も妻と同じようにも寂しいのだと思った。
「……そういえば、お前は玲綺がまだ十一の時にうちに来たのだったな」
「ええ、僕は十三でした」
「あの時からもう十一年か。玲綺は人生の半分をお前と共に過ごしたことになる」
「僕にとっても、ほとんど半分くらいですよ。『もう十一年』って言うには色々ありすぎた気もしますけど」
「ああ、そうだな」
言われて呂布はその十一年を思い返し、つい笑みがこぼれた。
こんな時代だ。辛いことも苦しいこともあった。後悔も数知れない。
しかしこうやって今笑えているのも、十一年前に龐舒を拾ったおかげかもしれないと思った。
「十一年前、お前はまるで震える犬のようだった」
呂布は別に龐舒のことを馬鹿にする気持ちでそう言ったのではない。むしろ、その言葉には愛情がこもっていた。
龐舒にもそれが分かったから、つい甘える気になってしまった。
「そうですね、確かに十一年前の僕は震えるしか能のない犬でした……」
少し動きの鈍くなった頭をうなずかせながら、立ち上がる。
そして真っ直ぐに師のことを見た。
「……ですが、僕は強くなりました。強くなったんです」
その言葉と視線が、不思議なほどの鋭さをもって呂布の心を突いてきた。
先ほどまでただの酔っ払いだった弟子から、心臓を貫こうとせんばかりの闘気を感じる。
「僕は、強く、なりました」
龐舒は噛みしめるようにして同じ言葉を重ねた。
呂布は正直驚いた。
そして今の今まで気づかなかった龐舒の気持ちに、闘気を介してようやく気づくことができたのだった。
「……そういえばお前と初めて会った時、『玲綺を嫁にしたければ、まず俺を倒してみろ』と言ったことがあるな」
龐舒は無言でうなずいた。
自分は一度たりとも忘れたことのないその言葉を、師が覚えてくれていたことに満足していた。
呂布は闘気に闘気を返し、くるりと背を向けた。
「外に出ろ。試してやろう、お前が本当に強くなったかどうかを」
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