呂布の娘の嫁入り噺11

 夕陽の赤い円を刺すように、呂布の戟がゆっくりと持ち上がった。


 その刃が丁原の頭に振り下ろされる。


 しかし二本の鉞が上げられて、斬撃は防がれた。


 二人の武器はゆっくり離れ、それからまたぶつかる。戦い初めの頃と比べると、随分と遅い動きになっていた。


 ただ、それも仕方のないことだろう。二人は昼過ぎに戦い始め、夕刻まで戦い続けているのだから。


 有り得べきことではない。本気の殺し合いなど、常人であれば五分も続けていれば息が上がって動けなくなるだろう。


 しかし、二人は戦い続けている。半日の間ずっと、殺し合いを続けていた。


(二人とも、もうボロボロじゃないか……まともに戦える体じゃない……)


 龐舒はそう思ったものの、消耗しきった二人ですらこの場の誰よりも強いだろうとも思った。


 いや、死闘を経て鬼気迫る二人の姿は、もしかすると戦い始めよりも強いのではないかと思わせるような迫力があった。


 二人とも口を大きく開き、喘ぐような呼吸を繰り返している。全身汗と泥と傷に覆われて、無事な部分など一つもない。


 当然のことながら、馬は先に潰れてしまったから二人とも自分の足で立っている。しかし、立っているのが不思議なほどボロボロだった。


 二人の戦いを見守る兵たちも半日の間立ちっぱなしだったが、誰も座ろうとはしなかった。誰もが目の前の戦いに目を奪われ続けていた。


 丁原はその視線の中、ついに力尽きたかのように脱力して鉞を下ろした。


 しかし、呂布はそれを攻めない。肩で息をしながら同じように武器を下ろした。


 二人は十ほどの呼吸の間、ただ視線を交差させていた。


 それから先に声を発したのは、丁原の方だった。


「儂は……お前を息子のように思っていた」


 その言葉に、呂布の表情は動かなかった。


 しかし龐舒には、師の心がひどく揺れたのが分かった。


「……俺も、あなたを父のように思っていました」


 龐舒はその言葉に胸が締め付けられるような思いがした。


 が、言われた丁原の顔は、この豪傑らしい豪快な笑みへと変わる。


「ならば儂を喰って征け、呂布よ!父を喰らい、強くなり、来たるべき乱世を思うままに飛翔するのだ!」


 消耗しきったこの男のどこからこんな声が出るのかと思うほどの、凄まじい大音声だった。 


「儒の支配する今の世で、お前の行いは非難されることだろう!しかし儂は字も知らんような粗略な男だ!腐れ儒者に喜んでもらうよりも、息子に力強く羽ばたいて欲しいのだ!翔べ!高く翔べ!儂を踏み台にして、高く翔ぶのだ!」


 丁原は叫びながら、両腕の鉞を高く掲げた。


 そして今までのどの攻撃よりも強く、鋭く、激しく鉞を振り下ろした。


 それを受ける呂布も今日一番、いや、人生で一番の力を全身に込めた。


「ぉおおおお!!」


 雄叫びとともに、戟を振り上げる。


 双鉞が戟に弾かれ、飛んでいった。


 そして頭上に持ち上がった戟の柄を、呂布は強く握り直した。


 そこに再び渾身の力を込め、父へと向かって振り下ろす。


 父を喰らい、高く、高く翔ぶために。


「呂布よ……我が息子よ……」


 丁原はその言葉を最期に、血の赤い尾を引きながら倒れた。


「……ハァ……ハァ……ハァ……」


 呂布は激しい呼吸を繰り返しながら、自らの喰らったものを見下ろした。


 肩を大きく上下させ、汗を滴らせながら、ただ無言で見下ろし続ける。


 誰も声をかけられないから、随分と長い時間そうしていた。


 そして少しずつ呼吸が戻ってくると、やがて声を出した。下を向いたまま、己の弟子に向けて言葉を発した。


「龐舒、帰るぞ」


 そばに居てくれ


 龐舒にはそう聞こえた。


 だから龐舒は涙を拭い、できる限りいつも通りの、元気で歯切れの良い返事をした。


「はいっ」


 馬を引いて、師の元へ向かう。


 呂布は龐舒の顔を見ようとせず、手綱だけ受け取って鞍にまたがった。


 そしてゆっくりと馬を歩かせて帰路につく。龐舒は徒歩でそれに付き従った。


 兵たちは無言でそれを見送った。自分たちの指揮官を殺され、様々思うところはあったろう。


 しかしあのような戦いを見せられては、丁原の遺命に従うしかなかった。呂布とともに、全軍を上げて董卓の下につくのだ。皆それが分かっていた。


 家までの帰路、呂布は何一つ言葉を発しなかった。


 龐舒も何も言わない。師の心を慰める言葉も、師の武勇を称える言葉も口にしなかった。


 師が今望んでいることは、ただそばに居ることだと思った。だから、ただ黙って師の斜め後ろを歩いた。


 二人は灼けるような夕陽に向かい、静かに進んで行く。


 その赤い陽光に照らされて、呂布の顎から一滴の雫が落ちた。


 龐舒にはそれが汗ではなく、涙なのだと分かった。

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