小覇王の暗殺者1

↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139554954562366


時は遡り、許靖たちが会稽かいけい郡の王朗オウロウのもとに落ち着いてからしばらく経った頃。



 死が近づいて来るという事実に、十歳の雲嵐ウンランの身は震えていた。


 あちこちで断末魔の叫びが上がっている。


 ちょうど今も、すぐ隣りで戦っている男の首が斬られたところだった。その血が飛沫しぶきになって空に広がり、雲嵐を淡く濡らした。


 斬った男は呉郡の正規兵だ。


 斬られた男は山賊だ。


 そして雲嵐はというと、残念ながら討伐を受けている山賊の一味なのだった。


 兵は賊を一人斬った後、その隣りにいた雲嵐へと目を向けた。もう一人分、功績をあげられる。


 兵はそういう視線をまず向けてきたが、直後にその視線には逡巡が混じった。


 雲嵐がまだ十の少年で、斬るにはあまりに不憫だったからだ。


(悪い人じゃない……でも、だから死ぬ)


 雲嵐は少年ながらに多少の同情を感じつつ、引き絞っていた弓の弦を離した。


 矢が斜め下から兵に刺さり、喉から延髄を貫いた。即死だ。


「同情なんて、馬鹿な感情を持つから死ぬんだよっ」


 雲嵐は自分のことを棚に上げ、倒れる兵へ吐き捨てるようにそう言った。ただし、実際には兵が同情などせずとも結果は変わらなかっただろう。


 雲嵐の弓は速かった。


 まだ十歳と幼いものの、天賦の才とは恐ろしい。山賊たちの中で、大人も含めて雲嵐ほどの速射能力を持つ者はいなかった。


 兵がまず雲嵐ではなくその隣りの山賊へ斬りかかった時点で、結果は決まっていたのだ。


「弓の上手がこんな近さで戦うなんて、芸のない話じゃないか」


 誰を相手に漏らすでもない不満を口にしながら、雲嵐は手近な樹に登った。


 太い枝の上にしゃがみ、先ほど倒した兵のさらに先へと目を向ける。


 そこには防塁と柵が一部崩れた箇所があり、兵たちがそこから侵入しようと殺到していた。


 ここは山賊の砦であるから、討伐に来る郡兵を退けるために多くの防御施設が築かれている。


 堀や防塁、柵だけでなく、罠も多かった。よくもまぁここまで思いつくものだと感心するほどの多種多様な罠が仕掛けられているのだ。


 今まではそれで郡兵は追い払えていた。それどころか、追い討ちに討って随分な被害を負わせたこともある。その時には鹵獲した戦利品も多かった。


 郡の太守はそれで恐れをなしたらしく、しばらく討伐軍はやって来なくなった。


 その間、山賊たちはこの世の春を謳歌した。隊商を襲い、村々から略奪した。雲嵐もそれを手伝った。


 と言っても、雲嵐はまだまだ子供であって、しかも妹とともに誘拐に遭って売られて来た奴隷同然の身だ。


 別に財宝を分けてもらえるでもなく、ただただ便利な戦力として使われた。


(でも、それで良かったんだよ……たくさん奪えれば腹いっぱい食べられたし、俺が役に立てば皆が俺たち兄妹に優しくなった。それで良かったのに……!!)


 それなのに、郡はまた攻めてきた。


 今回は今までにない大兵力で、じっくりと罠を解きながら時間をかけて攻めてきた。これまでにない、腰の入った攻め方だ。


(呉郡の太守が変わったって話だったな。前までは『一応やってますよ』みたいな規模だったのに。確か、新しい太守の名前は……許貢キョコウ!!)


