呂布の娘の嫁入り噺12

「呂布殿、中郎将ちゅうろうしょうへの昇進おめでとうございます」


 許靖は呂布を前にして、まずは祝いの口上を述べた。そしてさらに謝辞を述べる。


「本来なら私の方からお祝いをしなければならないのに、こうしてお食事に招いていただいて恐縮です」


 許靖は今日、呂布からの接待を受けるためにその自宅を訪れていた。玄関で家主に迎えられ、慇懃に頭を下げる。


「いや、うちの者を助けてもらったのに礼が遅れてしまった。申し訳ない」


「助けたのは私ではなく、こちらの袁燿エンヨウ殿です。私はちょっと通りがかって声をかけただけですよ」


 許靖と並んだ袁燿は、その形の良い目を細めて笑った。


「何をおっしゃるのです。許靖様がいなければ、私は往来で裸にされていましたよ」


 二人はその時の礼ということで呂布の邸宅に招かれている。


 屋敷は以前に呂布が寝起きしていた丁原のものよりも、だいぶ質素なものだった。給金としてはもっと上等な屋敷に住めるのだが、家族がこのくらいの方がいいと言うのでそうしている。


 呂布は丁原テイゲンを殺害後、董卓トウタクの意向で騎都尉きといという役職を得ていた。そしてその後の功が認められ、さらに進んで中郎将になることが内定している。


 騎都尉も中郎将も、かなり高位の役職だ。呂布は丁原を殺すことによって相当な出世を果たしたと言えるだろう。


(裏切り、殺人による出世……当然その評判は良くないが……)


 許靖は呂布の巨躯を眺めながら、そのことを改めて思った。


 実はこの後に来る乱世では、裏切りで功を立てて平然と栄達している者などごまんといる。


 が、この時はまだ形なりとも治世の時代だ。呂布の行いは目立って悪く見られ、陰ではかなりの悪評を立てられていた。


(まぁ、面と向かって非難できる者などいようはずもないが)


 誰もがそうしない理由は二つある。


 一つ目は呂布個人の武勇があまりに傑出し過ぎており、皆が恐れていること。その強さは前漢の猛将、李広リコウになぞらえて『飛将ひしょう』とあだ名されていた。


 そしてもう一つは、呂布に裏切りをさせた張本人の董卓が政権の頂点に立っていることだ。しかも董卓と呂布とは父子の契りを交わしていた。


 その董卓は丁原亡き後、首都洛陽における軍事力のほとんどを掌握しているという事実を背景に、政治・行政を牛耳っていた。本人の役職も『相国しょうこく』という最高のものになることが内定している。


 位人臣を極め、名実共に全ての廷臣の頂点に立つことになるのだ。


(私自身もその董卓に引き上げられて出世しているのだから、あれこれ言える立場にはないが……)


 許靖は董卓によって御史中丞ぎょしちゅうじょう(官吏の監察、弾劾を司る)という高級職に就けられている。その著名な人物鑑定眼でもって、新政権における人事政策の一翼を担っているのだ。


 暴慢で知られる董卓の治世だが、意外にもこの時点までは現代においても評価する声が多い。


 というのも、それまで国を腐らせていた汚職官吏を追放し、清廉・有能で声望のある人間を重要な官職に就けていったからだ。ある意味、人事を担当した許靖たちの功績であるとも言えるだろう。


