第3話 失った「記憶」

 いろいろ考えこんでしまいあまり寝つけなかった。時刻は7時。世界が元に戻ってないかとパソコンを開き検索する。しかしヒットせず大きなため息を漏らす。夢ではなかった。この現実を受け入れるしかないと思い、とりあえず出社する。

 電車に乗るとやはり昨日と同じ景色が広がっていた。深呼吸をする。僕はこれから携帯電話がない世界で生きていくことになる。人は3回同じ行動をすると習慣がつくらしい。なので毎朝7時に起きるのを3回すれば自然と7時に目覚めるようになる。つまり1週間もすれば自ずと僕もこの風景の一部になっている。はたしてそれは良いのかわからなかったが周りから異端者でないように振舞うことが大事だと思った。

 思えばこの思考は日本人ならではだと思う。はみ出した人間は除外される。みんな一緒に歩いていこう、そんな暗黙のルールが個性を潰している。頭の良い人はネジが少し外れているというが、そんな彼らを変わり者だと思っている僕らもネジが外れているのだ。

 エレベーターに入ると同僚の結城がいた。

「あ、中西さん。おはようございます。」

「おう、おはよう。」

 人が密集していたため小声で挨拶する。

 結城は今年の春に入った新入社員で僕は彼の研修をしていた。返事も良く仕事もスムーズにこなすため教える身としてはやりやすい。

「なんか顔やつれてませんか?まだ月曜日なのに。」

 結城が心配そうにのぞき込む。

「ああ、いや夜更かししてゲームをしちゃっただけさ。自業自得だよ。」

 そう言ってこめかみを抑え込む。正直頭の痛さは抜けていない。

「次の日仕事なのに夜更かししてたんですか?」

「なかなか倒せなくてな。キリが悪くて。」

「ははっ、あれですよね。倒せないと気になって眠れないやつですよね。」

 そう言って結城は笑う。

「まあな。ちょっと顔洗ってくるわ。」

「了解です。先行ってますね。」

 そう告げて結城と別れるとトイレへ向かった。鏡を見ると目の下にクマができていた。正直眠れた気は全くしない。このままでは仕事に支障が出ると思い顔に冷たい水をぶっかけた。

 今は仕事に集中する時だと自分に言い聞かせ仕事場に向かった。

 だがしかし、仕事でもケータイがない世界に翻弄される。

 まず出かけている上司と連絡が取れない。承認が必要な書類が上司に机の上に積み上げられていく。ケータイ一本通せばいいだけなのに帰ってくるのを待たないと次の段階に進めないため圧倒的に効率が悪かった。また用事があってもその場にいない場合ひたすら待つしかない。ケータイがあればすぐに用件を言えるのにそれができなかった。そしてそれは僕自身にも起きた。

「あーやっと見つけました。どこに行ってたんですか?」

 結城が走ってこっちに来る。

「え、休憩がてらタバコでも吸いに行ってたところだけど。」

「それなら言ってくださいよ。というかいつもならタバコ吸いに行くって断ってから行きませんでしたか?」

 ここでも上書きされていた。ケータイがあれば周りになんの断りもせずタバコを吸いに行き、もし用があれば着信が来ていた。

「あ、そうだっけ。ごめん。」

「やっぱり疲れてません?」

「大丈夫、大丈夫。で要件は何?」

「あ、はい。それが先ほどの会議の議事録をー」

 結城は面倒だと思わないのだろうか。わざわざ席を立ちあがり僕を探しに行くことに。もし席に座ったまま連絡を取れるような機械があればいいなとか想像したりしないのだろうか。

