呂布の娘の嫁入り噺3

 月明かりの荒野を、龐舒ホウジョの小さくはない体がまりのように飛んだ。


 今宵は満月だ。月光に照らされた青白い視界の中を人が飛んでいく様は、存外幻想的なものだったかもしれない。


 が、飛ばされた側の龐舒としては冗談ではない。死んだと思った。


「……がっ!!」


 という短い音を喉から発し、その声でまだ生きていることを知った。


 人が飛ぶほどの蹴りを腹に食らったのだ。本当に死んでいてもおかしくはない。


 しかし今日までの鍛錬で鍛え上げられた腹筋と、こういう時は自ら後ろに跳んで衝撃を和らげなければ大怪我になるという経験が龐舒をまだ生かしてくれていた。


「なぜ上段のげきを防いだ時点で油断した。武器だけが攻撃手段ではないぞ」


 呂布はそれを教えるつもりで蹴ったようなことを言っているが、龐舒としては油断したつもりはない。呂布の蹴りが速すぎただけだ。


 が、腹を強く蹴られて上手く言葉が出ない。ただ短い呼吸を繰り返した。


「いつまでうずくまっているつもりだ。敵は待ってくれないぞ」


 その言葉が終わらないうちに、呂布の追撃が襲いかかる。


 鋭い突きを転がってよけた龐舒は、すぐに手にした戟を横に振った。その牽制がなければ次の一撃で本当に死ぬことが分かっているからだ。


 二人とも手にしているのは本物の刃の付いた戟だった。当たれば当然死ぬこともある。


 呂布は今日のような本気の実戦稽古の時には本物の武器を使用した。そしてそれで、当たれば死ぬような攻撃を繰り出してくるのだ。


 さらに、こういう時には決まって人気のない荒野に連れ出された。ここならもし殺してしまっても、適当に埋めておけば問題にならないという打算があるのではないか。


(なぜ、僕はまだ生きているのだろう)


 龐舒にはそれが不思議だった。


 すでにその体は満身創痍になっている。先ほど蹴られた腹が痛むのは当たり前だが、その他にも体中が痛い。


 防ぎきれなかった刃にあちこちを細かく刻まれているし、殴られたり投げられたり石突で突かれたりした部分はひどい打撲になっている。


 それを知覚すると、理性はごく自然な結論に達した。


(もう、動けない……)


 しかし、それでも龐舒の体は動いた。動かねば死ぬのだ。


 牽制の横薙ぎは呂布に軽く弾き返されたが、弾かれた勢いで戟を回して逆向きの横薙ぎに繋げた。


 呂布は半歩下がってそれを避ける。


 龐舒はそこへ踏み込み、連続で突きを放った。型の見本のようなきれいな突きだ。


 一度、二度、三度突いた時、龐舒の戟は呂布の戟に絡みつかれて引けなくなった。


 戟は斬る、突くに加えて引っ掛けるということができる技巧的な武器だ。互いのその部分を引っ掛けられ、龐舒は武器を封じられかけた。


(引き合いになったら絶対に勝てない)


