小覇王の暗殺者2
「当たった!ほら、ど真ん中だ!」
邪気のない声を上げる
(別に、苛立つことなんて何もないんだけどな)
自分の感情をかき消すために、心の中でそうつぶやく。
今しているのは何のことはない、ただの弓術の練習だ。
雲嵐と
別に養子にするとかそういうわけではないのだが、衣服を用意し、食事を用意し、部屋を用意してくれた。そして一緒に生活する。
衣食住だけではない。教育もしてくれた。雲嵐はもうかなりの字を覚えたし、魅音も幼いながらに頑張って筆を持っていた。
ただ、雲嵐はこれまで山賊の中で役に立つ自分を示しながら暮らしてきた。だから、ただやっかいになるだけという生活にどうしても慣れなかった。
(自分の食い扶持くらい、自分で稼がないと)
人から見れば不幸な半生を生きた十歳の少年は、そう思ってしまうのだ。
だから雲嵐は弓を片手に狩りに出て、猪や鹿、兎や鳥などを狩ってきた。
この上等な衣服や広い屋敷の家賃がいくらなのかは検討もつかなかったが、少なくとも食事代くらいは稼いでいるはずだ。
一度狩りについて来た許貢は、雲嵐の弓の腕前を見て驚愕した。そして末の息子である許安に弓術を教えるてくれるよう頼んできたのだった。
そういう経緯があり、しばらく前から屋敷の中庭で練習している。今日もそうで、ただ弓術を教えていただけなのだから、雲嵐が苛立ちを覚える理由などはない。
だが許安の無邪気な笑顔がなぜか雲嵐の神経に棘を刺した。
だからそれを隠すため、雲嵐は過剰に明るい声を上げた。
「上手いじゃないか。やっぱり許安には弓の才能があるよ」
上げたのは過剰な声音ではあったが、許安の弓の才は本当に認めていた。
許安の放った矢は、的の真ん中から一寸左を射抜いている。ほぼど真ん中と言っていいだろう。確かにこの少年は筋が良い。
(でも、魅音ほどじゃないな)
そうも思う。
許安には本当に才能があると思うし、あの山賊連中にもこれほど筋の良い者はいなかった。が、それでもやはり魅音の方が上手いのだ。
しかし、さすがにそれを口にはしない。言わでものことだ。
その時、二人とは別のところから矢が放たれた。それはまっすぐに的へと飛び、真ん中へと刺さった。許安の矢よりも、さらにど真ん中に。
「魅音の方が上手いよ?」
許安の隣りで、魅音がニコニコと嬉しそうに笑いながらそう言った。
雲嵐は苦笑いし、許安は頭を掻いた。
「本当だ。魅音ちゃんの方がずっと上手いね。それに雲嵐はさらにもっと上手いから、僕が一番になる日は一生来ないだろうなぁ」
許安は柔らかな笑顔でもって、素直にそう認めた。
それを見た魅音の笑顔は、よりいっそう輝いた。
(魅音のやつ……これが初恋なんだろうな)
魅音の感情が親のように分かる許安は、まだ幼い妹の熱っぽい視線の意味をよく理解できていた。
ならば、兄として妹に男女の機微でも教えてやるべきかもしれない。
こういう時は、ただ『すご〜い』を連発していればいいのだ。決して今のように男を叩きのめしてはいけない。
(……もしかして、俺が許安に苛立つ理由はこれか?)