 雲嵐はその許貢に対し、強い憎しみ感じていた。


 そしてその感情を視線に込めて、倒れた柵を踏み越えようとする兵の一人を睨みつけた。


 そして睨みつけた次の瞬間には、すでに矢を放っている。


 矢はまっすぐ兵へと飛んでいき、その眼球に突き立った。


 その後ろにいた兵は、急に前の兵が倒れたので足を止めた。


 その喉笛へ、雲嵐の次の矢が刺さる。


 その直後にはさらに後ろの兵の胸に、その後ろ兵の足に、その後ろの兵の腕に、矢は次々と刺さっていった。


 矢は間断なく雨のように降ってくる。しかも、そのどれもが必ず当たった。


 兵たちは、これがまさか一張りの弓から放たれているものだとは思わなかった。多くの弓兵が待ち伏せしているものと判断し、いったん下がった。


「おい!盾だ!弓避けの盾を持って来い」


「でかいやつだぞ!早くしろ!」


 そんな声が聞こえる。


 それを聞きながら、雲嵐はまた身震いした。自分の矢では盾は抜けない。


(死が、近づいて来る)


 雲嵐は恐怖した。


 しかしそれは、自らの死を思って恐怖したのではない。


 妹である魅音ミオンの死を思って恐怖したのだ。


「魅音……魅音……」


 雲嵐は妹の名をつぶやきながら樹から降りた。そして妹のいる居住区へと走る。


 山賊たちには家族のいる者も多かった。その女子供たちとともに、魅音は避難しているはずだ。


(落ちる……この砦は落ちる……山賊は、全員死刑だ)


 大人たちはそう言っていたし、実際に斬首になって晒された仲間の首を見たこともある。


 魅音は雲嵐の三つ下の妹で、まだ色々なことがよく分からない齢の頃に誘拐されてきた。


 雲嵐はこれまでの人生を、その妹を守るためだけに使ってきたと言っても過言ではない。


 自分が役に立てば、妹も良くしてもらえる。だから雲嵐はとにかくよく働き、山賊たちから気に入られ、強くもなった。


 たった今そうしたように、たくさん殺したし、たくさん奪った。全て妹を守るためだ。


 その妹が生首になることなど、恐ろしくて想像すらできなかった。


(魅音を連れて、二人だけでどうにか逃げよう)


 そう心に決めて、居住区へと走る。逃げる先も心当たりが無いわけでもない。


 その雲嵐の腕を、山賊たちの一人が掴んだ。


「おい雲嵐、何してる?敵はあっちだぞ」


 雲嵐は心の中で舌打ちしつつ、空になった矢筒をあごで示した。


「矢の補充」


 そう短く答えてから、腕を振り払ってまた駆け出す。


 本当は矢はまだいくらかあった。しかしそれはあらかじめ服の中に隠してある。雲嵐はそれくらいの頭は働く少年だった。


 居住区に来ると、一番大きな集会所の建物へと向かった。そこに戦えない女子供たちが集めてある。


 その扉を開けて、大声で妹の名を呼んだ。


「魅音!魅音いるか!?」


 が、妹の返事はない。代わりに扉の近くにいた中年の女が答えてくれた。


「雲嵐かい?魅音ならちょっと前に出てっちまったんだよ。止めるのも聞かずに」


「えっ、どこに!?」


「あんたを助けに行くんだって言ってたよ。弓も持ってたし、戦いが起こっている所に行ってるかもしれないね」


「…………っ!!」


 雲嵐は妹のまさかの行動に驚きつつも、どこか納得もしていた。


(ここを絶対出るなって言ったのに……本当に兄ちゃんの言うことを聞かないやつだな!)


 そういう妹なのだ。


 まだ七歳なので理屈や危険を理解するのが難しいという事もあるが、それだけでなく、そういう妹なのだった。


(弓なんて教えるんじゃなかった!!)


 雲嵐は一年前から魅音に弓を教えていた。山賊などという共同体にいるのだから、護身の術くらい持っていた方がいいと思ったからだ。


 しかも魅音はやたら筋が良かった。さすがにまだ小さな弓しか引けないが、五十歩離れた的に十矢撃たせれば、八や九は必ず当たった。


 弓術の才能は別に遺伝するものでもないだろうが、この兄妹はたまたま二人ともが天賦の才を持っていたのだ。


 雲嵐もつい褒め過ぎてしまった。それで魅音は調子に乗ったのかもしれない。


「魅音!魅音!」


 雲嵐は叫びつつ砦内を走った。自分が来た道とは別の道を通って戦場へと向かう。


 その途中、敵の郡兵が剣を振り上げながら走って来た。最後の防衛線が抜かれたのだ。


 雲嵐は矢を服の中から矢筒へと戻し、一瞬の動作で矢を放った。


 まともに狙ったように見えなかったその矢は、見事に兵の喉の真ん中に突き刺さった。


(冗談じゃない……冗談じゃないぞ!!)