 瞬時にそう判断した龐舒は突いた後の引きを止めて、手首で戟の柄を回転させた。


 それで引っかかった刃は外れたものの、手元に帰ってくる前に呂布の斬撃が襲いかかってくる。


 龐舒はかろうじて柄でそれを受けたが、体ごと後ろに飛ばされた。


 ただし、腰に力を入れて体勢は崩さない。さらに足の着き方に細心の注意を払い、地面に着くと同時に横へ跳んだ。


 予想通り、着地の瞬間を狙って呂布の突きが放たれていた。


 龐舒はそれをよけつつ、突きで伸びた腕へと戟を振っている。


 普通ならその腕が斬られて決着になるか、腕を引いて避けられるという展開になるだろう。


 しかし呂布は向かって来る戟の柄を片腕で掴んだ。


 横に跳びながらの斬撃で腰が入ってなかったとはいえ、常人ではありえないことだ。


 しかも跳んでいた龐舒は宙に浮いたまま一瞬止まり、そのまま戟と共に投げ飛ばされた。


「…………っ!!」


 体を回しながら受け身を取り、立ち上がろうとしたところでその動作を止めた。


 鼻先に呂布の戟が突きつけられていたからだ。


 膝をつき、肩で息をする龐舒へ冷淡な声が降ってくる。


「弱い。弱すぎる。それでよく強くなっているなどと言えたものだ」


 呂布は戟の刃を進め、龐舒の首へと押し当てた。鋼の冷たい感触が命の芯まで凍えさせる。


「あと少し力を込めるだけで、お前は死ぬ。これが弱い者でなくて何だ」


 呂布はそう言ったものの、実際には龐舒ほど動ける人間など軍にもそういないだろう。


 が、呂布は龐舒を弱いと言い切った。


 別に嫌がらせで言っているわけではないし、いじめているつもりない。真実、そう思っていた。


「なぜ弱いか、分かるか?」


 ここまで痛めつけられれば反発しても良さそうだが、真面目な龐舒は真剣に考えた。


 自分に足らないもの、劣っているもの、どうすれば勝てるか。


 しかし当たり前のことにしか思い至らず、当たり前のことを口にした。


「筋力、体力、技、判断力……」


「違う」


 師は弟子の考えを言下に否定した。


「お前は強さというものを履き違えている。戦いにおいて強いとは、どういうことだと思う?」


「それは……相手より力が強かったり、技が優れていたり……」


「だからそれが勘違いなのだ。いいか?戦いにおいて強いとは、自分は死なずに相手を殺せるということだ」


 その言葉の重みに、龐舒は思わず息を飲んだ。


(自分は死なずに相手を殺す……)


 自分が死なないということは当然念頭にある。しかし相手を殺すとなると、龐舒には想像もできない。


 しかし、とも思うのだ。


「ですが、僕の放った攻撃は当たれば呂布様でも死ぬはずのものです」


「当たれば死ぬ攻撃をするのと、殺す気で攻撃をするのとは全く違う。お前がそれだけ鍛錬してもいまだに玲綺レイキに勝てないのは、それが原因だ」


 そう言われても、龐舒には玲綺を殺す気で攻撃などできない。


 いや、玲綺どころか見ず知らずの人間でも龐舒は殺そうとできないだろう。


「本質的にそういう攻撃ができないのなら、お前はいつまで経っても弱いままだ」


 呂布は龐舒の首から刃を離し、背を向けた。


「……人を殺すのが怖いか?」


 その質問に対し、龐舒は違う視点から答えた。


「怖いというよりも、悪いことだと思います」


 ドンッ


 と、音がなるほどに、呂布の戟の石突が地にぶつけられた。


 師の背中はひどく怒っているように見えた。


「そのくだらん正義感がお前を殺す。お前の父もそうだった」


 突然父の話が出てきたので龐舒は驚いた。


 これまで呂布と父のことで話したのは、出会ってほどない頃の一度きりだった。


『呂布様は主簿をされているという事ですが、僕の父とも面識がおありでしたでしょうか?』


『知らん。州の役所は広く、人は多い』


 呂布がそう答えたのでそれっきりだったが、考えてみればおかしな話だ。


 いくら州の役人が多いとはいえ、同じような仕事をしていた事務官同士で全く面識がないということがあるだろうか。


 呂布は父を知っていたのだろう。


「父上が……正義感で殺された?どういうことでしょうか?」


 龐舒は震える声で尋ねた。どうも嫌な予感がする。


 呂布は背を向けたままで答えた。


「お前の父は処刑される直前、ある同僚を汚職で糾弾しようとしていた。それに気づいた同僚が、逆にお前の父の罪になるよう証拠を改ざんしたのだ」


 やはり父は冤罪だった。


 そのこと自体は龐舒を喜ばせたものの、呂布が断言できるほど事件を知っていることに違和感を覚えた。


 それなのに、今まで一度もそんな話をしなかったのだ。


「呂布様は……父上が処刑された時、冤罪であることをご存知だったのですか?」


「ああ、知っていた」


「……なぜ、そう言って止めて下さらなかったのですか」


「俺がその汚職をなした同僚だからだ」


 龐舒はあまりの真実に、二の句が継げなかった。


 呂布の方は全く声の調子を変えずに続ける。


「俺は人身売買業者との癒着で帳簿を改ざんしたり、口利きを行ったりして見返りの報酬を得ていた。それをお前の父に見つけられたのだ。まぁ、上手くやって全てお前の父のせいにしてやったがな」


