第22話 腐敗官吏

「王順です。許靖様をお連れしました」


「聞いている。入れ」


 王順は門番に会釈しながら、韓儀の屋敷の門をまたいだ。


 個人の邸宅としては不必要なほど大きな構えをした門扉が、月光と灯火とで暗く浮かび上がっている。


 街で一、二を争うほど広壮な屋敷だ。郡の次官たる郡丞は決して軽い職ではないが、それでも分不相応といえるほどの規模だった。


 王順の後ろから、ゆったりとした黒い衣装をまとった人間が五人続く。月明かりに照らされて、五人を包む布がゆらゆらと揺れた。


「えらく大人数だな」


 門番は黒い集団をじろりと睨み付けた。


「許靖様の卜占ぼくせんには大量の道具が必要だそうでして。重い香炉などもありますので、この人数が必要とのことです」


 門番は当然、入る人間が主人へ危害を加えないかを確認する必要がある。特に韓儀は多方面から恨みを買っているので、厳重に吟味するよう教育されていた。


 門番は一人一人にしっかりと灯火を当てながら顔を確認した。


(一人は老人で、一人は女か)


 襲うつもりなら年寄りや女は連れて来ないだろう。門番はそう思い心中の警戒を解きかけた。


 が、念のため尋ねる。


「確認しておくが、武器などは持っていないだろうな」


 黒装束の男の一人が手に下げた袋から短剣を取り出した。


「卜占の道具として短剣が一振りあるのですが」


 短剣は腕半分ほどの刃渡りはあるものの、装飾だらけでいかにも儀礼用といったものだった。


 持ち手の部分も彫刻だらけで握りづらそうだ。実用性をまるで無視しているように見える。


「……まぁ、このくらいならいいだろう。行け」


 主人の卜占を邪魔して不興を被るわけにもいかない。門番はそれだけ言うと、自身は門外へと向き直った。


 王順を含めた六人は、中から現れた使用人に先導されて屋敷の奥へと進んで行った。


(とりあえずは入れたな)


 許靖は緊張で喉の渇きを覚えながらそう思った。


 横を見ると、花琳が許靖を安心させるように眼だけで微笑んだ。


 その後ろからついて来ているのは劉翊リュウヨク、朱烈、毛清穆モウセイボクの三人だ。この五人が占い師に化けて韓儀の屋敷に潜入したのだった。


 このつい前日、王順は韓儀に


「月旦評で有名な許靖様の卜占を受られてみませんか?」


と、誘いをかけた。許靖は本来占いなど行わないが、韓儀の趣味に合わせて提案したのである。


 韓儀は簡単に食いついた。この男も月旦評の噂は聞いていたらしく、しかもそれが自分の好みに上手く合っていたものだから、


「卜占を基にした人物評だったか。それならば聞く価値があるな」


と、何の疑いもなく納得してくれた。


「許靖様は韓儀様を街で見かけたことがあるそうです。一目見ただけで、これは尋常の人ではないと分かったそうですよ」


 王順がそう畳みかけると、単純な韓儀は子供のように喜んだ。


「そうか、月旦評の男がそう言ったか」


「ええ、今回のことは許靖様の方から是非に、とのことでしたので、お願いに上がった次第です。許靖様の見たところ、韓儀様はそれはもう大変な人物であるとおっしゃっていましたが」


 王順は重ねて韓儀を持ち上げた。


 が、持ち上げすぎた。


 韓儀は予想以上に有頂天になり、ご褒美が待てない子供のようになってしまった。


 本来なら準備のため数日おいてから会うつもりだったのに、興奮した韓儀に押し切られて、昨日の今日で来る羽目になってしまったのだ。


 おかげで大急ぎで準備をしなければならなくなった。


(当初の計画とは、だいぶ違ってしまったが……)


 許靖にとってはそれが残念だった。 


 元々の計画では韓儀の屋敷ではなく、王順の屋敷で実行する予定だった。そうであれば許靖以外は変装して潜入する必要などない。


 しかし、


「以前に占い師と称する人間から襲われたことがある。俺の卜占好きを知って罠にはめようとしたのだろうな。それからは必ず自宅で占わせることにしているのだ」


そう言われれば、韓儀の屋敷へ来る以外に方法はなかった。


 妙なところで気が回るものだが、恨まれることに関しては年季が違うということだろう。


(とりあえず屋敷には入れた。問題はここからだ。おそらく顔はバレないだろうが……)


 許靖は一度だけ韓儀と顔を合わせているが、ほんの一瞬で向こうも覚えてはいないだろう。


 しかし、朱烈と劉翊は十分すぎるほど顔を知っている。が、それでもしゃべらない限り、二人の素性もおそらくは露見しないだろうと思った。


(小芳は大したものだ)