 ランチタイムに結城に質問をしてみた。

「なあ、結城。遠くにいても連絡が取れる機会があればいいと思わない?」

 携帯電話はない。ならば他の人がその存在に気づければいい。

 すると結城はきょとんとした顔をする。

「それってもうありません?ほら電話機。」

「あーいやあれは家にいる時とか会社にいる時しか連絡取れないじゃん。もっとコンパクトな、僕がタバコ吸いに行ってても連絡が取れるような。」

「あー!なるほど。つまり小さい電話機があればいいってことですよね。それは便利ですね。わざわざ呼びに行かなくて済みそうですもんね。」

 結城は感心している。思った以上の反応に手ごたえを感じた。そうだ、こうやって広めていけば誰かが作ってくれる。

「でも、難しそうですよね。電話機だけでも結構大きいですからね。あれを小さくするなんて。FAX機能とかも無くなりますし。」

「まあ、FAXはなくてもいいんじゃないか?電話だけできるやつ。」

 昔ポケベルがあった。最初はあれぐらいのものでいい。そこからどんどん進化させればいい。

「確かに。まあでも所詮僕たちみたいなサラリーマンが思いついたということはどっかの世界の技術者がとっくに思いついてると思いますよ。」

 そう言って結城はうどんをすすった。

 意外とすぐに話が終わり拍子抜けする。

「まあ、そうだよな。」

 僕も頼んだカレーを食べる。

「今日結構暑いのにカレー食べるなんて凄いですね。」

「馬鹿。暑い時こそカレーだろ。」

「いやいや。暑いのに熱いの食うのは暑苦しいです。」

「あつあつうるさいな。」

 結城への質問には大きな収穫があった。あくまで仮説だがこちらから提案すれば携帯電話を想像できる。ただし自ら想像したり開発する力は持っていない。今現在ケータイがないということは誰も思いついていないからだろう。もし自分が科学者で携帯電話を作れれば億万長者になれただろうか。ただのサラリーマンが開発者と連絡を取れる手段は持っていない。しかしやり方はある。Twitterで携帯電話の説明をすればその利便さが広まりやがて開発グループの人の目に留まるはずだと思った。


 家に帰るとすぐにパソコンを開く。この世界でのTwitterは昼間は主婦層ばかりがツイートし夜間が一番ツイートが活性化された。これもケータイが無いせいなのだろう。

『持ち運びできる電話があればいいのに。どこにいても連絡が取れるようなコンパクトな電話。』

 そうツイートすると奇妙なことが起きた。タイムラインに表示されない。

「あれ?」

 プロフィールから確認してみる。プロフィールからは表示されていた。

「埋もれたのかな。」

 もう一度タイムラインを確認する。しかしどれだけ遡っても僕のツイートはなかった。

「もう一度やるか…」

 結果は見えていた。どうやら核心に迫る内容を打ち込むと表示されないのだ。逆に昨日上げた「携帯電話」はそもそもみんなが想像できないため表示できた。

 この世界は携帯電話を拒んでいる。誰かではない。この世界が僕に抗ってくる。

 おそらく仮に何でも作れる開発者に出会えても携帯電話を作ることはできないのだろう。それはつまり携帯電話は今後生み出されることがないことを表していた。

 どうしようもなくなってしまいパソコンを閉じてテレビをつけることにした。クイズ番組がやってた。必死に考えながら馬鹿な回答をするゲストがいつもよりムカついた。


 それから一週間がたった。予想通りこの世界に慣れ始めた自分がいた。もう電車に乗っても気分が悪く事は無くなり、仕事も携帯がないままでもなんとかこなせるようになっていた。ただ唯一、FAXのやり取りだけは慣れなかった。

「FAX便利じゃん。昔なんか手紙でやり取りしてたんだよ?返事するのに2日か3日も待たないといけないなんて無理無理。」

 楓が受話器越しで言う。

「いやまあ、そうなんだけどさ。」

 彼女の声が聞きたくて電話をした。

「FAXってどうしても仕事のイメージが強くて。」

「ええ~?そんなことないと思うけどなぁ。」

 この世界ではFAXは公私ともに使われているものなのだろう。

 ふと思いついた話題を話す。

「そういえばさ、電話してる時の声って本人の声じゃないんだって。合成音声っていう作られた声なんだと。」

「ええ!?知らなかった。じゃあ今聞こえてる柊真の声って本当の声じゃないんだ。」

「そういうことだね。」

「ということは私は今柊真の意思を持ったロボットと話してるのかな。」

「いや、何それ。」

 彼女が笑ったので僕も笑う。

「まあ、オレオレ詐欺が無くならないのもわかるなぁ。まあ柊真は一人称が僕だから大丈夫だね。」

「いや『僕だよー、僕僕。』でいけるじゃん。」

 イメージした詐欺師の声真似をする。

「いやなんかダサい。僕僕の音程というか発音が。」

 そう言って彼女は笑っていた。

「あ、そうそう。今週末行きたいところあるんだけど空いてる?」

 彼女が提案してきた。

「うん、大丈夫。」

「じゃあこの前と同じ時間、同じ場所集合で!」

「了解。どこ行くの?」

「秘密。」

 ふふっと笑い、それじゃまたねと告げて電話を切った。

 彼女と電話をするたびに記憶が上書きされているのがわかる。楓は当日行く場所を秘密にしたりしない。

 それは4年前のデートの時だ。

 その日はお気に入りの革靴を履いて行った。慣れないものを履いたせいか歩きにくくぎこちなさがあった。目的地までは結構歩いた。その道中にある小さな橋(大きく平らな石をいくつか並べて足場になったもの)を渡る際、靴底がひっかがって落ちたことがあった。浅い川だったため怪我はなかったもののケータイも壊れてしまった。落ちた際に革靴にも傷がついた。もちろん自業自得であり完全に僕の不注意だ。だがあらかじめ結構歩くことを言っていれば革靴で来ることはなかったでしょと彼女は言い、それ以来彼女は前もって目的地を言うようになった。

