第16話 馬泥棒
外の声はだんだんと大きくなってくる。
そして、
「おいっ」
という男の声がした直後、道場の雨戸がぶち破られて、大柄な男が転がり込んできた。
(兵かっ?)
そう思った賊全員が獲物を持って立ち上がった。毛が立つほどに神経を逆立たせている。
転がり込んできた男は外を見張っていた仲間だった。ということは、外には敵がいるはずだ。
……が、雨戸の外にいるのは女がただ一人だけだった。
薄暗い道場へ差し込んでくる夕日に、その女の長い影が黒々と映える。
(花琳さん!)
許靖は地獄で天女を見たと思った。
一方の賊たちはどうやら兵の襲撃ではないと判断したらしく、安堵の息を吐いた。
花琳は素早く道場内を見渡した。そして柱にくくられた許靖を見つけると、こちらも安堵の表情を見せた。
「許靖様、お怪我は?」
許靖はその問いには答えずに叫んだ。
「花琳さん逃げて!人を呼んで来てください!」
その瞬間、許靖は近くの男に側頭部を蹴飛ばされた。
頭の芯を揺さぶられるような感覚に、意識が飛びそうになる。
それを見た花琳は目の前が白くなるほどの怒りに包まれて、鬼の形相で道場内に飛び込んだ。
知らず知らずのうちに叫んでいる。
「貴様ぁ!!」
その気迫と速さに賊たちのほとんどはあっけにとられたが、特に屈強な一人が即座に反応した。
飛び込んだ花琳の動きに合わせ、剣を鞘走らせて
花琳は素早く跳躍し、それをかわした。
跳んだ先には驚愕の表情を浮かべた別の男がいる。跳躍の勢いのまま、その顔面に蹴りをめり込ませた。
そして着地すると同時に素早く振り返り、剣を振った男のあごに拳を叩き込んだ。
二人とも一撃で昏倒し、糸の切れた人形のようにパタリと倒れた。
一瞬の後、花琳の後ろから別の男が飛びかかってきた。
が、どこをどう引いたのか、男の体は飛びかかってきた勢いをさらに倍加させ、別の男へ向かって吹き飛んだ。
二人が折り重なって倒れる。
それを見た残りの二人が警戒するように剣を構え直した。しかし花琳は構わずその一人に突っ込んで行く。
刃の届く少し前で、懐から布を取り出して投げた。それが空中で舞い、男の視界を埋めるように広がる。
動転して思わず剣を振ると、花琳は剣の軌跡を一瞬後から追うように間合いを詰めた。
みぞおちに拳を叩き込み、流れるような動作で肘打ちを追加する。そしてもう一人の男の方へ突き飛ばした。
男がそれを横へ押しやった瞬間にはすでに花琳が懐に入っており、足払いと同時に頭を強く押し下げられた。それで後頭部を床に強打した男は即座に意識を失った。
花琳は息つく間もなく先ほど投げ飛ばした男たちの方へと走る。それぞれがまだ態勢を整えていないうちに打撃を加えていった。
頭の男は次々に倒れていく手下たちに唖然としていたが、やがて思い出したように声を上げた。
「お、おい朱烈!てめぇ用心棒だろう、早くあの化け物をなんとかしろ!」
「無理だな。あの娘は私より強いぞ。半年前にも手ひどくやられた」
「はぁっ?」
朱烈は苦笑いを浮かべるだけで動こうとしない。
頭は頼りにならない用心棒へ苛立ちと困惑の視線を送りつつ、身をひるがえした。
急いで許靖の縛りつけられている柱の元へと走る。
そして花琳が頭と朱烈以外全員の意識を奪った時、その背中へ頭の声が投げられた。
「動くな!」
振り返ると、許靖の首筋に剣の刃を当てられている。少し刃を擦らせれば、それだけで頸動脈から血が噴き出るだろう。
「この男を助けに来たんだろう?」
そう言って、にやりと笑った。
花琳はぴたりと動きを止め、頭を睨みつけた。
「その人に何かしてみなさい。全身の骨がひとつ残らず砕けますよ」
(本気の目だ)
許靖はその怒りが自分に向いているものではないと知りながら、思わず戦慄した。
頭の方も予想以上の殺気を身を浴びて、一瞬身をすくめた。そしてそのせいで、許靖の皮膚が少し切れて首筋に薄く血が流れた。
「……く、砕ける前に俺がこの男を殺すってんだよ!」
許靖は頭の恫喝にも流れる血にもかまわずに叫んだ。
「花琳さん、人が来ればそれで終いです!ここから離れて人を呼んでください!」
「黙らねぇかっ!次しゃべったら殺すぞ。女も動くな。一歩でも動けば即殺す」
さらに刃が許靖の首筋に食い込み、流れる血の筋が太くなった。
その様子を見た花琳は痛いほどに拳を握りしめた。
こうなってはどうすることもできない。怒りと焦りと後悔とが全身を巡った。
このような場合、人質を取られても止まらずに相手に襲い掛かる以外に方法はないだろう。止まってしまった時点で相手の言うことを聞くしかなくなる。
そして、その結果として二人とも殺されるのだ。
花琳は歯ぎしりしたが、もはやどうしようもない。
頭の男はその様子に安堵したのか、一つ長い息を吐いた。
そんな道場内に、パチパチと場違いな拍手の音が響いた。
「そうか、人質を使えばよかったのだな。さすがに賊の考えることは違う」
見ると、朱烈がいかにも感心したという様子で許靖の方へと歩んで来る。
頭はそれを忌々しそうに眺めた。
「なんだ役立たず。用心棒のくせに戦いもしねぇで」
「すまんすまん。しかしな、それは誤解なんだ」
朱烈は頭へ笑顔を向けた。
頭はそれを気味悪そうに見返す。これまで、この男が笑っているのをほとんど見たことがなかった。
「……なんだ誤解ってのは」
「用心棒のくせに戦わない、って所がだ」
「なに?」
「だからな」
朱烈は頭のそばまで来ると、無造作に腰にはいた剣を外してぶらりと腕から下げた。
そして次の瞬間、それを鞘ぐるみ頭の側頭部へ叩きつけた。
「私は用心棒じゃなくて、潜入捜査員だと言っているんだ」
鈍い音がして、頭の男は白目をむいてから力なく倒れた。そのままピクリとも動かなくなる。
雇い主の男を見下ろしながら、朱烈はつぶやくように言った。
「ちゃんと銭までもらったのに、悪いな」
静まり返った道場内で、大きくもない朱烈の声が妙に響いた。
「まぁ……もはや県尉ではない以上、捜査員というのも違うのかもしれん。だが朱烈は腐っても朱烈さ。たとえ脱獄犯になろうとも、街の治安を守ろうとするのが私という存在だ」
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