短編 簡雍2
「不当逮捕?」
許靖はようやく落ち着いた芽衣と馬を並べながら、そう尋ね返した。
芽衣は過剰なほど大きくうなずいて肯定する。
「そうなの、不当逮捕なの。酒造りの道具を持ってるってだけで逮捕された人がいて」
「それは、酒造禁止令の違反者として逮捕されたということなのか?」
「そうそう」
それを聞いて、一緒に帰路を進んでいる
「それはおかしいな。劉備さんの出した酒造禁止令は造ることを禁止しているだけで、道具の所持までは禁止していないはずだ」
芽衣は簡雍の方を向いて、また大きくうなずいた。
「そうだよね!?絶対におかしいよね!?でもその人は確かに逮捕されちゃったんだよ!!」
「ちょ……こら、芽衣……!!」
許靖は芽衣の言葉づかいに焦った。知らないとはいえ、将軍に対してあんまりな喋り方だ。
が、簡雍はこういう人間なので気にした様子もない。
「なにかの間違いじゃないかと思うが。そもそも道具の所持まで禁止してしまったら、みんな道具を捨てないといけなくなるぞ」
簡雍の言うことに、芽衣はこの世の終わりのような顔をして嘆き始めた。
「そうなのよぉ……実際にその噂が広まってから道具を捨て始めちゃってる人がいるのよぉ……そしたら来年もお酒が飲めないじゃないぃぃ……」
それを見た許靖は言葉づかいに関する小言をいったん引っ込めることにした。今何を注意されても耳に入らないだろう。
代わりに別のことを尋ねる。
「それじゃ、芽衣はその不当逮捕を私に何とかして欲しくて急いでここまで来たということか?」
「そう!許靖おじさんって一応は権力者でしょ?なんとかしてくれないかと思って」
当たり前のことのように言う芽衣に許靖は苦笑し、簡雍は爆笑した。
「わっはっは!!そりゃ少しでも早く対処してもらえば、それだけ来年の酒量が増えるからな」
「そうそう、おじさんよく分かってるねぇ」
「いや、おじさんってその人は……」
許靖はその言葉にまた焦ったが、簡雍はやはり気にも留めない。
「それならきちんと捜査してもらえば誤認逮捕ということで処理できるだろう。許靖さんに出張ってもらわなくても大丈夫じゃないかな?」
簡雍はそう言ったが、芽衣はその言葉でさらに肩を落とした。
「それがそうでもないらしくって……逮捕した人は『ちょうど今から作ろうとしているところだった』って主張してるらしいの」
「実際には違ったのかい?」
「逮捕された人は『今年は使わないから洗っておこう』と思って、蔵から出して並べておいたんだって」
「なるほど。両者の主張が食い違ってて、しかもどちらかを決定づける証拠もないってわけか……確かにそれだと泥沼になるな」
「そうそう」
「そして造ってもいないのに逮捕されたから、世間には『道具を所持しているだけで逮捕された』ってことで広まってるわけか」
「そうなのよぉ……」
芽衣は泣き出さんばかりに馬の首に突っ伏した。
許靖は話の大筋は理解したものの、早馬を飛ばしてまで急いで来る酒飲みの執念は理解できなかった。
「……ん?そういえば芽衣、随分と良い馬に乗っているな」
許靖は若い頃、馬磨きをして糊口をしのいでいたことがある。馬を見る目はあるつもりだった。
芽衣が跨っているのはめったにお目にかかれないほど良質な馬だ。
芽衣は顔を上げてから馬の首を撫でてやった。
「うん。この馬すっごく速いんだよ。酒飲み仲間が軍の馬の管理をしてるんだけど、事情を話したらとびきり良い馬を貸してくれて」
それは当然、規則違反の行為だろう。
周りには護衛の兵たちもいる。許靖は事を荒立てないために、それ以上は何も言わないつもりだった。
が、芽衣の追加の一言で思わず突っ込んでしまうことになった。
「何でも、赤兎なんとかって馬の子孫らしいよ?」
「いや、それは本当に洒落にならない」
許靖はそのあまりの血統にドン引いてしまったが、簡雍はまた爆笑した。
「あっはっは!!芽衣さん、良かったら俺にも今回のことで口利きをさせてくれよ。でもその代わり、それを貸したやつの名前を教えてくれ。今回のことをネタにゆすって、俺もその馬借りるからさ」
そう言ってから、周りの兵をぐるりと見回す。
「だからお前ら、今日のことを上に報告するんじゃないぞ?」
芽衣の酒飲み仲間にとって幸いなことに、この一言のおかげで馬の無断貸し出しが公の問題になることはなくなった。
***************
「駄目だ。その罪人は釈放できない」
主君に言下に否定された許靖は、二の句が継げなくなってしまった。
それは同行していた
二人は何も言えないまま、劉備の後をついて雑踏の中を進んでいく。
三人は今、成都の街の中心街を歩いていた。今日は路上に市が開かれる日で、人通りが特に多い。
劉備はここ益州の支配者だが、こうして街中を普通に歩いていることも多かった。許靖と簡雍はそれに便乗して話をしていたのだ。
『民に交わらなければ、民のことなど分かろうはずもない』
というのが劉備の持論だ。
もちろん護衛も連れているから多少の目を引くが、その人数も多くはないからどこかの富豪が歩いているようにしか見えないだろう。
ちなみに張飛を連れている時などは護衛も付けないから、もはやそこらの一般人と同じ扱いを受けている。
