第17話 馬泥棒
許靖と花琳、小芳の三人は王順の屋敷までの夜道を歩いていた。
明かりは持ち合わせていなかったが、幸い月の明るい夜で若い三人の目が困ることはなかった。しかし春先とはいえ、夜の空気が冷たい。
「許靖様、寒くはありませんか?」
花琳は許靖を気遣った。
「いえ、大丈夫です。花琳さんは大丈夫ですか?」
「私は暑がりなので……上着が必要ならおっしゃってください。お貸しします」
「嘘、とても寒がりのくせに」
苦情を申し立てるように小芳が言った。それを花琳がじろりと見る。
「……睨んだってだめです。毎年春先に風邪を引くじゃないですか」
(小芳さんは花琳さんのことを本当によく思っている。良い従者だな)
許靖は改めてそう感じながら、今日一日の疲れを払うように軽く伸びをした。
賊たちを縛り上げた後、朱烈はいったん
それからどうするかを一同は悩んだが、まず許靖が王順の元へと走って行き、相談することにした。
王順は街でも有数の商人だ。大きな力を持っているし、長年商売をしていれば様々な面倒ごとの処理にも慣れていると思われた。
初めは街で立場のある商人が脱獄犯へどのような反応を示すか心配だったが、意外にも王順からは快い返答が得られた。
「暗くなり次第、朱烈様をうちの屋敷へ移しましょう」
すぐに目立たない衣服が用意され、無口で信頼できる二番番頭の
許靖、花琳、高承は先ほどまで兵たちの現場検証に立ち会っていた。
この時代の警察組織は意外にもしっかりしており、事件があった場合はきちんと記録を取って保管している。
しかし指名手配されている朱烈のことを言うわけにはいかない。当然それは黙っておいた。
また、王順としては『花琳が賊を制圧した』ということもできれば公にしたくなかった。過去の縁談の時にも娘の強さが原因で妙な事態になったし、世間体を考えても娘の武勇伝はもう腹いっぱいだった。
それで現場検証へ、一番番頭の
白佑は現場責任者の男に耳打ちしてから何かを手渡した。
そしてその結果、賊は仲間割れで自壊し、そこへ来た高承が制圧、捕縛したということに落ち着いた。少なくとも、記録や上司への報告上はそういうことになるはずだ。
やっていることは公文書の改ざんといえば改ざんだが、現場責任者としても、
『商人の娘の世間体のために、手柄を兵の一人にくれてやった』
という程度の認識だろうから、笑い話くらいには思っても罪悪感はないだろう。
真面目な高承としては降って湧いた大手柄に釈然としない様子だったが、白佑から『あの方がそうするように、とのことですから』と言われて納得したようだった。
もちろん指示を出したのは王順だから『あの方』は王順なのだが、高承はその言い方で朱烈の指示だと思った。意図的に勘違いさせられたのだ。
白佑は大店の一番番頭をしているだけあって、ずいぶんと機転も利いた。
また、白佑の袖の下のおかげで高承は手柄だけでなく、尋問の責任者も押し付けられることになった。これで賊が朱烈のことを話しても記録、報告には載せないでおける。
許靖と花琳は一通りの話を聞かれ、夜半にようやく解放された。
その後、医院で待っていた小芳と合流してから帰路についたところだ。ちなみに医院にいた賊二人は毛清穆に軽々と取り押さえられたらしい。
「花琳さん、お聞きしたかったのですが」
許靖は現場検証中、ずっと気になっていたことを口にした。
「何でしょう?」
「どうして花琳さんは私たちがあの道場にいることが分かったのですか?賊は他に尾行者がいないことを確認していると言っていました。ということは、花琳さんは見えないほど離れてから追いかけてきたわけですよね?」
あぁ、と花琳は頷いて答えた。
「匂いですわ」
「匂い?」
「はい。許靖様の匂いをたどって追いかけました。あの道場の周りを一周されてたようですし、ここで間違いないと思って入ったところ、外にいた者と争いになりました」
(……犬か?)
距離や時間を考えると、人間としてはちょっと考えられないほどの嗅覚だ。
許靖の驚きが伝わったのか、花琳は解説するように付け加えた。
「お聞きになったことはありませんか?一般的に、女性は男性よりも匂いに敏感なのですよ」
「聞いたことはあるような気がしますが……」
しかし、そのような次元の話ではないだろう。少なくとも一般女性ではありえない嗅覚だ。
「ですから男性の浮気など、女性は匂いで気づくことが多いそうですよ」
花琳はそう言って笑った。
許靖もつられて笑う。
「では、花琳さんと結婚する方はとても浮気などできませんね」
「ええ。もし浮気なんてされたら私……」
花琳は足を止め、笑顔のまま許靖見つめた。許靖も足を止めて見つめ返す。
月と雲の加減か、花琳の顔に暗い陰がかかったように見えた。
「あなたを殺して私も死にます」
許靖の頬がひきつった。
「お嬢様、『あなた』って言っちゃってますよ」
小芳の指摘で、花琳は恥ずかしそうに顔を隠した。
「あらやだ、私ったら」
本来それは好きな女性の可愛らしい仕草のはずだったが、今の許靖には何とも言えない複雑な印象を与えるのだった。
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