 ともあれ、呂布も許靖も同じように董卓によって栄達した人間なのだ。


 ちなみに袁燿の父である袁術エンジュツもこの時点では董卓政権に参加しており、その地位も進められて後将軍という役職になっていた。


 現政権の中枢を担う中郎将、御史中丞、そして後将軍の息子が晩餐を共にして親睦を深める。今から行われるのは、そういうごく自然な接待の場でもあった。


「お二人とも、ようこそお越しくださいました」


 と、奥から笑顔で現れたのは魏夫人だ。その少し後ろに玲綺も控えている。


 二人は呂布が丁原を殺して帰って来た日、龐舒からそのことを聞かされて驚愕した。しかし今日までその裏切りに関し、呂布とは一切話をしてこなかった。


 龐舒から、


『一番辛いのはやってしまった呂布様です。一番分かっているのも呂布様です。僕たちはただ、呂布様の今とこれからを支えましょう』


そう言われたからだ。


 だから魏夫人は今日もいつも通りの明るい笑顔を見せている。そしてそれは、確かに呂布の癒しとなっていた。


「私たちは普段粗食しか作っていないものですから、お二人にご満足いただけるか心配ですが……」


 許靖はその心配を笑って否定した。


「いえいえ、少なくとも私は粗食なくらいの方が食べ慣れていて安心しますよ」


 袁燿もうなずいてそれに同意する。


「私もその方が落ち着きます。しかし、奥様自らがお料理の準備をしてくださったのですね。嬉しい限りです」


 その言葉に対し、玲綺が普段よりもやや小さな声で話した。


「私も微力ながらお手伝いさせていただきました。お口に合えば光栄ですわ」


『男を落とすには、まずその胃袋を掴むべし』


 などという攻略法は、使用人が料理を作るのが当たり前である袁燿のような貴族には当てはまらないかもしれない。


 場合によっては、貧乏くさい娘だと思われるだろう。


 が、玲綺はあらかじめ袁燿の噂を調査・分析し、これで良いことを確信していた。


 袁燿は最上級に血筋の良い生粋の貴族ではあるが、それに反発している節がある。若者らしいといえば若者らしい感情の現れ方かもしれない。


 しかしそれならば、こういう質素で働き者の娘の方が好かれるはずだ。


 そう考えた玲綺の智謀は確かなものだったということが、袁燿の反応で証明された。


「呂布様はご家族に恵まれていますね。うちの姉妹などは贅沢と怠惰に慣れきっていて、比べると恥ずかしいほどです」


 そう言って玲綺を見る袁燿の目は好意にあふれている。


 それはそうだろう。美人で性格も好みの女子が目の前にいて、何も感じない若者はいない。


(玲ちゃんは確かに質素で働き者だけど、普段の雰囲気はだいぶ違うのよ……ごめんなさい……)


 母の魏夫人は心の中で袁燿に謝りながら、客人たちを食堂に通した。


 膳にはすでにいくつかの料理が並べられている。そこへさらに温かいものが置かれていった。


 給仕をしているのは龐舒だ。


 龐舒のこの家での立場は何とも言えない微妙なものだが、少なくとも家主の接待に相伴できるようなものではない。それで今日は給仕係を務めていた。


「やぁ、君はあの時の。顔の怪我は大丈夫だったかい?」


 袁燿は龐舒を使用人だと思っているし、年下でもあったから気さくな声をかけた。


 心遣いからかけた言葉であり、貴族のすることとしては優しい行いだろう。


 ただ、龐舒の方は何か胸の奥が渦巻くような、何とも言えない気持ちになった。しかしそれを抑えて笑顔で応じる。


「おかげさまで大した傷にもなっていませんでした。その節は本当にありがとうございました」


 自分は今、師の接待の給仕としてここにいる。だから客人はもてなさなければならない。


 それは分かっているし実際にそうしているのだが、玲綺の嬉しそうな表情が目に入ると否が応にも袁燿に対して悪感情を抱いてしまった。


 しかし努力のかいもあって、袁燿には伝わらない。相変わらず見栄えのする笑顔を返された。


「それは良かった。今日はよろしく頼むよ」


 龐舒は頬を少しだけ引きつらせながらも、きちんと笑顔で頭を下げた。


 そして龐舒を除いた五人での食事が始まる。


 二口、三口食べてから、許靖がその感想を述べた。


「これは……美味しい。いや、本当に美味しい。失礼ながらありふれた料理に見えるのに、それがここまで美味しいのは初めてです」


 許靖は一切の世辞抜きでそう言った。そのくらいの美味だった。


 龐舒はそれを聞きながら、妙に誇らしい気持ちになった。


(どうだ、奥様の料理は)


 などと、自分のことでもないのに威張るような気にまでなってしまう。


 しかし、確かに魏夫人の作るものは美味いのだ。そして袁燿の方も同じように思った。


「許靖様のおっしゃる通りとても美味しいですし……なんというか、心が温まるような味がしますね」


 それは龐舒も普段から感じていることではあったのだが、袁燿に言われると、そこはかとなく嫌な気持ちになった。


「呂布様が本当に羨ましく思えます。毎日こんな料理が食べられるなんて」


 袁燿の本気の賛辞に玲綺が反応した。


「私も、夫になる方には毎日こういう料理を作って差し上げますわ。母にちきんと躾けられていますから」


(嘘つけ!)


