第101話 後始末

「な、何の用?」


 まさか、労役刑に処された復讐にでも来たのだろうか。


 芽衣は声を上げて花琳を呼ぶべきか迷った。


「あー……えっとだな。ちょっと話があってな……」


 芽衣は歯切れの悪い謝倹にいっそう警戒した。しかし『話』ということは、物騒なことではないのだろうか。


「……いや、こいつらがな。妙な会を作っちまって」


「謝倹さん、ずるいですよ!人のせいみたいに言わないでください!」


 仲間の巨漢が叫ぶように謝倹に不満を言った。


 謝倹も負けずに叫び返す。


「うるせえ!俺はその会には入らないって言ったじゃねぇか!」


「でも結局同じことするんじゃないですか!」


「いや、それは……」


 玄関前で言い合いを始めた二人を芽衣は慌てて止めた。


 近所迷惑だ。家の前に数十人集まっている時点で、すでに十分すぎるほど迷惑だが。


「ちょ、ちょっと待ってよ!……一体何の話?」


 問われた謝倹が答えようとしないのを見て、仲間の巨漢が背筋を伸ばし大声で答えた。


「我々は本日、『胡蝶の会』を結成することといたしました!」


「……胡蝶の?……何それ?」


 芽衣は意味不明な言葉に眉根を寄せた。


「胡蝶の会は、最麗にして最強の武術家である芽衣様に、武術を教わろうという会であります!芽衣様、どうか胡蝶の会をご公認ください!」


 訳の分からないことを叫ぶ巨漢に、芽衣は目を白黒させた。


(……この人は何を言っているんだろう。私に武術を教わる会?)


 謝倹は巨漢から一歩離れて、言い訳のようなことを言い始めた。


「ま、まぁ俺は別にそんな会には入らないが、お前の強さはよく分かったからな。武術を教わるってんなら、後学のために俺もだな……」


「そんなこと言って、謝倹さんだって好みのド真ん中なくせに」


「おい!」


 謝倹は巨漢の襟首を掴んで凄んでみせたが、恐ろしさの欠片も出なかった。


「芽衣、どうしたの?大丈夫?」


 玄関前の大声が気になった花琳が顔を出した。


 そして、そこに直立する数十人の男たちを見てギョッとした。


「い、いったい何事?」


 芽衣は地獄に仏とばかりに花琳の後ろに隠れ、その影から声を出した。


「最強の武術家って……私はこの花琳ちゃんの弟子なのよ。花琳ちゃんは私なんかよりも、数十倍は強いんだから」


 男たちはざわめいた。


 先日の戦いで芽衣の人間離れした強さを目の当たりにしている。あれよりも強い人間がいるというのだろうか。


「この方が……芽衣様の、お師匠様で?」


「そうよ、私の師匠。それで今度、義理のお母さんにもなる人」


 芽衣の言葉に、男たちは先ほどよりも大きなざわめきに包まれた。皆、信じ難いことを聞いたという顔をしている。


 巨漢が恐る恐るというふうに聞いた。


「め、芽衣様……ご結婚されるので?」


「そうよ、来月ね。あなた達の労役の調整が終わらないから、予定が延びてるのよ」


 男たちは受けた衝撃から立ち直れないようだった。皆、思考が停止したかのように立ち尽くしている。


 その中で、謝倹がポツリと漏らした。


「でも……まぁそれもアリなんじゃねぇか?」


 男たちの顔は皆、ハッとした。目から鱗といった様子だ。


 巨漢が謝倹の両肩をバシバシと叩きながら笑った。


「なるほど、さすがは謝倹さん!人妻の芽衣様は確かにアリ!確かにアリですよ!」


 後ろの男たちもうんうんと頷いている。


(この人たちは、一体何を言っているんだろう?)


 芽衣と花琳は未知の生き物を見る目で男たちを見た。


「ちょっと芽衣、何なのこの人たちは?」


「いや、なんか私から武術を習いたいらしいんだけど……」


 巨漢の男は再び背筋を伸ばし、花琳へと向き直った。


「我々は芽衣様から武術を習うつもりで胡蝶の会を立ち上げました。しかし、芽衣様にお師匠様がいてまだ修行中ということでしたら、そのお師匠様に入門するのが筋かと思います。どうか我らの入門をお許しください。そして、芽衣様とともに修行をさせてください」


 花琳は混乱しながらも、何とか状況をつかめた。


「よ、要は武術の入門希望ということね。私は公に教えてはいないし、いきなりこんな人数来られても困るのだけど……」


 しかし、と花琳は思った。


 この連中が今、労役やら治安やらで問題になっている人間たちなのだ。たしかに街のゴロツキに見える人間も多いように思えた。


 それをひと所で管理できれば、色々と良いこともあるかもしれない。


(それに武術の本質は心身の鍛錬だし……それで更生する人がいれば、武術家として本望だわ)


「……夫と相談してみますから即答はできないけども、あなた達が真面目にやる気があるのなら私も受け入れる気はあります」


 男たちは歓声を上げた。しかし、花琳はすぐにそれを制した。


「ただし!……いくつか条件があります。まず第一に、先日決められた労役を真面目にこなすこと。それが、この人が生きているために必要なことのはずです」


 そう言って謝倹を指した。


 謝倹はそれに関して、仲間たちに強い感謝の気持ちがある。改めて皆に頭を下げた。


「そして次に、きちんと定職に就くこと。すでに定職についている人は、それを真面目にやること。職探しに困っている人は労役を管理している役人に相談しなさい。武術は基本的に己の身体と心を鍛え、健やかに生活するためのものと考えます。きちんとした生活がまずあって、その生活を向上させるために武術に打ち込むのです」


 これに関しては一部の人間は耳が痛かったろう。しかし、そうすることが間違いなくその人間のためにもなるのだ。


「そして最後に、むやみに人を傷つけないこと。自分の身や大切な人を守るため以外に武術を使うことは許しません。以上のことを守れる人でなければ教えられませんから、そのつもりでいるように」


 男たちは黙って花琳の話を聞いていた。入門前から、すでに師匠と弟子のようだ。


 巨漢の男が改めて花琳へと向き直った。


「ご高説、拝聴いたしました。胡蝶の会に異論のある者はおりません。どうぞよろしくお願いいたします、お母様!」


「お、お母様!?」


 花琳は喉を裏返して頓狂な声を上げてしまった。


 こうして会稽郡の民兵に、やたらと格闘戦に強い一団が生み出されることとなった。

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