第120話 士燮
「なんだと!?もう一度言ってみろ!」
「やめなさい。そうやってすぐに暴力に訴えるところが、蛮族と変わらないと言っているんだ」
「そういうあんたら中央の人間は、戦ばかりやってるじゃないか!どこが蛮族と違うんだ!」
城門の前で二人の男が言い争いをしていた。
いや、一人の男がもう一人の胸ぐらを掴んでいるので、すでに言い争いという段階を超えているのかもしれない。
ちょうど許靖たちが城に着いたところだった。
「何をしているんだ!」
護衛の隊長が慌てて二人に駆け寄る。
それを見て、胸ぐらを掴んでいた男が手を離した。舌打ちをして
隊長は残った男に対して頭を下げた。
「うちの兵が申し訳ありません。後で言って聞かせますので」
男は乱れた衣服を直しながら鼻を鳴らした。
「言って聞かせる?無駄だからやめておきなさい。そもそも儒学の文化も教育もない土地に育った君たちが、何を言い聞かせるのだ。まずは君自身がしっかりと学問を身につけ、しかる後に口を開かなければ……」
突然説教の矛先が向いてきた隊長は、困り顔で頭を掻いた。
その様子を許靖は少し離れたところから見ていたが、どうもその男の顔に見覚えがあるような気がする。
(どこかで見たような……いや、初めて見る顔だと思うのだが……)
妙な既視感に記憶をたどっていると、隊長がこちらを指してからそそくさと帰ってきた。
おそらく『客を太守のもとへ連れて行かないといけないから』などと言って、説教を終わらせてきたのだろう。
隊長の背中を追っていた男の視線は許靖へと止まり、二人の目が合った。
男の方が目礼し、許靖も会釈を返してからその場を後にした。
許靖とその男に面識があれば何かしらの反応があるかもと思ったが、男からはそんな様子は見られなかった。
(やはり私の勘違いか)
許靖はそう結論付けて城門をくぐった。
城に入ると、許靖たちはその建築の見事さに目を見張った。作りが重厚なだけでなく、美しく整備されている。
川のそばに作られた城であるためその水を堀に流しているのだが、さらに庭園にも美しい小川が作られていた。手間と銭のかかった城だ。
「これは……素晴らしいお城ですね。交州の豊かさがよく分かります」
許靖は世辞でなく、心からそう思った。よほどの銭をかけなければこれだけの城は建てられまい。
隊長は誇らしげに胸を張った。
「
(なるほど、ただ血筋の都合が良かっただけの人ではないな)
許靖は会う前から士燮の評価を上げた。相当に優秀な人間だと思って間違いないだろう。
城内に入った許靖たちは広く清潔な一室に通された。中央の卓には果物も置いてある。
「お連れの方々はここでお待ちください。許靖様のみ、太守様に会っていただきます」
世話役らしい役人が現れ、そう伝えられた。役目を終えた護衛隊長は許靖たちに向き直って、兵士らしく背筋を伸ばした。
「私の任務はここまでなので、失礼いたします。士燮様はお優しい方なので、あまり緊張されずとも結構かと思いますよ」
そうにこやかに言い残して去って行った。
(部下たちからも好かれている、か)
許靖は士燮の評にさらに一点加えた。
しかし緊張するなと言われても、それは難しい。交州という広範囲を支配する権力者であることはもちろん、許靖の家族たちの今後を握っている人間なのだ。
少し待たされてから、許靖は呼ばれて部屋を出た。
美しく彫刻された扉を開けて太守の面会室へ入ると、卓の向こうで士燮と思しき男が立ち上がった。
齢の頃は六十前といったところだろうか。この時代だとすでに老人と呼ばれるような齢ではあるが、それを感じさせないきびきびとした動きで許靖の方へと歩み寄ってきた。
許靖の手を握り、柔和な笑みを投げかけてくる。
「このような僻地まで、ようこそおいでくださった。許靖殿のような優れた名士を受け入れられることを誇りに思います」
許靖も笑顔を浮かべて士燮の手を握り返した。
「こちらこそ受け入れていただいて感謝いたします。ここまでの道中も、ずいぶんと気を遣っていただいて……」
と、そこまで言ったところで許靖の言葉が止まった。
士燮の瞳を見ながら、時間が停止してしまったかのように黙りこんでしまった。笑顔が消え、ただただ士燮の瞳を覗き込んでいる。
士燮は許靖の様子がおかしいことにすぐに気づいたが、しばらくは黙って瞳を覗かれるがままにしていた。
しばらくして、もういいだろうと思った頃に再度口を開いた。
「どうなされた?」
その言葉で許靖は我に返り、すぐに頭を下げて謝った。
「し、失礼いたしました。長旅で少し疲れているのかもしれません」
「……月旦票の許靖は、私の瞳に何を見たのかな?」
許靖の言い訳を頭から無視し、士燮は問題の本質を突いてきた。
士燮は許靖が瞳の奥に「天地」を見ることを知っている。
それ自体、何もおかしいことはないだろう。士燮は州一つを支配するほどの力を持つ権力者で、中華の人材に関する情報を豊富に持っていて不思議はない。
要は、士燮がそれをどこまで信じているかということだが、それに関しては士燮の瞳や表情からは何も推察できなかった。
「……座興として、そのような事をお話することはありますが」
「では茶菓でも持ってこさせましょう。それとも酒にしましょうか」
士燮は即座に手を打って従者を呼んだ。
即断即決、思い切りが良く無駄がない。できる為政者の見本のような男だった。
「……茶で願います」
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