雲嵐はほとんど親のように魅音の世話をしてきた。だから娘が嫁に行く父の気持ちで、相手の男に苛立っているのかもしれない。
(いや、そればっかりじゃないよなぁ)
魅音との関係は完全には否定できないものの、雲嵐が許安に感じている苛立ちはそれだけではないようだった。
何か、もっと根深いものを感じる。
(許安……間違いなくいいヤツなんだけどな)
雲嵐はあらためてそう思った。好きか嫌いかと問われると、大好きだ。
明るく素直で、心根が優しくできている。いきなり一緒に暮らすことになった雲嵐と魅音に対しても、本当の兄妹のように接してくれた。
山賊のところで殴られた話などをすると、他人事なのに本気で怒ってくれた。そういう、いいヤツなのだ。
(許安が義理の弟になるなら、それもいい)
雲嵐と許安は同い年で、雲嵐の誕生日が分からないから兄か弟かというと今のところよく分からない。
しかし、許安と魅音が結婚するなら雲嵐が兄ということでスッキリもする。
(それもいいと思うんだけどな……なんで、たまに苛っとしちゃうかね)
雲嵐が己の心の不思議について考察している時、玄関の方から声が上がった。
どうやら屋敷の主である
「あっ、父上だ!」
許安はつがえかけていた矢を下ろし、門の方へと走った。
魅音もそれを追う。
「父上だ!父上だ!」
そう連呼ながらついて行く魅音の背中を、雲嵐はなんとも言えない表情で眺めた。
(父上、か……)
魅音は許貢のことを『父上』と呼ぶ。別に正式な養女にしてもらっているわけではないが、許安がそう呼ぶから魅音もそうしているだけだ。
雲嵐はさすがに父上とは呼べなかった。普通に『許貢様』と呼ぶ。
許貢自身は魅音が父上と呼んでくれるのを喜んでいたが、雲嵐にもそうしろとは言わない。
それはきっと多感な少年を気遣ってくれているからで、雲嵐はそういう許貢に救われるところがあった。
(ただ、アレばっかりはなぁ……)
雲嵐は閉口するような気持ちでそう思った。
許貢には一つ癖のようなものがあり、雲嵐はそれに困ってしまうのだ。
しかし、屋敷の主を出迎えないわけにもいかない。雲嵐も許安と魅音に続いて門へと向かった。
許貢は息子と新しい家族を見ると、満面の笑みになった。
そして、いきなり許安を抱きしめた。
「大好きだ!俺は世界でお前が一番大好きだ!」
そう言って、ぎゅうぎゅうと締め付ける。
許安は嬉しそうにそれに応えていた。
「おかえりなさい、父上。私も父上が一番大好きですよ」
そんな二人の周りに、魅音がまとわりついた。
「魅音は?魅音は?」
雲嵐はその様子を見て、小動物が飼い主にじゃれているようだと思った。
「おお、魅音!俺は魅音のことも、世界で一番大好きだぞ!」
許貢は息子を離すと、今度は魅音に対しても同じようにした。
屋敷中に魅音の明るい声が響く。そして魅音も許貢を抱きしめた。
「大好き!魅音も父上が大好き!」
許貢は魅音が満足するまでそうした後、その視線を雲嵐へと向けた。
雲嵐は戸惑いに半歩後ずさった。が、許貢は構うことなく両腕を広げて近付いて来る。
そして有無を言わさず抱きしめた。
「雲嵐、大好きだぞ。世界で一番、お前が大好きだ」
「あ……ありがとうございます……」
雲嵐は顔を赤くして、小さな声でそれだけ口にした。
許安や魅音のように、大好きとは言えない。その言葉はどうにも口から出て来なかった。
これが許貢の癖だ。家族の誰彼構わず、もう大きくなっている息子や娘に対しても、同じように抱擁しようとする。そして必ず『世界で一番お前が大好きだ』と言うのだ。
全員に『世界で一番』と言っているわけだが、その台詞は絶対に変わらない。
以前に魅音がその矛盾を尋ねたことがある。
『父上は皆に一番って言うけど、本当は誰が一番好きなの?』
『俺は皆が一番好きだよ』
『皆の中の、誰が?』
『皆だ!!』
そういう許貢が、家族は皆好きだった。
魅音はこの抱擁を無邪気に喜んだが、山賊の中で大人に擦れた雲嵐は単純に受け入れられなかった。それに十歳にもなると恥ずかしいという気持ちもあるし、照れくさくもある。
ただし、本心としては脳が溶けてしまうのではないかと思えるほどの幸福感を覚えるのだ。
雲嵐はまだ父母が恋しい頃に誘拐されてきた。
だからこういう親の愛情には非常に飢えていて、初めて抱きしめられた時には自分でも戸惑うほどの涙を流してしまった。
それは魅音も同じだったが、魅音はすぐにその幸福を受け入れた。それが雲嵐には羨ましいし、多少の妬ましさもある。