 にわかに信じがたいことだった。


 呂布に保護されてから一年、厳しくも師として尊敬していた。不世出の豪傑に鍛えてもらえることに、心から感謝していた。


 が、それは父の仇だったのだ。


「分かったか?正しさなど、現実の前ではそんなものだ。お前の父は正しさゆえに死んだ。そしてお前も正しくあろうとしたゆえに、今から死ぬ。こんな話をした以上、殺すしかないからな」


 龐舒は不思議とその言葉に恐怖を感じなかった。


 しかし、一点疑問には思う。


「なぜ、殺した男の息子を保護していたのですか?」


 呂布は軽く鼻を鳴らしてから答えた。


「以前にも言ったはずだ。役に立つなら置いてやる、と。誰の息子でも俺の役に立つなら価値はあるし、立たないなら価値はない」


 その極めて現実的な考え方が龐舒の中の呂布像と合致して、ようやく現実を受け入れることができた。


(この男が父上の仇だ)


 そう思った次の瞬間、龐舒の体は地を滑るように動いた。


「……むっ」


 と、呂布は小さな声を出しながら、体を反転させて戟を振った。そうしなければ死んでいたからだ。


 呂布の心臓を、龐舒の戟の穂先が正確に狙い突いてきた。


 先ほどまでの型に沿ったきれいな突きとは違い、ヌルリとしたまるで蛇のような動きだった。


 その穂先は呂布の戟によって弾かれたが、すぐに宙をクルリと回って逆袈裟へと変わる。斬撃は頸動脈へと向かっていた。


 呂布はそれを戟の柄で受けた。


 が、手応えが軽い。軽い分だけ次の攻撃への切り替えも早かった。引かれた龐舒の戟は突きになって戻ってきた。


 今度は下段、足の大動脈を狙う。


「やれば出来るではないか」


 呂布はそれも弾きはしたものの、明らかに先ほどまでとはキレが違った。


「俺を殺そうという気概がビンビンと伝わってくるぞ。やはり戦いはこうでなければ」


 そう言う間にも、龐舒の連撃は続く。


 確実に、素早く致命傷を狙った。牽制も目や重要な腱など、絶対に無視できないところへと放つ。


 命にまとわりつくような攻撃で、どれも鋭さといやらしさが格段に増していた。


「いい、いいぞ。先ほどまでのお前は教わった型とその応用を繰り返していただけだ。しかし、今の動きは俺のことを殺すためだけの動きだ。その方が実戦ではよほど強い」


 呂布は褒めてくれているようだったが、今の龐舒にとってはどうでもいいことだった。


(殺す、この男を殺す)


