呂布の娘の嫁入り噺22
「あれって……」
「うん。多分、
玲綺と龐舒の顔はまだ赤かったものの、悲鳴ということは何らかの荒事になっている可能性が高い。
それで気持ちを入れ替えて、現実に対処しようとした。
「どうしよう?このまま無視した方が無難ではあるわよね」
「そうだね。僕としては数日ここに隠れてて、普通に城門を通れるようになったら出ていこうと思ってたんだけど」
「城門で止められないかしら?」
「そこは何とも……」
「じゃあ、ここで上手くやれば逃げる助けになるかもしれないわよ」
「うーん……でも……」
「せっかくいいところだったのに……」
と、最後に漏れた不満は魏夫人のものだ。一人だけ別のことを話しているから、玲綺が聞き返した。
「え?」
「ううん、何でもないわ。それより何でご家族の悲鳴が聞こえたのかしら?もし保護のための兵が来たのなら、ご家族が襲われるはずないのに」
「まだ敵兵が来たような気配はしないわよ。もしかしたら監視のための兵が家族を襲ってるのかもしれないわね」
「負けた腹いせに襲ってるってこと?」
「人質にするつもりかも。なんにしても、恩を売るにはいい機会なんだろうけど……」
悩む玲綺を見て、龐舒が勢いよく立ち上がった。
「よし、僕が行ってくる。二人はここで待ってて……」
と、言いながら龐舒の体は後ろに揺れて、尻餅をついてしまった。
貧血で立ちくらみを起こしたのだ。
「あ……あれ?」
「あれ、じゃないわよ。そんな大怪我してるんだから当たり前でしょ。むしろ、ここまで普通に走れたことにびっくりよ」
「いや、ゆっくり立ち上がったら大丈夫そうだよ」
「無理しないの。それに龐舒は軍にも顔を出してたんだから、人によっては素性がバレるかもしれないわ。私が行ってくるから龐舒は休んでて」
「待って」
「待たない」
玲綺は言うが早いか、風のように走り去って行った。
龐舒はそれを追おうとしたが、足がもつれて転倒してしまった。そこへ心配した貂蝉が寄って来てくれる。
「龐舒ちゃん無理しないで。玲ちゃんの言う通り、少し休んでちょうだい」
そう言って、魏夫人は食事の準備をするために立ち上がった。
とにかく血になるものを食べさせなければ龐舒が危なそうだ。幸い用意されていた食料の中には干し肉や干魚も多くある。
それを魏夫人が手に取った時、玲綺はすでに李傕の屋敷に侵入しようとしていた。
正面からは入らず、庭木を登って塀を乗り越える。膝で音を消しながら庭の木陰に降り立った。
(さっきの悲鳴はどこから……)
と、その検討をつける前にまた新たな悲鳴が上がった。
それで玲綺は進むべき方向を即決し、音もなく駆けた。
屋敷に入りしばらく進むと、悲鳴の主と思われる女性の声が聞こえた。
「子供まで縛らなくてもいいでしょう!?乱暴にしないでよ!」
玲綺がそっとその部屋を覗くと、後ろ手に縛り上げられた女性が床に転がり、二人の兵を睨み上げていた。
その兵たちは小さな男の子を同じように縛ろうとしている。
兵たちは手を止めないまま女性に答えてやった。
「別に怪我をさせるつもりはない。暴れて怪我する方が危ないだろう」
「俺たちの安全が確保されるまでの間だけだ。もう十分って所まで逃げたら開放するから、それまで我慢してくれ」
その短い会話から、玲綺は現在の状況をすぐに理解した。
(監視の兵が李傕の家族を人質にして逃げようとしてる、ってことで間違いなさそうね)
ならば、やはりここで助けておけば恩を売れる。逃げるのに役立つかもしれないと判断した。
「別に縛らなくても暴れないわよ。女一人に子供一人よ?抵抗したってしょうがないでしょ」
女性のその言葉が耳に入った直後、玲綺は即座に部屋に踏み込んでいた。
(軟禁する家族が二人ってことは、監視の兵もこの二人だけでしょ)