(そうか……俺が許安に苛立ちを覚えるのは、この妬ましさが原因か)
許貢に抱かれつつ、雲嵐はそのことを悟った。
許安は根が素直にできていて、魅音と同じように父の愛情を自然体で受け入れられている。
雲嵐はそういう素直さや、さらに言えば、そういう素直さが育つような幸せな幼少期が妬ましかったのかもしれない。
(でも、俺は単純には受け入れられない。受け入れちゃいけない)
雲嵐は恐怖とともに、そうも思うのだ。
なぜなら許貢はここ呉郡の太守であり、自分はその治安を乱した山賊だったのだから。許貢の守るべき民を殺し、奪い、許貢の部下たちも多数殺した。
今の所、そういった事はばれていない。誘拐されて、山賊の下働きをさせられた被害者として同情を受けている。だから保護してくれているのだ。
しかし、それはいつばれるか分からない。聞く所によると、山賊は全員が全員死刑になったわけではないらしいのだ。
労役に就いた者もいるが、それはいつか終わるだろう。また、罪が軽いという判断の下った者は軍や役所、官営工場などで働いていたりもするらしい。そういった人間に自分の顔を見られれば、簡単にばれてしまう。
ばれれば、自分は死刑だろう。それくらいの事はしてきた。
もしそうなれば魅音とともにすぐ逃げなければならない。魅音も兵を殺している。それに、自分という庇護者を失った幼い妹がまともに生きていけるとは思えなかった。
(本当は、金目の物を盗んでさっさと逃げるのが正解なんだろうけど……)
分かっている。それは分かっているのだ。
しかしこの幸福な抱擁と『大好き』という言葉、そして魅音の幸せそうな笑顔が、雲嵐の決断を鈍らせていた。
「相変わらずだな、許貢」
そう言葉をかけてきたのは、雲嵐の知らない男だった。
どうやら客人のようだ。許貢が連れて来たらしい。
許貢は雲嵐を解放し、その男の方を向いた。
「許靖。前から言ってるが、お前の家でもこうした方がいいぞ。これが家庭円満の秘訣だ」
許靖と呼ばれたその男は、穏やかな笑みでうなずいた。
「ああ、そうだな。私もそう思うし、お前に言われて実際にそうしていた。だが今の年齢の息子にそれをやると、かなり気持ち悪がられるだろうよ」
「気持ち悪がられてからが勝負だ」
「……何の勝負だ、何の」
「愛の押し付け勝負、かな?」
「押し付けって、自分で言ってしまってるじゃないか」
「いいんだよ、押し付けるくらいで。大人が子供に一番しないといけない仕事は、愛していると伝えることだ」
そんな話をしている許靖へ、許安が拝礼した。
「ご無沙汰しております、許靖様。近いうちに来られるとは聞いておりましたが、今日おいでとは思いませんでした」
「許安殿か。大きくなったな。前に会ってから一年も経っていないと思うが」
許靖は現在、呉郡の南隣りにある会稽郡に住んでいるが、そこへ行く前にここ呉郡にも数ヶ月滞在している。その時に許貢の依頼で様々な人物に会い、その人物評を伝えていた。
許靖と許貢は古い友人関係で、家族ぐるみの付き合いでもあったから互いのことはよく知っている。
だから許靖が人物鑑定で世に知られた名士であることも、許安は当然知っていた。
「私は身長も伸びましたが、それよりも人間として成長できているかが気になります。私の瞳は、良い方に変わっているでしょうか?」
問われた許靖は許安の瞳の奥の「天地」をじっと見た。
そして、うなずいて答えてやった。
「ああ、許安殿はちゃんと人間的にも成長しているよ。許安殿の瞳の奥には様々な道具を作る職人たちが見えるが、前に会った時よりも精巧な作品ができているように思う」
許安の「天地」はそういう「天地」だった。何人もの職人たちが日用品などの道具を作っている。
ものづくりの「天地」だ。
「その成長に関しては、多少心当たりがあります。こんなものを作り始めました」
許安は誇らしげに持っていた弓と矢を掲げてみせた。
「これは私が自作したものです」
「本当か。すごいじゃないか。まるで本職の大人が作ったようだ」
手放しに褒められた許安は、少し照れながらも嬉しそうに笑った。
許安は手先の器用な少年で、瞳の奥の「天地」がそうであるように、ものづくりが大好きだった。
父に雲嵐から弓術を習えと言われた時には、それよりも弓自体を自作したいと思い、まずその構造を知ろうとした。
構造の理解から入っているため弓術自体の上達も早い。力学的な要点が分かるからだ。
そして弓術が上達すれば、良い弓の構造が体で分かる。だから弓作りの方の成長も早かった。好循環だ。