 今回目的地を言わないということは何かを狙っているのか、それともあの出来事が上書きされたのか。もし上書きされたならあの場に携帯電話が関係していたのだろうか。4年も前のことだ。ところどころ曖昧ではある。


 今回はいつも通り15分前に着いた。毎回思うのが、もし何かしらのトラブルで遅刻したとき連絡できないということ。ケータイがない世界はどうなっているのか。5分前に楓は来た。

「お、今日は早いね。」

 そう言って微笑む。今日の彼女は動きやすそうな格好をしていた。スニーカーにして正解だった。

「じゃあ私についてきて。」

 彼女が先頭を歩く。僕は彼女の右隣やや後ろを歩いた。

「さてどこへ向かうんですか。」

 楓に尋ねる。

「まだ内緒。でも期待していいよ。」

 彼女はニヤついていた。

 知らない道をひたすら歩いた。かれこれ10分ぐらいだろうか。住宅街を進む。

 楓にさっき気になった質問をする。

「ねぇ、もし遅刻しそうになったらどうする?連絡の取りようがないじゃん。」

 すると彼女は目を丸くして言った。

「え?だから何があってもいいように早く着いてるって柊真の決まり文句じゃん。もし私が遅刻してもいくらでも待てる。信頼してるからって。どうしたの?」

 地雷を踏んだ。

 ケータイがないことで僕自身も上書きされていた。ケータイがない世界での僕はそう言うのだろう。

「あ、いや。ほら、試したくてさ。この前ギリギリで僕が着いた時も楓は待っててくれたじゃん。」

 慌てて話を合わせる。早口になってないだろうか。

「まあ、まだ集合時間前だったからね。ちょっと心配したけど。」

「うん、だから連絡できる手段があればいいのになって、出かけてる時でも。」

 自然と話が携帯電話のことになっていた。

「まあ、そうね。確かにそういうのがあると便利かも。」

 彼女はあまり興味を示さなかった。逆に安心した。下手に携帯電話の話題を出して不審がられたくない。彼女とはそういう話題を避けていた。

「そういえばこの道覚えてない?」

 そう言って彼女は立ち止まる。

 そこはY字路になった交差点だった。分岐点に緑の木々が立っている。

「あー『時をかける少女』だっけ。一緒に観に行ったな。」

「ここでごろごろ転がって何度もタイムリープしてた場面。好きなんだよねぇ。」彼女の表情が一瞬曇った気がした。

 彼女はデジカメを取り出し写真を撮る。

「ほら、柊真!そこに立って。」

 彼女に指示される。

「後ろ向いて歩いてるように!」

 言われるがままに動く。

 かれこれ10分くらい経つと満足したのか指示する声が止まった。

「なあ、目的の場所ってここ?」

 振り向くと彼女は撮った写真を確認していた。そしてこちらを向き

「目的の一つだよ!」

 と答えた。

 今日の目的がわかった。

「あー聖地巡礼?」

「正解!」

 彼女は笑った。

 革靴で来なくてよかった。


 それからはいたるところを巡った。東京国立博物館やモデルになった東京女子大学。電車で移動しては歩いた。さすがに体力に限界があり、上野の喫茶店で休憩することにした。

「いやー良いのがたくさん撮れたわ。」

 彼女はご満悦だった。一方の僕はバテ気味で早く飲み物が来ないか待っていた。

「聖地巡礼するなら別に言ってもよくね?秘密にする必要ないじゃん。」

 そう尋ねると

「わかってないなぁ。あの場所は映画の一部なんだよ。そこを歩くということは映画に入り込んでるということ。何も知らない状態で歩いたほうが自然に映るからね。」

 そう言って彼女はお気に入りの一枚を見せた。そこには本当に映画から切り取ったかのような構図で自然に聖地の中に溶け込んだ僕が写っていた。

「これ、いいね。」

「ふふっ、そうでしょ。」

 まんまと彼女の被写体として都合のいいように使われたわけだが彼女の笑顔が見れたので良かった。

「まあ、でもやっぱりあらかじめ言ってもらった方がいいね。今日スニーカーできたからよかったけど革靴なら結構しんどかったし。」

「あ、そうか、そうだよね。ごめん。」

 彼女は謝った。やはりあの事を覚えてないのか。

「あのさ、4年前にさ僕が川に落ちたときのこと覚えてる?楓が運転して行ったやつ。」

「あー覚えてるよ。千葉の亀岩の洞窟でしょ。天気が悪かったやつだよね。そうそう柊真が川に落ちたやつ。」