(そういう劉備様の姿勢はご立派だが……)
真面目な為政者であるがゆえに、しっかりと自分の意見も持っている。それが感じ取れる拒絶だったからこそ、許靖は何も言えずにただその背中を見ていた。
が、劉備は劉備で黙ってしまった二人に対し、
(しまったな)
と思っていた。
劉備は何十年も部下たちを率いてきた組織運営の玄人だ。下の人間がものを言えなくなるような言い方をしてしまった自分を反省した。
だから自分からその話題を続けることにした。
「……お前たちの言いたいことは分かる。しかし、今まさに酒を造り始めようとしていた所だったという報告を受けている」
劉備が話を続けてくれたので、許靖も自分の思うところを話せた。
「しかし、逮捕された者の近所に住む人間から『道具を洗うという話を前日にしていた』との証言が得られております。そんなこともあって『道具を所持しているだけで逮捕される』という噂になっているのですが……」
「それならそれで構わん。そのくらいの方が酒造禁止令の効果も上がるだろう。それに近所の人間がそのような事を言えば罪を免れられるなら、現行犯以外は捕まえようがなくなるぞ」
「それはそうなのですが……」
劉備の言うことはもっともだったが、個別の案件で言うと今回の逮捕者のように不幸な人間が出てくることになるだろう。
それに、芽衣の嘆いている通り酒造りの道具まで捨ててしまうのはあまりにもったいなく感じられた。
許靖がそれをどのように言おうか考えていると、劉備はさらに主張を重ねてきた。
「それにな、ここのところ成都では酒の席での揉め事や事件がよく起こっていた。酒で風紀が乱れているという側面もあるのだろう。しばらく酒を造れないというのも、決して悪いことばかりではないと思うのだ」
風紀というふわふわしたものを持ち出されると、許靖もはっきりと反論できなくなる。
何を言っていいか分からなくなった許靖は、救いを求めるような気分で簡雍の方を見た。
すると簡雍はピタリと足を止め、急にその場を動かなくなった。
「……簡雍殿?どうされました?」
不思議に思って許靖も足を止める。
二人がついてこないので、劉備も同じように足を止めた。
「おい、どうした?」
簡雍は劉備の問いかけにも答えず、眉にきついシワを寄せている。その険しい視線は通りの一点に注がれていた。
劉備と許靖がその視線の先を目で追うと、そこには若い男女が二人で歩いていた。
どうということはない、どこにでもいそうな男女だ。
劉備たちがそれを確認すると、簡雍は普段とは比べ物にならないほどの重々しい口調で喋りだした。
「劉備さん……あの二人をすぐに逮捕すべきです」
「…………?なぜだ?別に何も悪いことはしていないように見えるが」
「淫行罪です。あの二人はこれから淫らな行為を行いますから、逮捕しなければ風紀が乱れます」
劉備は簡雍の言っていることが分からず、眉をしかめた。
その男女は本当にただ道を歩いているだけだ。変にくっついているわけでもないし、身なりも普通だった。
なんなら家族か何かでもおかしくはない。
「なぜ淫行を行うと言い切れる?証拠もないのに逮捕はできんぞ」
「だって、二人とも淫らな行為を行うための道具を所持してますから」
は?
という顔をしてから、劉備は弾けるように大笑いした。
「あっはっはっはっは!!なるほどな!!確かにそうだ!!所持しているだけで逮捕ということは、そういうことになる!!」
あまりに大きな笑い声だったので、通行人が何事かとこちらを見た。
しかし劉備の顔を知っている人間などそういないので、目を向けるだけで通り過ぎていく。
劉備はその視線の中で笑い続けながら、何度もうなずいた。
「そうか……そうか。確かに所持のみでの逮捕はおかしいな。まぁ、民を誘導するために効果のある事ではあっただろうが、おかしいのは間違いない」
劉備はそう納得し、前言を撤回することにした。
「今回はお前たちの言う通りにしよう。例の罪人は釈放するよう指示しておく。道具の所持だけで逮捕することはないことも周知しておく。ただし、酒造の取り締まり自体はしっかり続けさせるからな」
「ありがとうございます」
許靖は胸を撫で下ろして礼を述べた。これで義理の娘へ顔向けできる。
それから今回の功労者である簡雍にも感謝と称賛を向けた。
「簡雍殿は本当にすごいですね」
劉備はまだ可笑しそうに顔を歪めながら、許靖に同意した。
「ああ、こいつは昔からずっとすごい奴だったぞ。どんな英雄でも、簡雍には敵わんさ」
どこまで本気で言っているか分からない発言ではあったが、何十年と人の世を生きてきた許靖にはあながち冗談にも聞こえなかった。
(なるほど……確かに簡雍殿に勝てる人間など、この乱世にもいそうにない。やはり人の世では、この手の人物が一番強いな)
簡雍最強説
『三国志で一番強いのは誰か?』
などという議論は百出あって答えの定まらないものではあるが、この説もまた正解の一つに加えて良いのではなかろうか。
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