会稽郡

第81話 王朗

「私の計算よりも一日早い到着だ。お前たちが常人に比べて健脚なのか、雨の日にも無理して進んできたのか」


 王朗オウロウは許靖に会うなり、無表情にまずそれを口にした。


 あらかじめ出発の予定日などを文で伝えておいたため、王朗なりに到着の日取りを計算していたのだろう。


 しかし普通ならば、まずは笑顔で挨拶だろう。


 久しい旧友に会うのだ。初めにすべきことは、再開を喜び合い、互いにつつがないかを確認し合うことだ。


 常人なら鼻白んでも良さそうな態度だったが、許靖はそんな王朗にむしろ懐かしさを覚えて目を細めた。


「健脚だからだな。一昨日の雨は一日休んだよ。考えてもみてくれ、洛陽らくようから陳国ちんこく汝南じょなん郡・沛国はいこく九江きゅうこう郡・郡・会稽かいけい郡と、避難に避難を重ねてきた。健脚にもなるだろう。ずいぶんと旅慣れたよ」


「なるほど。その点は考慮していなかった」


 王朗はまるで学問でもしているかのような納得の仕方をした。


 許靖にはその反応も面白く思えるが、この辺りの感覚が今の王朗が陥っている苦労の根幹なのだろう。


「相変わらずだな、王朗。私は驚いたよ。役所に来て郡の太守に会いたいと言ったら、部屋の場所を伝えられるだけで案内すらなかった。ちょっとありえないだろう」


 嘘のような話だが、実際に今しがた起こった事だった。色々と思うところはあるが、ここまでいくと警備上も問題がある。


 王朗は特に表情を変えずに答えた。


「昨日まではまだ秘書がいたからマシだったのだがな。昨日の帰りに退職の意向を伝えられ、今朝からは来ていない」


 それは王朗に愛想が尽きて、ということなのだろうか。ここまで役人の心が離れてしまえば、もう仕事どころではないだろう。


 だが、少なくとも王朗の表情からは困った様子はうかがえない。瞳の奥の「天地」でも、鉄でできた人間が表情も変えずに佇んでいる。


「許靖よ、そんなわけなのですまんが忙しい。お前たちが生活できるように手配はしているのだが、その説明は仕事が一段落してからでいいだろうか。今から戸籍を管理する部門に行って、指示を出してこなければならない」


「ああ、それはもちろんだが……よかったら私たちもついて行っていいか?私と、息子の欽も」


 許靖は斜め後ろに控えた許欽を指した。


 許欽は丁寧な挙措で拝礼した。


「王朗様、お久しぶりです。お邪魔でなければ後学のため、お仕事を拝見させていただきたく存じます」


「許靖の息子殿か。少年の頃の容姿はよく覚えているが……随分と大きくなるものだな」


(お前の「天地」の鉄人でもあるまいし。時が経てば、子供は当然大きくなるだろうよ)


 許靖は王朗の言いようが面白くて仕方がないと感じる一方、これからこの男を支えていくことに関して、一抹どころではない量の不安を感じていた。

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