 彼女は思い出しながら答えては笑った。

 その回答に鮮明に当時のことを思い出した。

 内緒にして連れて行かれた場所は亀岩の洞窟だった。そこの道中にあった川でケータイは壊れ靴は傷ついた。そしてその後に行ったメインの亀岩の洞窟は天候が急変し綺麗に見えなかったのだ。あの日は二人して落ち込み、何より楓が何度も謝ってきたのでうんざりし、当分連絡を取らなかった。

「え?あー落ちたね。でも浅くてよかったやつ。懐かしいなぁ。」

 この世界で川に落ちたことは事実だった。だがそれでもまだ合わない。

「あの日僕さ、革靴履いてたんだよね。」

「あ、そうだっけ。革靴であそこ歩いてたの!?だから落ちたとか?」

「いや、あれは普通に僕の不注意なんだけど。」

 彼女が僕の靴に関心がないことで確信を得た。

 あの日、僕が川に落ちたとき、彼女は心配して寄ってきた。その際ケータイが壊れたことを彼女に伝えた。互いに落ち込んで下を見ていると僕の靴に傷が入っていることに気づいた。それがこの世界ではただ僕が川に落ちて靴を傷つけただけになっていて、すぐに起き上がった僕を見て彼女は笑っただけのことになっていた。記憶が美化されていた。

 携帯電話がなかったことで気づかなかったこと。あの革靴の傷はケータイを失くしたことで見つけたものでもあった。

 これ以上過去の話題を出すのはやめにしようと思った。僕と彼女の過去にずれがある。必ずぼろが出ると思った。しかし時はすでに遅かった。

「そういえばさ、柊真がこの前言った電話の話なんだけど。ほら本当の声じゃないってやつ。」

 彼女が話を変えてきた。

「あー言ったね。それが?」

 胸騒ぎがする。話題にしてはいけないようなものを話している感じがした。

「あれさ、友達に言ったら嘘だって。電話の声は波形がそのまま伝わるから本人の声と一緒だよって。ほら、糸電話みたいな。私も調べてみたらそうだって書いてあったよ。」

 背筋が凍り付いた。たしかあのテレビを見たのはケータイが無くなる前だった。固定電話、置き電は合成音声ではなく、合成音なのはケータイだけだったのだ。

「それで私気になってさ、『合成音声 電話』で調べたんだけど全然出てこなくて。柊真が言ってたのって何なの?テレビで見たとか言ってたけどそんな情報ネットでもSNSにも載ってなかったよ?」

 追い込まれているのを感じた。携帯電話のことを言ってもこの世界では誰も信じない。それはわかりきっていた。それよりも恐れていた。

「あとさ、時をかける少女。あれ一緒に観たの柊真の家だよね?レンタルしてさ。」

 楓は疑心暗鬼していた。

 僕の記憶では『時をかける少女』は2回観ている。どちらも楓と一緒に。1回目は映画館。2回目は僕の家で。

 彼女の記憶では1回目が消えている。それはつまり携帯電話が絡んでいたということだ。だが明確に当時のことを思い出せない。

「ねぇ、あなた本当に柊真?最近ずっとおかしいよ?わけのわからないことばかり言うし。この前も何とか電話って。今日だってとぼけたような質問して。やっぱりあの日になんかあったでしょ?話してよ。」

 彼女の目は潤んでいた。

 人間は非効率なものを効率的にするために開発をしてきた。徒歩だと体力に限界があるから乗り物を作ったし紙のファイルだとかさばるからパソコンでデータをまとめた。思えばこれらは僕らの生活を便利にするためではなく、非効率なものを消していくために作られてきた。同じことかもしれないが少し違う。世界を単純化するために複雑なものを作ったのだ。僕らが遠い距離をわざわざ会いに行かなくてもいいように、すぐにどこでも連絡ができるように携帯電話は作られたのだ。そしてそれは僕とこの世界の楓に信頼のずれが生じていることを表していた。

 この世界に信頼は積み重ねられてなかった。僕が携帯電話で交わした時間と記憶はFAXや置き電などではとても回収できるものではなかったのだ。


 頼んでいたアイスコーヒーがテーブルの前に置かれる。お互いに手を付けない。

 傍から見たら別れ話をしているカップルに見えるだろうか。

「今から言う話、信じてくれる?」

 きっとこの世界では理解できないだろう。それでも僕は彼女を信頼したかった。







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