すぐにそう推測できたので、これ以上様子を見る理由はないと思ったのだ。それに、兵たちはちょうど男の子を縛るのに集中している。
玲綺はその隙だらけの背中まで素早く走り、首筋に鞘ぐるみの剣を叩きつけた。一応は味方の兵であるから殺すのは忍びなく思って斬らなかった。
(後で適当に逃してあげるから)
心の中で軽く謝っておく。
兵は二人とも、自分たちに何が起こったのか分からないまま意識を失って倒れた。
「監視の兵はこれだけですか?」
玲綺はまだ状況が理解できていない女性に対して、すぐにそれを確認した。二人だけと思って突入したわけだが、それはあくまで推測にすぎない。
女性は混乱しながらも、玲綺の質問に答えてくれた。
「……え、ええ……その二人だけだけど……あなたは?私たちを助けてくれたの?」
玲綺はその回答に一安心しながら、出来るだけ穏やかな笑顔を作って女性と男の子へと向けた。
自分は今からこの二人に好かれなければならないのだ。
「私は隣家に引っ越してきた者です。悲鳴が聞こえてきたので、失礼ながら勝手にお屋敷へ上がってしまいました。失礼をお許しください」
龐舒が見れば『また化けた』と思われるような笑顔だったが、ほとんどの人間からすれば美しく、穏やかで人好きのする笑顔だ。
実際、女性も男の子も玲綺に好感を持ってくれたようで、ホッとした笑顔を見せてくれた。
「いいえ、助けてくれてありがとう。そう言えばそこの兵たちが半月前くらいに、お隣りが引っ越したって話をしてたわね」
「はい、その時に買わせていただきました。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。李傕様の奥様とお子様でいらっしゃいますよね?」
玲綺は女性の縄を切りながら、そう確認した。
「ええ、そうよ。ご挨拶って言っても、私たちは軟禁されてたんだからそんなの無理だったけどね」
「でも、それも今日でお終いです。すでに李傕様が城門を破られていますから」
「兵たちも言ってたけど、それ本当のことなのね?」
「本当です。この戦、李傕様の勝利となります」
玲綺は妻が立ち上がるのを優しく助け、囁くような言葉を続けた。
「ですからこれからは実質的に、李傕様の世になるのです。つまり奥様は国の頂点の妻になられるのですよ?羨ましい限りですわ」
にわかには信じられないのか、妻はしばらくぼおっとした表情をしていた。
しかし段々と玲綺の言葉が理解できてくると、その頬は紅潮してきた。今後の栄華が想像できたのだろう。
そして興奮で鼻息を荒くしながら、部屋の一隅へと歩いていった。そこには家の屋根に据え付けられていたのと同じ彫像が置いてある。
その前で跪き、手を合わせた。
(邪教崇拝……)
玲綺には理解できないことだったが、その神に感謝しているのだろう。
その拝礼の様子を見た玲綺には、一つ閃くことがあった。そして今後取るべき行動を頭の中で素早く組み上げて、小さくうなずく。
そんな玲綺へ、拝礼を終えた妻が歩み寄ってきた。
「あなたにはお礼をしないといけないわね。何か欲しいものでもある?何でも好きなものを言って」
妻の中ではすでに未来の富裕が確定しているようだ。何でも、などと言ってきた。
実際、この妻はもうしばらくしたらどんな高価なものでも
しかし、玲綺は首を横に振った。
そしてこの妻の懐にいっそう入り込むべく、とびきり素敵な笑顔を作りあげた。
「もし可能なら物よりも、奥様が信仰されている神様のお話をお聞かせください。李傕様を勝利に導いたその神様を、私も信じてみたくなりましたわ」
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