ただ、許靖が注目したのはそんな手先のことばかりではない。もう一点付け足した。
「それに以前よりも、職人たちが明るく笑い合っているように見える。きっと、何か良い人間関係でも築けたんじゃないか?」
許安は先ほど弓を褒められた時よりも嬉しそうな顔をした。
そして雲嵐と魅音のところに来て、その肩に手を置く。
「新しい家族ができました。雲嵐、魅音です。とってもいいヤツらなんですよ」
(いいヤツはお前だよ。俺は重罪人だ)
雲嵐はそう思ったが、ここにいるためには重罪人であることを隠し通さなければならない。出来るだけ善人面を意識して笑った。
「俺と妹は小さい頃に誘拐されて、山賊の下働きにされていました。それを許貢様が保護してくださったんです。俺たちみたいな妙なのが増えていますが、よろしくお願いします」
そう言って、頭を下げる。魅音の頭も押し下げて、無理やりおじぎをさせた。
許靖の方は、許安が紹介してくれた。
「許靖様は父上のご友人で、有名な人物鑑定家でいらっしゃるんだ」
魅音があまり聞き慣れない単語を耳にして繰り返した。
「じんぶつかんていか?」
「その人がどんな人か、どんなすごい所があるかを教えてくれるんだ。許靖様は相手の目を見るだけでそういうことが分かるんだよ」
「すごい所……」
許安の回答を聞いた魅音は兄の手をすり抜け、許靖のそばに駆けて来た。そして目を輝かせながら、袖を引っ張る。
「魅音は!?魅音はどこがすごい!?」
雲嵐は妹の首根っこを捕まえた。
「こら、魅音。失礼だろう」
許靖はそんな雲嵐を手で制した。
「いや、気にしなくていいんだよ。だが、私の人物鑑定は遊び半分だと思って欲しい」
(そりゃそうだろうな)
雲嵐は当然そう思った。目を見るだけで相手のことなど分かるはずがない。
山賊として常に現実に対処してきた雲嵐には、そんなもの到底信じられない。
許靖は魅音の瞳をじっと見た。
「魅音ちゃんの目には……とても面白いものが見えるね」
「どんなの?」
「弓を持った猫だ」
「弓?猫?」
「うん。魅音ちゃんは弓が上手いんじゃないかな?」
「上手いよ!安ちゃんよりも上手い!」
それを聞いた許安は苦笑した。
許靖もうなずきながら笑う。
「そうか、そうだろうね。魅音ちゃんの瞳の中にいる猫が放つ矢は、百発百中だ。そして、その猫は自由気ままに生きている。好きなようにゴロゴロしたり、跳び回って遊んだり。腹が空けば寝転んだまま矢を射って獲物を獲る。きっと魅音ちゃんは気分屋で、我が道を行くという感じの人間だろう」
その言葉を聞いた雲嵐は、ドキリとした。
(……確かにそうだ。魅音はまだ小さいとはいえ、それにしても自由人なところがある)
山賊の所にいたおばちゃんたちも、初めは『このくらいの齢の子は皆こういうものよ』くらいにしか言っていなかったのだが、次第に『この子は本当に自由人ね』からの『本当にもう、仕方ないねぇ……』という諦めへと変わっていった。
例えば、食べ物の好き嫌いも非常に多い。満足な量の食事が出ない時でも、嫌いなものは絶対に口にしなかった。
雲嵐が山賊の所でも許貢の所でも役に立とうとしたのは、こんな妹でも周りから疎まれないようにしてやりたかったというのが理由の一つだ。兄が役に立てば、妹にも優しくしてもらえる。
ただし、そんな兄の言うことも聞きはしないが。
許靖の言うことは雲嵐を納得させたものの、魅音には難しかったらしい。また首を傾げた。
「よく分からない」
「ちょっと難しかったかな。要は、魅音ちゃんは自由でいいねっていう話だよ」
そう言って魅音の頭を撫でる許靖へ、雲嵐は恐怖の入り混じった視線を向けた。
(この人……本当に目を見るだけで相手のことが分かるのか?)
もしそうなら、危険だ。自分は数々の悪行を犯した重罪人で、そんな事が知られればここにいられなくなる。
許靖の視線は自然な流れで雲嵐の方へと向いた。今度は兄を鑑定してやろうと思ったのかもしれない。
雲嵐はその視線から逃げるように顔を背けた。
そしてそのまま体ごと明後日の方を向き、そちらへ歩き出す。
「失礼します、ちょっと厠へ……」
そう言って、足早にその場を去る。
そして雲嵐は、腹痛と称して晩餐にも顔を出さなかった。
許靖が今晩泊まっていくと聞いたので、絶対に顔を合わせないようにしようと思った。
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