 全員が占い師らしく見せるために特殊な化粧をしていたが、この化粧は小芳が担当してくれた。


 その化ける技は驚くべきもので、小芳にしばらく顔をいじられると全員がまるで別人になってしまった。


「占い師という前提でやっているからですよ。かなり濃い化粧ができますからね」


 小芳はそう言って謙遜したが、それにしても見事なものだった。日中に明るいところで見ても、元が誰かはちょっと分からないだろう。


 許靖は化粧などとは縁がないので知らなかったが、王順の店では化粧品もかなりの量を扱っていた。小芳は花琳につかなくてもよい時にはそちらの担当もしているらしい。


 熱心な客もついており、外出前や見合い前の婦人が名指しで小芳を指定して化粧させることもあるとのことだった。


 小芳自身や花琳に化粧っ気がないので意外だったが、本人曰く、


「例えシワくちゃのお婆ちゃんでも、本来そのままが一番きれいなんですよ。でも、その場その場に応じた見た目というものがありますし、女性には見せたい自分というものがあるんです」


ということだった。


 そういった経緯で、許靖も花琳も今はどこか神秘的な印象を与える占い師の見た目になっている。


 劉翊はかなり若返った見た目の別人に、朱烈と毛清穆は逆に齢を増した化粧を施されている。


 毛清穆にいたっては、もはやいつ倒れてもおかしくなさそうなほどの老人にしか見えない。普段のしっかりした足取りを、逆に頼りなげに見せる必要があった。


(毛清穆先生がいれば多少の危険は大丈夫ということだったが……屋敷の私兵は五十人以上という話だったな)


 ただの一郡丞としては、異常な人数だった。多すぎる。


 毛清穆は戦闘でも頼りになるが、老人連れで警戒を解かせることも考慮して王順と花琳が同行を依頼した。


 毛清穆は快く引き受けてくれた。


(しかし、さすがの先生でも五十人相手に切り抜けられるわけはないだろう。とにかく、物騒なことにならないようにするのが第一だ)


 それに、花琳をまたも危険にさらすわけにはいかない。


 当然ながら、許靖は花琳を連れてくることに反対した。しかしそれは花琳本人が絶対に聞き入れなかった。


「先日は許靖様から離れてしまったばかりに危険な目に合わせてしまいました。もう絶対に離れません。それに女連れの方が相手の警戒は緩くなると思います」


 花琳の口調は断固たるもので、毛清穆も花琳の同行を勧めた。


「この子がこんな顔になっとる時は何を言っても無駄じゃよ。連れて行きなさい。荒事になった時にも役に立つはずじゃ」


 毛清穆は花琳に同意したというよりも、わがままな孫の願いを叶えようとする好々爺のようだった。


(とにかく、穏便に)


 許靖は改めてそれを思った。


 計画通りに事が済めば、荒事になどならず出られるはずなのだ。


(穏便に)


 繰り返し心の中でそう呟きながら使用人について行くと、屋敷奥の広い一室へと案内された。


 普段は何に使うのか、中央に卓と椅子がある以外にはなにもない、とにかくただっ広いだけの部屋だった。


「こちらでご準備ください。主人は間もなくやってまいります」


 それだけ言い残し、使用人は退室していった。


 部屋には許靖たち六人だけが残された。


 王順が目だけで合図を送ると、全員が無言で荷物から道具を取り出して、卜占を行う場を作り始めた。この辺りは事前にしっかり話し合い、何度か実際に体を動かしてみたので皆慣れた手つきだった。


 許靖は部屋の中心に据えられた卓に布を敷き、その上に水晶を置いた。その周りに星をちりばめるように白い砂をまく。燭台の炎が反射してきらきらと輝いた。


 劉翊と朱烈は幔幕を張り、花琳と毛清穆は香を焚き始めた。


 香は花琳が選んだもので、人の心を安らかにさせる作用があるとのことだった。確かに落ち着く香りで、気休め程度かもしれなかったが韓儀の油断を誘うことが出来ればありがたい。


 いくつもの燭台の炎に部屋が照らされて、いかにもな卜占の場が浮かび上がった。


 正直なところ許靖自身は胡散臭いと感じたが、端から見れば一応それらしい雰囲気ではある。


 準備が終わってしまうと、許靖は自分の心臓が強く拍動していることを急に意識させられた。頭は冷静でいるつもりでも、胸だけがやたらと弾んで喉を圧迫する。


(落ち着かねば)


 そう思い深呼吸してみたが、まったく効果はない。


(やめておけばよかった……)


 要らぬことに首を突っ込んでしまった。何もせず、ただ口をつぐんでいればこのような恐怖も緊張も感じることはなかったはずだ。


 それは正直な気持ちではあった。が、黙っていることができなかった自分がいたのも確かだ。


 結果は結果として、現実は現実として、今ここにいることを受け入れなければならない。


 そう分かっていながらも、わずかとは言えないほどの後悔を抱いてしまう。


 そこへ廊下から声がかかった。


「来たぞ。入ってよいか」

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