呂布の娘の嫁入り噺23

「……まさか護衛付きで長安を脱出できるとは思わなかったよ」


 龐舒は馬の手綱を緩めながら、緊張で固まっていた顔の筋肉も緩めた。


 三頭立ての馬車が、北へと向かう街道を進んでいる。空は明るくて気持ちの良い青だが、いい具合に雲もあって日差しは強くない。旅をするには最高の日和だ。


 龐舒は馬車の御者席に座り、馬を操っている。


 そしてその後ろには玲綺と魏夫人、貂蝉、それに多くの荷物が乗っていた。


 玲綺は貂蝉の背中を撫でながら、龐舒のつぶやきに返事をした。


「そりゃまぁ、私は大切な『巫女見習い』だからね。護衛くらい付くわよ」


 玲綺はつい先ほどまでそういう立場の人間だった。李傕リカクの崇拝する邪教集団において、そういう立ち位置を得られていたのだ。


 しかし護衛たちと別れた今、関係者とは完全に離れることができたので、ただの一般人に戻っている。


 龐舒はその元・巫女見習いを振り返り、尊敬の視線を送った。


「こんな短期間で、よくあそこまで入り込めたね。ホントすごいよ」


「ああいう集団はね、相手の喜ぶ反応が何かを察してあげられたらすぐに出世できるものなのよ」


 玲綺はそうやって李傕の信奉する宗教組織に食い込んでいった。


 真面目に教義を聞き、それから相手の望む反応を返すのだ。それを繰り返すうちに玲綺は組織内での信頼を得て、気付けば巫女の見習いにまでなっていた。


 もちろん初めから李傕の妻の信頼を得られていたということは大きかっただろう。


 しかしそれを差し引いても玲綺の対人技術は凄まじかった。


(玲綺が相手の望むことを察せられるだけの頭を持ってるから出来たことだよ。それに、やっぱり美人ってことも大きいんだろうな)


 龐舒はそこまで口に出しはしなかったものの、心の中であらためて感心していた。


 頭が良く、見目良い玲綺だから可能だったことだろう。


(それと、化ける技術)


 それも付け加える。


 袁燿を落とそうとしていた時もそうだったが、この娘は化けの皮をかぶるのが上手い。


 やろうと思えば誰を相手にしても、その人に好かれる人間を演じることが出来るのだろう。


 ただし、こういうことは周囲が『あの人は出来るから』と簡単に思うほど本人は楽でない。精神をすり減らすほど頑張った結果として出来たのだ。


「でも……疲れたぁ〜」


 玲綺は心労を吐き出しながら荷台の上で横になった。足を伸ばし、それを荷物の上に乗せる。


 魏夫人は娘を労いつつも、母親としてその無作法を指摘した。


「玲ちゃんお疲れさま。でも、それはちょっとお行儀が悪くないかしら」


「だって本当に疲れたんだもん。あの長ったらしい教義の文章とか儀式の作法とか丸暗記しなきゃだったし」


「あー……あれは大変そうだったわね。玲ちゃんみたいに物覚えが良い人じゃないと無理だわ」


「頑張ったんだから、ちょっとグッタリさせて〜」


 玲綺はそう言って、伸ばした足のかかとで荷物をコンコン叩いた。


 叩かれているのは御神体の彫像だ。さすがにそれを見た魏夫人は苦笑した。


「巫女見習いがそれはまずいんじゃない?」


「元・巫女見習いだからいいでしょ。っていうかこの像やたら重いし、もうその辺に捨てちゃおうかな。使い道もないし」


「それはそうだけど……何だか申し訳ない気持ちになっちゃうわね。護衛の人たちも、私たちがそれを使って布教すると思ってるから付いて来てくれてたわけなのに」


 玲綺たちは、そういう建前で長安を出発していた。


『故郷の村にもこの神様の教えを広めさせて下さい』


 玲綺は巫女見習いとして、李傕とその妻、そして本物の巫女に対してそう頼んだのだ。そういう方便で安全に長安を出て、そのまま逃げるつもりだった。


 新興宗教というものは多くの場合

、信者を増やすことを第一の目標とする。


 玲綺の提案は特に巫女を喜ばせた。


『素晴らしいお話だわ。それでは信者から布教団を組織して、一緒に向かわせましょう』


 巫女は完全に乗り気ですぐに動き始めようとしたが、玲綺としてはそこまでしてもらうと逆に困る。途中で信者たちを撒くという一仕事が増えてしまうだけだ。


『残念なことに、私の故郷は排他的な人間が多いのでよそ者をひどく警戒します。まず私共だけで新しい神様を広め、本格的に受け入れる下地を作っておきますから半年程度お待ち下さい。準備が整い次第、また連絡させていただきますわ』