 と、龐舒は心の中で罵った。


 玲綺は別に料理下手ではないが、龐舒の方がまだ上手いほどだ。それに最後の味付けとなると、


『あとはお母様おねが〜い』


と言うのが常だった。


 しかしそんなこと、袁燿が知っているはずもない。


「玲綺さんと結婚できる殿方も羨ましいかぎりですよ」


 そんなことを言ってきた。


 そしてそんな袁燿に向けて、玲綺が何か意味深な笑みを送る。


 そこに神経をくすぐられるような何かを感じた袁燿は、思わず顔を赤くしてしまった。その笑みはどこか妖しく、溶かされてしまうような魅力があった。


(……化け物がまた出た)


 もはや玲綺が妖術を使っても龐舒は驚かないだろう。それくらい、女というものは魔性なのだと分かった。


 その化け物はいったん袁燿を攻める手を止め、許靖の方を向いた。


「そういえば許靖様は著名な人物鑑定家でいらっしゃるということですが、聞けば縁結びの方面でも確かなお力をお持ちだとか。なんでも『花神の御者』なんて素敵な二つ名までお持ちと伺いましたわ」


 その異名を口にされた許靖の表情は、急に凍りついたようになった。


「……そんなふうに呼ばれたことはありませんね。というか、縁結びなどやろうとしたこともありません」


 許靖はきっぱりと否定した。


 嘘は良くないとか、そんな事はどうでもいい。とにかくもう、釣書の山を見たくないのだ。


 しかし玲綺の方は確かな信憑性を感じていた話だったので首を傾げた。


「そうなのですか?許靖様と同郷の方が『何組、いや何百組という夫婦を作った方だぞ』と自慢されていましたけども」


 その馬鹿馬鹿しい数字を耳にして、許靖は笑った。


 一組くっつけるのにどれだけの手間と時間がかかると思っているのだ。何百組など、それを専業の仕事にする人間でも難しいだろう。


「いや、何百は言い過ぎでしょう。さすがに二百は超えませんよ」


「え?」


「あ」


 思わず本当のことを口にしてしまった許靖は、己の間抜けを呪った。


「じゃあ、百組は超えてらっしゃるんですね。すごい」


 玲綺は悪気なく褒めたのだが、許靖としては頬を引きつらせるしかない。


 もはや言い逃れはできないだろうが、ゴニョゴニョと誤魔化そうとした。


「いや……私はちょっと助言をしただけで……そういうことの請け負いを公言していたわけでは……」


「そんな謙遜なさらなくてもいいじゃないですか。私もそろそろ年頃ですし、相性の良い相手の特徴などをぜひ教えていただきたいですわ」


 実は今日の晩餐会は玲綺たっての希望で行われているのだが、袁燿だけでなく許靖まで呼ばれているのはこれが狙いだった。


 人物鑑定や縁結びで有名な名士を晩餐に同席させ、その話題で盛り上がる。その中で袁燿と自分の縁談話へと繋げていこうとしたのだ。


(許靖様が私たちの相性にどういう評を付けたって、適当な解釈で良い意味に捻じ曲げてやればいいわ)


 玲綺はそのつもりだった。実際、こういう占いのようなものは解釈の仕方次第でどうとでも結論を変えられるものだ。


(それに、たくさん縁組を成立させてきた人なら都合の良いことを言う傾向が強いはずよ)


 この賢い娘の中にはそんな打算まであった。


 そんな娘を援護しようと思ったわけではないだろうが、呂布もその話題に乗ってきた。


「俺も月旦評げったんひょうの許靖殿の人物鑑定には少し興味があった。皆が褒めるのだ。しかも瞳を見るだけで、その者の本質が分かるのだと言う。正直まさかとは思うが、実際に許靖殿は人事政策の中枢を担い、しかも実績を上げている」


 呂布はまっすぐ許靖の瞳を見た。


 このごく現実的な男は、瞳を見るだけで人の本質が分かるなどという話を信じていないだろう。そんな気持ちの伝わるような、堂々とした直視の仕方だった。


 ただし、その実績は重く見ている。だから許靖の能力が気になるというのは本音だった。


「瞳と人物鑑定と、何か関係あるのだろうか?」


 許靖としては、瞳の奥の「天地」のことは基本的に否定することにしている。さして深い関係でもない相手に対し、そんな摩訶不思議な話をしても怪しいと思われるだけだ。


「呂布殿の思われている通り、ただの噂ですよ。こういった席での座興として、その人の瞳の奥に見えるものの話をしてみせる事があるだけです」


 許靖はそれで話を打ち切るつもりだったが、玲綺は逃がすつもりはない。


「座興で結構ですわ。女はそういう話半分の座興が大好きですのよ。私の瞳の奥に何が見えるのか、ぜひ教えて下さい」


 こういう風に言われると、許靖としても断りづらい。頑なに拒否しても場が白けるだけだ。


「では、座興の妄想話として聞いてください」


 そう一言断ってから、玲綺の瞳を改めて見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る