最終話 気づいた「もの」
楓は僕の話を信じなかった。当然だった。僕とこの世界の彼女とでは積み上げてきた信頼が違う。お互いに同じずつ積み上げていかないといけないのにあまりにも差が開いていた。もし同じくらい積み重なっていたなら少なくとも彼女は僕に向き合っただろうか。
楓は「もう理解できないよ。」と言って帰っていった。あんなに割り勘することを徹底していた彼女がお金を置かずに出ていった。
この世界の楓は姿形は一緒だが中身は違う。僕の愛した楓とは似ても似つかないものだった。彼女から見たら僕が変わったように見えるが、僕から見たら彼女が僕に追い付いていないだけであり、それは僕と彼女がケータイで電話をしていた時間の分だ。その時間の分を一緒に作ればいいのだが決して信頼が同じになることはない。信頼は積み上げられていくものであり、崩れていくものである。僕と彼女の積み上げられた信頼が違う時点で一緒に信頼を積み上げてもその距離が縮まることはないのだ。
アイスコーヒーをブラックで一気に飲み干す。あまりの苦さにむせた。
「苦ぇ…」
まだ味覚は子どものようだった。
家に帰り明かりをつけると知らないお爺さんが一人イスに座っていた。
思わず叫ぶ。
「そんな大声出さんといて、頭に響く~。」
お爺さんは耳を塞いで言った。
「いや、あなた誰ですか!?不法侵入ですよ?」
コンロに置いてあったフライパンを片手に持つ。
「ほほ、懐かしいなこのやり取り。」
お爺さんは笑うと立ち上がった。僕は身構えた。
「私が携帯電話を世界から消した張本人、『神様』だよ。」
そう言うと懐から紙を取り出し僕に向かって投げた。
その紙には誓約書と書かれていて、携帯電話を消すうえでの掟や制約などが書かれていた。そして一番下には僕のサインがあった。
「え?は?神様?てかケータイを知ってる?」
思考が追い付いてなかった。
「携帯電話が消えた日の前日の夜、その誓約書にサインした。だが記憶がないだろう?私があの時の出来事の記憶を消したのさ。」
確か珍しくベッドで寝ないで床で寝てた朝。
「携帯電話を消すと同時に君は意識を失ったのだ。そして世界から携帯電話が消えた。過去からも未来からも。」
「ちょ、ちょっと待て。ケータイを世界から?なんで?」
「私の余興さ。」
「はあ?」
「この世界であればいいけど別になくても困らないようなものを消そうと思ってね。それで携帯電話を選んだのさ。」
神様の余興一つで僕はケータイを失い楓も失ったのか。
思わず力が抜けて座り込む。
「神様だと聞いてあまり疑わないな?」
お爺さんが尋ねる。
「神様以外こんなことできるわけないでしょ。むしろ納得したわ。」
契約書をもう一度見る。確かに僕の筆跡だ。
「なんで僕、これにサインしてるの?」
すると神は答えた。
「人類滅亡かその誓約書にサインするか選ばせたのだ。」
「それ選択肢になってないから。」
苦笑する。それならもう仕方ない。神様に運悪く選ばれたのだ。
「あまりにつまらなかったら人類滅ぼそうかと思ったけどなかなか面白いものが見えた。」
面白い?
「どこが面白いんだよ。ケータイを消したせいで別れる羽目になったんだぞ!」
「それが面白いんじゃないか。」
「人の不幸は蜜の味ってか。くそじじいが。」
怒りを神様にぶつける。
すると神様は僕に近づいて尋ねた。
「君は気づいてないのか?なぜ別れてしまったのか。」
「そりゃあケータイが消えたからだろ。あんたのせいだ。」
にらみを利かせて言う。だが神様は顔を変えずに言った。
「違う。君たちが『携帯電話』という道具を使って愛を育んだからだ。」
「は?」
神様が窓際に向かう。逆光になり顔がはっきりと見えない。窓際に置いた置き時計には16時30分と表示されていた。
「道具がなくても人は愛し合える。なのに君は携帯電話という道具のせいにしている。携帯電話という文明の力に甘えて直接会って話すこと機会を失っていた。いつ、どこでも会話ができるから。君たちに必要だったのは携帯電話ではないはずだ。」
「...」
億劫な性格だったので自分から話しかけるのは苦手だった。だからあの時彼女から話しかけてくれたことが嬉しかった。連絡先を交換して夜遅くまで電話をした。僕は楓の声が聞ければよかった。楓が楽しそうに話す姿を想像するだけで充分だった。皮肉なことに実際に聞こえる声は楓の声ではなく合成音だったようだが。
社会人になりお互いに仕事に追われ、月に1,2回は会うもののほとんどをメールと電話で済ませていた。会っても最近の近況や愚痴など他愛もない話をしていた。「好きだ」とか「愛してる」などの言葉をお互いが言わなくてもわかりきっているように思っていた。愛は信頼だと言って逃げていた。子どもよりも不器用だった。
僕らが必要だったのは...
ふーっと息を吐く。そして神様に言った。
「あんたやっぱ神様なんだな、すべてお見通しというわけか。」
「まあ、君たち人間よりは賢いだろう。」
初めて神様の言葉に笑った気がした。
「神様、世界を戻してよ。」
「なぜだ?」
「答えがわかったから。」
僕は早く彼女のもとに向かわなければならない。そして伝えなければならない。
神様は笑った。
「やはりやってみるもんだな。さしずめ私は恋のキューピットだろうか。」
「あんたが天使とか吐き気がするわ。」
さっき着ていたジャケットを羽織る。
「じゃあな、神様。次は僕以外のところに行ってくれ。」
「こちらこそ余興をありがとう。」
神様はそう言うといつの間にか消えていた。
僕は外に出た。腕時計を見るともうすぐ17時になろうとしていた。
すると視界が一瞬真っ白になった。すると僕のポケットにケータイが入っていることに気づいた。携帯電話がある世界に戻ったのだろう。
楓に電話をする。出ない。急いで駅まで向かった。
電車に乗り込むとそこにはいつもの景色が戻っていた。みんながそこらじゅうでケータイをいじっていた。
楓の最寄り駅に着く。ホームへ降りるとすぐさま彼女に電話をした。すると聞いたことのあるメロディが後ろから聞こえた。
振り向くと楓が立っていた。
「え、柊真?どうしたの?こんなとこまで来て。」
彼女が笑いながら尋ねた。
「え、あ、いや、えーと。」
ケータイを閉じる。
「君に会いに来た。」
声が上ずっていた。
「え、なんで?」
彼女がきょとんとする。
深呼吸をする。今まで言えなかった分を籠めて。
「君がー」
すぐ近くを電車が通り声がかき消された。
つくづくついてないと思ったが彼女には聞こえてたらしい。顔が赤くなっていた。
「私も....」
彼女は照れながら僕に言うと抱きついた。その力は今までで一番強かった。
たぶん僕の顔も赤かったが夕日を言い訳にした。
携帯電話 和画(わが) @waga14
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