『そう……じゃあせめて、途中まで信者の兵を護衛に付けさせましょう。連絡を楽しみにしているわね』


 そんなこんなで、つい先ほどまで護衛付きの旅をしていたのだ。


 ちなみに龐舒と魏夫人は多少面が割れているので、先ほどまで包帯を巻いて顔を隠していた。戦に巻き込まれて怪我をしたというていにしていたのだ。


 実際に龐舒は結構な重症だったので、それをちらりと見せるだけで簡単に信じてもらえた。


 龐舒は護衛たちのことを思い出し、つい笑い声を漏らしてしまった。


「言っちゃ悪いけど……護衛の人たちの玲綺に対する態度、面白かったな」


 魏夫人も同じように思い出し笑いしながら同意する。


「ホントね。もう下にも置かないって感じで。私、何度も吹き出しそうになっちゃった」


「護衛の人たちに今の玲綺の態度を見せてやりたいですよ」


 そう言われた玲綺はだらしなく寝そべって、妙な拍子を取りながら御神体を足蹴にしている。


 もちろん護衛たちの前では背筋を伸ばし、膝を揃えて上品に座っていた。それが護衛と別れて四半刻も経たないうちにこれだ。


「だって、ずっと上品なお嬢様をやってたから疲れちゃったんだもん」


 その気持ちは龐舒にも分かったが、それならそれでまた思うところもあった。


「そんなんでよく袁燿エンヨウ様に嫁入りするつもりになってたね。化けの皮をかぶったまま結婚しても、その後が相当しんどくなってたんじゃない?」


 玲綺は龐舒の言葉を心の中で反すうし、寝そべったまましばらく空を眺めていた。


 それから小さな息を吐く。


「……そうね。袁燿様は本当に素敵な方だったけど、最近は『もし結婚できてたとしても、あんまり幸せにはなれなかったかも』って気もしてきたの。私は色んな人間を演じられる自信があるけど、それって確かにしんどいのよ」


 それを聞いた魏夫人は、すかさず合いの手を入れてきた。


「私もその通りだと思うわ。結婚したら、その人とは本当に長い時間を一緒に過ごすことになるんだから。やっぱり自然体でいられる相手の方がいいわよ」


「自然体かぁ。でも女としては自然体を見せられる相手なんてなかなかいないけどね」


「龐舒ちゃんがいるじゃない」


 魏夫人の容赦ない攻勢に、若い二人は赤面してしまった。


「ちょ、ちょっとお母様やめてよ。また気まずくなるじゃない……」


「奥様……まだ先は長いのに、道中の空気がキツくなります……」


 三人は并州まで逃げるつもりでいるが、道はまだその半ばだった。ボロが出てはいけないので、護衛とは早めに別れたのだ。


 まだまだ長い距離を三人寄り添って移動しなければならないことを考えると、この雰囲気は辛かった。


 しかし二人から抗議されても魏夫人には全くこたえない。なぜなら魏夫人は今、すこぶる楽しいからだ。


(うふ……うふふ……いい……いいわね、くっつきそうな若い二人を見てるのは)


 魏夫人は己の中に、そんな歓びを見出していた。


 若い二人がお互いを意識し合ってまごついている様は可愛らしいし、一歩踏み出せずにいる様だってやきもきしてつい興奮してしまう。


 もちろんこれが自分自身の恋だったら、こんな風にただ楽しむことなどできないだろう。しかし悪く言えば他人事なのだから、その色恋沙汰は何の恐れもなく手放しで面白がれるものなのだ。


(許靖様がたくさんの男女をくっつけていらした気持ちがよく分かるわぁ)


 実際の許靖の心情は魏夫人とはかけ離れていたが、知らぬ身としては勝手な共感など抱いてしまう。


(よーし、孫の顔を見るためにも頑張って二人をくっつけるわよ!)


 魏夫人にはそういう動機づけもあったから、二人が男女の仲になれるよう色々と細工をしてやろうと考えた。


(そうね……まずは、


『物を拾おうとしただけなのに、思いがけず手が触れてしまってドキドキ作戦』


を決行ね。それから、


『飲みかけの飲み物を間違えて飲んじゃって、間接口づけ作戦』


も、そう難しくはないわ。あ、そうだ。龐舒ちゃんは体がまだ本調子じゃないから玲ちゃんにアレコレお世話させて、


『いつもは雑な扱いをしてくる女子が急に優しくてトキメキ作戦』


もいいかも。あと、街で宿を取ったら、


『間違えてお風呂でばったり作戦』


なんかも出来るかしら……)


 魏夫人の作戦、というか妄想はとどまることを知らず、ありとあらゆる細工を考えついた。


 そしてその場面を想像し、無意識に貂蝉を撫でながらニヤけてしまう。


 玲綺と龐舒はそんなニヤニヤ顔を気味悪そうに眺めてから、ふと目を合わせてしまった。


 いつもは気にならない視線の交差が妙に気恥ずかしく感じられる。二人は急いでそっぽを向いた。


 それを見た魏夫人は、


(キャー、たまらないわぁ!!)


と、嬉しげに貂蝉のことを抱きしめた。

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