 そんな真っ黒な感情だけが龐舒の心を塗りつぶしている。他のことを考えるための領域など、欠片も残っていなかった。


 だから呂布の言葉には答えない。呂布を殺すために余分な動作だからだ。


 龐舒は呂布が一歩下がろうとしたのを見計らい、体を沈めて足に力を込めた。


 この男に死ぬほど走らされた。本当に死ぬのではないかと思うほど、走ることを強要してくれた。


 だからこの踏み込みには自信がある。


 龐舒の体は姿が歪むほどに加速し、戟の穂先が呂布の腹の真ん中へと疾走った。


 それは常人であればなす術もなく胃の腑を貫かれる突きであり、よほどの手練が身をよじってかわそうとしても致命傷になる一撃だった。


 が、呂布は止めた。しかも素手で止めた。


 自分の戟を離し、龐舒の穂先を両手で挟んで捕らえたのだ。


「いい突きだ」


 呂布はまた褒めて、挟んだ戟の柄を蹴り上げた。それは龐舒の脇に打ち、その体を跳ねさせた。


 戟を掴んでいられなくなった龐舒は、丸腰になって地面を転がる。


 呂布は片手に自分の戟を握り、もう片手に龐舒の戟を握った。


 片膝をついた龐舒にはもう武器すらない。その目の前に、死神のように呂布が立った。


「認めてやろう。お前は強くなった。まだ満足のいくほどではないが、役に立つ程度には強くなっている」


 言いながら、呂布は両手の戟を上段に持ち上げた。


「……が、さすがの俺もそんな殺気を向けてくる奴を家に置いておく気にはならん。やはり役には立たせられんから、ここで死ね」


 その言葉を言い終わる時、龐舒の頭上から死が降ってきた。


 一瞬の後には龐舒の体は三つに分かたれていることだろう。


 しかし、龐舒の心は恐怖していなかった。眼の前の死をもたらす男から教わったことだけがその心にあった。


(自分は死なず、相手を殺す)


 強くなりたいと思った青年は、その死へと向かって踏み込んだ。


 下がらず、前に出る。しかし体は半身によじり、紙一重で戟の刃をかわした。


 そんな死のすれすれを踏み込みながら、指を二本突き出した。目を突き潰そうとしたのだ。


 高いところにある呂布の顔は、自分の攻撃の分だけ反応が遅れた。そして龐舒の指は、確かに呂布へと届いた。


 が、それは目の横の皮膚を爪が擦る程度だった。呂布が首をねじり、その小さな動きだけで目潰しは成功しない。


「ぐっ……!!」


 という苦悶の声を出したのは龐舒の方だ。


 呂布の膝がめり込むほど腹に刺さり、その場に崩れ落ちた。


 龐舒自身が踏み込んでいたため、その衝撃は相当なものだった。


 これまでの怪我と疲労も重なり、龐舒の体は起き上がることもできなくなった。


「ゔ……ゔ……ゔ……」


 うめき声を上げながら、それでも震える腕を伸ばして仇の足首を掴む。


 呂布はその手の感触を受けて、急に可笑しくなった。


「ふ……ふ……ふはは、ふはははは!!」


 珍しく上機嫌に笑う師を、龐舒は憎しみを込めた目で睨み上げた。


 しかし呂布にはその視線までもが心地よい。


「良し。俺はこういう嘘の類は苦手であまりやらんのだが、今回は上手くいったな」


(……は?……嘘?)


 龐舒は突然出てきたその単語の意味が理解できず、思考を停止させた。


 呂布は相変わらず愉快そうに言葉を続ける。


「嘘だぞ。いや、お前の父が汚職を糾弾しようとして逆にめられたというのは本当だが、それをしたのは俺ではない。費潜ヒセンという名の、全く別の役人だ」


 突然の告白に、龐舒は唖然とした。


 疲弊した頭でそれを理解すると、息も絶え絶えに尋ねた。


「な……んで……?」


「なんで?お前を強くして俺の役に立たせるためだ。お前のような甘すぎる若造は、一度本気の殺意を抱いてみなければ使い物にはならんと思った。普通は死線をくぐれば目も覚めるものだが、お前は何度半殺しにしても目覚めなかったからな」


(目覚め……って、僕は寝てたのか?そして、今は目が覚めてるのか?)


 龐舒は自分の心を探るように、自分の胸に聞いてみた。


 具体的に何がどう違うということはない。ただ、確かに呂布を殺そうとする前とは心の在り方が違うようにも思える。


(何だろう……今なら全ての現実を受け入れられるような気がする……)


 少なくとも、一年余り前に現実の理不尽さを拒絶していた自分はそこにはいなかった。


 今でも正しくありたい、善くありたいとは思う。しかしそういう事と現実との次元の違いが、自然に理解できている気がする。


 それは理解したものの、龐舒はまた問いを重ねた。


「なんで……父のこと……黙ってらしたんですか?」


 呼吸は少しずつ戻ってきたが、まだ苦しい。


 その喘ぐような言葉に、呂布はまた明確に答えてやった。


「昨日までは特にできることもなかったからな。お前の父を嵌めた費潜という男は狡猾で、容易に尻尾を出さない。実情を知る一部の官吏も訴追するのに四苦八苦していた。だがついに今日、ようやく捕縛について丁原テイゲン様の裁可が下りたのだ」