 雲嵐は心の中で絶叫した。


 今しがた兵の振り上げていた剣が、魅音へと落ちるのを想像してしまったからだ。


(たった一人……俺にはたった一人なんだよ……それまで奪うんじゃない!!)


 少年は誰に対してそう言いたかったのか。


 神かもしれないし、運命かもしれない。どちらにせよ、少年にとってそれはただただ理不尽に自分から奪うものだった。


 幼い日、貧しくとも父母がいて暖かな家庭に育っていた。


 それが突然妹とともに誘拐に遭い、人身売買によってこの山賊の下働きとして暮らすことになった。


 山賊たちは初め、立場を分からせるために雲嵐をしこたま殴った。辛かった。


 しかし意外にも、慣れてしまえば内輪には優しい連中ではあった。賊とはいえ、一つの共同体を運営しているのだからそういうものなのだろう。


 ただ、それでも幼い雲嵐には辛かった。暖かい父母を欲していた。神だか運命だかは、それを理不尽に奪ったのだ。


 雲嵐は辛かった。


 だからもっと幼い妹はもっと辛いだろうと思い、守らなければと思った。


 山賊が妹を殴ろうとすれば、代わりに殴られた。妹に優しくしてもらうために、兄の自分が山賊たちの役に立とうと奮闘した。


 妹を守ることは、雲嵐自身が生きるための力にもなったのだった。


 が、今その生きる力までもが理不尽に奪われようとしている。


「魅音!魅音!魅音!」


 雲嵐は目を血走らせて妹の姿を探した。妹を失えば、自分はどうやって生きていけばいいのだ。


 周り中、あちこちで山賊たちが殺されている。その死骸を飛び越えるたびに、死骸になった妹を想像して背筋の凍る思いがした。


 家屋には火が放たれたようで、煙が充満してきている。


 雲嵐はその中を走った。走りつつ、自分の邪魔になりそうな兵は即座に射殺した。


(矢を補充しないと……)


