第168話 接待と圧力
「いや、まさか太守様にご馳走になるとは思いませんでした」
「質素な料理で申し訳ありませんが、味は良いでしょう?」
「ええ。心が暖かくなるような、良い食事でした」
許靖の質問に趙才はうなずいて答える。
世辞ではない。確かに豪華な食事とは言えなかったが、ありふれた食材とありふれた料理が心を込めて作られているのを感じた。
むしろ、高級な料理ではこのような気持ちにはなれないだろう。
二人は許靖の屋敷にある離れの一室で食事を共にしている。
離れと言っても結構な大きさの建物で、今いる一室とは別に数十人で宴会ができるほどの大きな部屋もある。
屋敷は太守就任にあたり、
「実は、料理を作ってくれたのは私の兄の妻や娘、孫たちです。太守の公的な接待にこの屋敷とうちの家族を使おうと思っていまして、趙才殿はその一人目です」
許靖は兄の家で初めて食事を摂った時に、それを思いついた。
朱亞たちが作る料理は別段良い食材を使っているわけでもないのに、妙に美味くて妙に心が落ち着いた。初めて来た家での食事なのに、まるで長年住んだ家での食事のような心持ちになったのだ。
(彼女たちに仕事を与えることが出来るし、自宅の離れを接待場所にすれば警備上も手間が省ける)
一石二鳥の妙案だと思った。
接待を郡の公的な仕事にすれば正式に郡から給金を払えるし、警備の人員も自宅と二重に置かなくていい。
ただ、接待のためにあまり銭を使いたくはなかった。だから抑え気味の予算で朱亞に料理を頼んだのだが、それで接待として十分かどうかは正直不安だ。
そこで趙才ならば接待にも慣れているだろうから、的確な助言をくれると思った。
「どうでしょうか?太守の接待として、このような食事では質素過ぎますか?」
「いえ、大丈夫でしょう。おっしゃる通り太守の家で出る食事としては少し質素ですが、許靖様は一切の賄賂を受け取らない太守としてすでに認知されています。むしろ、それと相まって好感を得られるのではないかと思います」
許靖はそれを聞いてほっとした。予算を上げるべきかどうか悩んでいたのだ。
「趙才殿からそう言っていただけると安心します」
「ただ、もし相手が酒好きなら酒だけでも良いものを出されるといいでしょう。酒飲みはそれだけで抜群に満足度を上げます」
「なるほど……参考になります」
許靖は小芳と芽衣の顔を思い浮かべた。確かにその通りだと思った。
趙才は食後に出された茶の香りを嗅ぎ、それからゆっくりと口に含んだ。
「……私はこの茶のほうが好きですがね。茶会の開催が楽しみです」
趙才にもすでに茶会の話はしていたが、当然参加する気満々だった。
太守を交えての社交会のようになるわけだから、商人である趙才が参加しようとしないはずがない。加えて東州兵と地元民の融和が目的であるなら、趙才としては願ったり叶ったりだ。
許靖も趙才の参加を喜んだ。
「ぜひお越しください。その時も至らない点があれば助言をいただきたい」
「もちろん、私などの意見でよければいくらでも」
「ありがたい」
「ですが、今日私をここに呼んだのは接待の助言を得るためではありませんね?よろしければ、そろそろそちらをお話し下さい」
趙才は手に持った茶に目を落としながら、何気ない様子でそれを言った。
太守に食事に誘われたのだ。さすがに何かあることを感じていたらしい。
許靖も茶を手に取り、一口含んでから話しを始めた。
「そうですね……では本題に入りましょう。趙才殿の商売に関することです」
言われた趙才は表情こそ変えなかったものの、心を強く引き締めて身構えた。
お上から商売に横槍を入れられることほど嫌なことはない。
「価格を上げろというお話だったらお断りします。消費者はうちの店の低価格を喜んでいますし、そこは太守様とはいえ役所から命令されるべき筋のものではないはずです」
趙才ははっきりと断った。相手の立場が強い交渉では、絶対に譲れない部分があるならまずそれをはっきりとさせた方がいい。
許靖は笑って応じた。
「いえ、価格を上げろなどと言うつもりはありません。それに趙才殿の言う通り、商売に関しては法や道徳に触れない限りある程度の自由が認められるべきです。今日の話自体が命令ではなく、あくまで私からのお願いだと思ってもらって結構です」
趙才は許靖の言に多少の肩透かしを食らったようにも思ったが、それでも警戒は解かなかった。
(在来の商人たちに泣きつかれた豪族から圧力をかけられたのだと思っていたが……違ったか。しかし、油断はできん。許靖様は自由競争に理解のある良い太守ではあるが、それでも太守などという立場になれば自分の思い通りには動けないものだ)
趙才は許靖に好感を持っていたが、それで安心するには複雑すぎる立場の相手だ。
「では、どのようなお話で?」
「趙才殿の元で働いている従業員に関してです」
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