 丁原というのは呂布のたちの住むへい州の刺史しし(長官)だ。


 それが許したということは、州を上げてその男を糾弾する方針が決定されたということになる。


「費潜は私兵を集めて抵抗するだろうという話だった。奴は役人とはいえ、裏社会の顔役だ。それなりの人数を集めることができる。俺もそういう荒事には大抵呼ばれるから、お前が役に立つなら一緒に連れて行ってやるぞ」


 言われた龐舒は自分自身を顧みた。


 もちろん行きたい。父の仇を討って、その無念を晴らしたい。


 そういう気持ちはあるものの、今の自分の状況はあまりに情けないようにも思う。


「僕は……呂布様の役に立つでしょうか?」


 その問いに、呂布は笑った。


 この男の笑みはどこか不敵で、龐舒はそれが好きだった。


「お前はこの呂布の体に傷をつけた男なのだ。もっと誇って良いぞ」


 呂布は自分の目の横を指先で撫でた。


 そこには龐舒の爪によって紅い線が引かれている。


 その小さな痕は師の言う通り、龐舒にとってこの上なく誇らしいものに感じられた。


「行きます。呂布様と一緒に、行かせてください」


 呂布はその返事を聞くと、すぐに踵を返した。


「では、今日はもう帰るぞ」


 歩き始めた呂布の背中へ、龐舒が遠慮がちな声をかけた。


「あの……呂布様……」


「なんだ?」


「う……動けません……」


 呂布は足を止め、小さなため息をついた。


「……何だお前は。ちょっと褒めてやったらすぐこれか」


 そう言って、龐舒の首根っこを掴んで引きずっていく。


 龐舒は尻で地面を擦りながら、懐かしい既視感を覚えていた。


(一年前、初めて会った時もこんな感じだったな)


 そんなことを思いながら、背中越しに師に尋ねた。


「あの……僕の父は、どんな役人だったのでしょうか?」


 呂布は前を向いたままそれに答える。


「俺が役所に入って間もない頃、教育係としてついたのがお前の父だ。事務仕事が得意ではなく、周囲から疎まれていた俺にゆっくり時間をかけて教えてくれた。善良な人間とは、お前の父のような人間を言うのだろう」


 その言葉に、龐舒の目から涙がこぼれた。


「ありがとうございます……父もきっと喜んでいます。呂布様はその時の恩もあって僕を保護してくださったんですね」


 呂布はそれを聞き、ピタリと足を止めた。


 そして片腕で龐舒の体を持ち上げ、その顔を自分の顔の前に持ってきた。


「恩だと?お前、恩などというものに価値があると思っているのか?」


「え?えっと……」


「恩とは、すでに過去のものだ。しかし人は皆、現在と未来とに生きている。これからの自分の役に立たないものに、価値など無い」


 そう断言する呂布のことが、龐舒はひどく心配になった。


(そういう風に生きていけるものかな?鬼神か龍神かのような呂布様だけど、誰もが過去の延長線上を生きているのに……)


 そう思った龐舒は、つい師の身を案じる視線を送ってしまった。


 それを受けた呂布は、不快さを顕にギョロリと睨み返す。


「なんだ?」


 鬼だが龍だかに睨まれた龐舒は、なぜかふわふわとした可笑しさに包まれた。


 一年前は恐ろしさで声も出なかったのに、今は不思議と笑みがこぼれてしまうのだ。


「僕はきっと、呂布様の役に立ちますよ」


 そう言って微笑む弟子に、師は気味の悪そうな表情を向けた。


「……ふん、そんなざまで言えることか。これからはもっと厳しく鍛えてやるから、もっと強くなれ」


 無慈悲にそう言い渡し、また首根っこを引きずって歩き始める。


 龐舒の微笑は苦笑へと変わった。


(これ以上厳しくされたら、本当に天に召されてしまうな……)


 そんなことを思いながら、召される先の天を仰ぐ。


 師の大きさを背にして見上げる月は、やけに澄んでいるように感じられた。

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