第13話 馬泥棒

 診療所の玄関に寝かされた男は口を半開きにして白目をむいていた。


 その横で、それを運んできたと思われる男二人が息を切らせている。


 意識のない人間は重い。ここまで運ぶのは相当な労力だったのだろう。


「息をしてないんだ、頼む!」


 一人が声を荒げてそう叫んだ。


 毛清穆モウセイボクは倒れた男に素早く近づくと、小さな刃物で服を切り裂いた。


 数秒が生死を分けることもある外傷処置で悠長に服を脱がす無駄などしない。それに、服を脱がすために患者を動かすことで外傷が悪化することもある。


 毛清穆は男の体を確認し、


「内臓は大丈夫そうじゃな……」


そう呟くと、ぐったりした上半身を起こしてやり、気合とともに背中から活を入れた。


「がはぁっ」


 男の体がビクリと震え、苦しそうな声が漏れた。


 そして喉からヒューヒューと細い呼吸音がしてくる。男はそっと横向きに寝かせられた。


「仰向けにしないように。唾液や吐瀉物で気管が詰まることがある」


 毛清穆は運んできた男たちにそう伝えた。


 二人とも安心した表情で首をカクカクと縦に振る。


 じきに男の呼吸音も落ち着いてきた。


 許靖はその様子を診療室の影から見ていたが、


(瞳を見たい)


と思い、職員のふりをして奥にあった担架を運んで行った。


 そして担架へ移動させるのを手伝う際に、倒れた男の薄く開いた瞳に目をやった。


 そこには枯れ木ばかりが生えた、みすぼらしい山の「天地」が見えた。


(山には痩せた猿が一匹か……木の枝をくわえているが、腹を空かせているのだろう。しかし周りには何も食べ物がない。八つ当たりなのか、そこら中の枯れ木や岩を壊しまくっているな)


 そんな、憐れといえば憐れな「天地」だった。


(これは……峻の一番嫌いそうな人間だな。自分が何かを得ることしか考えていない。そして得られるものがなければ怒り狂う)


 許靖はこの男の本質をそう推察した。そしてこういう人間は、自分が何かを得るために威圧もするし、媚びもする。


 峻は威圧や媚びに敏感で、そういった感情を特に嫌う。一蹴り入れられても何ら不思議はない。


 男を怪我させた馬が峻である可能性は十分あると感じた。


(この男も、むしろ自分から他人に与えることが出来れば良いのだが……そうすれば枯れ山にも緑が増え、実もなって自らも満たされるはずだ)


 この場合、別に助言まで考えてやらなくてもいいのだが反射的にそんなことが脳裏に浮かんだ。許靖の性格だろう。


 男は担架で診察室の寝台へと運ばれた。


 そこでもしばらくは苦しそうにしていたが、次第に意識がはっきりしてきたようだ。喘ぐような声で悪態をつき始める。


「くそっ、あの暴れ馬め……いくら体が立派でも、あんな性格じゃ買い手なんかつかねえぞっ」


 その言葉に許靖の眉がピクリと上がった。


(……これは間違いなさそうだ)


 確信を得た許靖は診療所の奥で待っている高承コウショウの元へと速足で向かった。


 顔を近づけ、そっと耳打ちする。


「暴れ馬とか、買い手とか言っていました。間違いないと思います。私の印象ですが、峻の嫌いそうな人間でもあります」


 高承は無言でうなずいた。


 そして許靖をさらに奥へ引っ張って行き、小声で話した。


「付き添いの二人のうち、一人を帰そう。その一人を我々二人で尾行するぞ。本来なら一人尾行、一人待機の予定だったが、もう診察も終わりだから二人で構わないだろう」


(わ、私も行くのか?)


 許靖は高承の言葉に耳を疑った。


 自分はこういったことに関しては全くの素人で、しかも一般人なのだが。


 許靖の表情をどう読み取ったのか、高承は先輩が後輩に教え諭すような口調になった。


「どのような捜査も二人一組、もしくは三人一組で行う方が成功率が上がるんだ。不測の事態へ対処しやすくなるし、本隊への伝達も出せる」


 そういったことを聞きたかったわけではないのだが、許靖は仕方なくうなずいた。


 その反応に高承は満足したようで、にやりと笑った。


「伝説の県尉、朱烈シュレツ様の受け売りだ。あの方の言う捜査手法に間違いはない」


 高承はそれだけ言うと、処置を終えた毛清穆と話を始めた。


 許靖は意外な名前が出てきたことに驚いていた。


(朱烈殿、慕われていたんだな)


 この分だと兵の中では朱烈冤罪説がまだ主流なのかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、毛清穆にうながされて付き添いの男の一人が診療所を出て行った。


『付き添いは一人で十分だ』 


とでも言われたのだろう。


 蹴られた男はまだしばらく安静にしているだろうし、もう一人の男は毛清穆が引き留めてくれるはずだ。


 高承と許靖は出て行った男を追うべく、裏口へと向かった。


 当たり前のように花琳もついて来ようとしたが、


「尾行で人数が多すぎるのはまずい」


ピシャリと高承にそう言われて、不満そうに引き下がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る