 そう思った時、雲嵐の求めたいた声が耳に入ってきた。魅音の声だ。


 が、それは悲鳴だった。


「キャアアア!!」


 魅音は今まさに、兵から斬られそうになっているところだった。


 火の手の上がった屋敷の軒下にうずくまり、三人の兵から囲まれている。


 魅音のそばには一人の兵が仰向けに倒れていた。目に矢が刺さっているようだ。


 魅音がやったのだろう。だから幼い少女が相手でも、兵たちは敵戦力とみなして斬り殺そうとしているのだ。


「やめろぉおお!!」


 雲嵐は叫びつつ、剥き出しにした感情を乗せた矢を放った。


 矢は剣を振り下ろす兵の手の甲に刺さり、軌道のずれた剣は魅音をわずかに逸れた。


 雲嵐は息つく間もなくさらに二射した。それらは共に兵の頸動脈に当たり、二人の兵は血を吹き出しながら絶命した。


 が、兵はもう一人いる。


 しかし、雲嵐はそれを射てなかった。矢が切れてしまったからだ。


「うおおおおおっ!!」


 雲嵐は叫びながら、弓を兵に叩きつけようとした。


 兵はそれを剣で受け、弓は簡単に折れた。そしてその剣は頭上に高々と上げられ、雲嵐の脳天へ落とされようとする。


 自分の死を悟った雲嵐は、妹に向かって叫んだ。


「逃げろっ」


 それは兄の最期の願いになるはずだった。


 が、妹は言うことを聞かなかった。


 兄の言うことを、素直に聞く妹ではないのだ。


「やぁ!!」


 幼く高い声とともに、魅音の小さな弓から矢が放たれた。それは見事に兵の手首に刺さる。


 雲嵐はそれで動きの鈍った兵に飛びつき、押し倒した。そして手首に刺さった矢を抜き、兵の目に深々と突き刺した。


 兵の体は大きく痙攣するように跳ねてから、動かなくなった。


「魅音!!」


 雲嵐は兵の上から起き上がると、すぐに魅音の肩を掴んだ。


「無事か!?怪我はしていないか!?」


「うん、大丈夫。兄ちゃんを助けに来たよ」


 雲嵐は妹の言うことに二の句が継げなかった。


 色々言いたいことはあったが、現実に助けられてしまってもいる。


 魅音は兄の困り顔を見て、明るく笑った。安心させようとしてくれたのかもしれない。


 笑うと、歯が一本欠けているのが見えた。別に兵にやられたわけではなく、つい一昨日乳歯が抜けたからそうなっているだけだ。


 それを見た雲嵐は、ようやく言葉を発することができた。


「……よし、とりあえず逃げるぞ」


 妹の腕を引いて立ち上がる。


 そして逃げる方向の検討をつけようとした時、頭上でミシミシと音がした。


 見上げると、火のついた家屋の屋根と壁が今まさに雲嵐たちへと倒れ落ちてくるところだった。


(間に合わない!!)


 そう思った雲嵐は魅音を抱きしめた。これまでの短い半生でずっとそうしてきたように、妹を守ろうとした。


 雲嵐は家屋の重みと火の熱さを覚悟した。


 が、実際に雲嵐を襲ったのは、背中からの強い衝撃だった。誰かが雲嵐を魅音ごと強く押したのだ。


 二人は押し飛ばされて、地面に転がった。その足元に家屋が落ちてくる。間一髪、当たりはしなかった。


 それで二人は助かったが、二人を押した人間はそうではなかった。火のついた瓦礫が落ちてきて、その下敷きになった。


「…………っがああぁああ!!」


 そんな声とともに、その人間は瓦礫をはねのけてそこから飛び出てきた。どうやら幸運なことに、瓦礫は人が動けなくなるような落ち方をしていなかったらしい。


 ただ、火はどうしようもなかった。


 全身火だるまになりかけた男が地面の上を転げ回る。


 転がりながら、雲嵐と魅音に声をかけてきた。


「き、君たち……!!熱っ、熱っ……!!け、怪我はないか……!?熱っ……!!」


 その男は見たところ郡兵のようだった。


 山賊の装備ではなく、もっとしっかりとした鎧を着込んでいる。その上に羽織った服も、燃えてはいるが上等なものに見えた。


(……どうする?殺すか?)


 雲嵐はそのことを迷った。


 郡兵は敵だから殺した方がいいが、この兵は自分たちを助けてくれたのだ。


(この様子なら火傷もひどいだろうし……こいつはもう戦力にならないだろう。少なくとも、このまま逃げても追っては来ないはずだ)


