第109話 逃避行
「ご苦労だった」
本心としてはすぐに結果を尋ねたいところだが、部隊をまとめる者として心掛けていることだった。
それに、優秀な部下であれば問わずともすぐに報告をしてくる。そうやって部下を見極めることも大切だ。
「申し訳ございません、仕損じました」
この部下はすぐに報告をしてくれたが、それとは関係なく弓兵として優秀なことはすでに分かっている。
それを向かわせて駄目だったということは、自分が命令を発するのが遅かったということだ。
「分かった。俺が無理を言ったようだ。すまなかったな」
隊長に謝られ、兵たちは恐縮した。
狼は群れる生き物だ。獲物には容赦がないが、仲間は大事にする。
「二人とも殺せなかったか?」
「いえ……それが悪いことに一人だけ射てしまいました。若い方です。距離があったので、どのくらいの深手になっているかは分かりませんが」
むぅ、と凌虎は唸った。
(恨みも買ってしまったか……これでは孫策に報告されてしまうな)
凌虎が後から二人を殺そうと思った理由が、孫策への報告だった。
(孫策から『次はない』と言われているからな……)
凌虎が報告されるのを恐れているのは、二人を殺そうとしたことではない。むしろ潜入員の証を提示できなかったのだから、二人を殺そうとしたのはいくらでも言い訳がつく。軍法に照らして罰せられるべきは向こうのはずだ。
孫策が『次はない』と言っていたのは、略奪に関してだ。
(若い方が『あんな船とは比べ物にならない財貨がある』と言っていた。ということは、あの男には俺の部隊が船から略奪をしようとしていたという認識があったわけだ。そう孫策へ報告されるのは不都合だ)
そう思い至って命令を出したが、その時には少々時間が経ち過ぎていた。
二人を乗せた小舟はすでに沖へ出ており、精鋭の弓兵でも二人とも射ることは出来なかった。
(……まぁいい、そろそろ潮時だろう。今回の戦で稼いだら、兵を連れてどこか締め付けの緩そうな土地の賊にでもなるか。それか、商売を始めてもいい)
戦乱の影響で流通網が途切れ、物価が上がっている。上手くやれば、結構な利が上がりそうだった。
凌虎は本気で商人になることを考え始めた。馬に揺られながら、地方の情勢や物産、手元にある資金を脳内に並べた。
しかし武装商団をやるには、やや初期資金が足りないように思う。
「謝氏の隠し財産というのは、いくらくらいになるんだろうな」
凌虎は自分でも知らずの内に口に出してつぶやいていた。
隣りを進む副官の男がそれに答える。
「そりゃ、会稽郡でも随一の豪族ですからね。途方もない額になりましょうよ」
別に返答を期待したつぶやきではなかったのだが、凌虎は副官の言葉に満足した。
「そうか、そうだな。途方もない、か」
「でも俺は、会稽郡一の美人だっていう
凌虎は副官の軽口を鼻で笑って受け流し、まだ見ぬ財宝と宝剣とに心を膨らませた。
副官も鼻の穴を膨らませて口笛でも吹きそうな様子だった。
しかしこの数刻後には、王朗の軍がこの部隊を完全に包囲することとなる。
今この時が、二人の感じた最後の幸せだったかもしれない。
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