 そう自分に言い聞かせた雲嵐は、転がる兵を襲うのを止めた。そして、それは結果として正しい判断となった。


 すぐに、その兵の仲間たちが駆けつけてきたからだ。


「…………っ!!」


 屈強な兵が十人以上現れて、雲嵐は歯噛みした。もし兵を襲っていたならば、すぐに殺されていただろう。


 が、この状況では逃げることもできなくなった。これだけの兵を相手に、矢もなく切り抜けられるとは思えない。


 現れた兵たちは、火だるまになりかけた男を見て慌てふためいた。


「だ、大丈夫ですか!?」


「水だ!水を持って来い!」


「間に合うかよ!砂かけろ砂!」


「いや、まずは服を剥げ!」


 兵たちが男の服を破りながら、砂をかける。


 そうされながら、男は雲嵐たちの方を指さした。


「俺よりも、あの子供たちの保護を!!」


 兵たちの視線は一度雲嵐たちを向いた。が、特に怪我もなさそうだと分かると、すぐに男の方へと戻った。


 罵声とともに。


「何言ってんだあんた!自分の立場分かってんのか!?」


「あんたが死んだら皆が困るんだよ!」


「こうやってあんたが無茶する度にヒヤヒヤする俺らの気持ちにもなれ!」


「そうだ!何か守ろうとする度にこれじゃあ、あんたいつか死ぬぞ!?」


 兵たちに罵倒されながらも、男のまとっていた火は次第に小さくなっていった。


 そして服と鎧も剥がれ、半裸になった男がフラフラと起き上がる。


「大丈夫……もう大丈夫だ」


 どう考えても結構な火傷にはなっているはずだが、男はそう言って兵たちを制した。


 それから雲嵐たちの方を向く。


「君たち、怪我はないか?」


 先ほど地面を転がりながら聞いてきたことを、再度聞かれた。


 雲嵐は魅音を抱き寄せながら、小さくうなずいた。そうしつつ、頭の中ではここから逃げる方策を必死に模索している。


 男はそんな雲嵐たちへ、屈託のない笑顔を向けてきた。


「そうか、良かった」


 その表情を見た雲嵐は、なぜか心の溶けるような思いを抱いた。


 その感覚は、もう随分と長いこと感じていないものだった。


(……方針転換だ)


 雲嵐は心の中でそれを決定した。そしてすぐさま口を開く。


「あの……俺たち兄妹は誘拐されてここに連れて来られました!助けてください!」


 出来るだけ同情を引くような表情を意識しつつ、そう叫んだ。


 これまでは郡兵から逃げることを考えていたが、現実問題として、逃げられない。ならば逆に保護してもらうのだ。


 嘘は言っていない。実際に誘拐されて来たわけだし、郡兵に助けてもらうのはおかしな事ではないだろう。


(ただし……俺はあんたらの仲間をたくさん殺したがな!!)


 当然、そのことは言わない。略奪などで民間人を殺してきたことも言わない。


 事情が事情であるとはいえ、雲嵐はすでに相当な悪事に加担していた。


 しかも、妹まで今しがた一人殺してしまったのだ。


(逃げる努力はやめて、それがばれないようにする努力だ)


 そう腹を決めた雲嵐は、懐から布を取り出すと魅音の頭と顔に巻き始めた。


「火の粉が飛んでくるから、頭巾代わりだ」


 そう言ったが、本当は仲間たちから顔を隠すためだ。


(後で自分にも同じようにしよう)


 そう思っている時、半裸の男がまた尋ねてきた。


「君たち、名前は?齢はいくつだ?」


「雲嵐と魅音です。俺が十で、妹が七つです」


「辛かっただろう。誘拐される前の家は分かるか?」


「いえ……小さい頃に誘拐されたので。村の名前も分かりません」


 誘拐された時、雲嵐は六歳で魅音は三歳だった。記憶があやふやなことも多かった。


「そうか…………ならば、俺の家族になるのはどうだ?十だとちょうど末の息子と同い年だし、遊び相手になってくれればいい」


 男のいきなりの申し出に、雲嵐は驚いた。


 保護してくれるにしても、いきなり家族になれとは唐突すぎる。思わず戸惑いの声を上げてしまった。


「え?えっと……」


「遠慮することはない。食い扶持なんかも気にしなくてもいいぞ。こう見えても俺は、呉郡の太守だからな」


「太守っ!?……きょ、許貢?」


 雲嵐は驚きのあまり、『様』も付けずに太守の名を口にした。


(まさか……太守本人が子供を守るために命を張るなんて……)


 雲嵐はそのことに驚きつつも、それで兵たちの言動には納得できた。


 確かにおいそれと危険に身を晒していい立場の人間ではない。


(でも……太守って結構な大物だぞ?それが初めて会った俺たちを、いきなり家族になんて……)


 にわかには信じられない話だ。だから雲嵐は、念を入れるように問い返した。


「ほ、本当に……太守様?」


「おう、本当だぞ。と言っても、実は前太守を武力追放して、その椅子に座っているだけだがな」


 許貢はかなりの背徳行為を告白したわけだが、その笑顔は微塵も崩れなかった。


「武力追放……」


「そうだ」


 それを聞いた雲嵐は、許貢の笑顔に気を許してしまったのかもしれない。思わず失礼なことを口にした。


「……山賊みたいなことしますね」


 その言葉を聞いた兵たちは、許貢を囲んで高い笑い声を上げた。

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