第2話 消えた「携帯電話」

カーテンの隙間からこぼれる日差しが目に入り思わず顔をそらす。目を開けると白い天井が見えた。体を起こそうとするとそこがベッドでないことに気づいた。なぜか一人イスにも座らずに床の上で寝ていた。

寝落ちしたにしては不思議だなと思いつつも今は何時か確かめるためにケータイを探す。しかしケータイが見当たらなかった。いつもならテーブルの上に置いてあるはずだが。

「どこ置いたっけな。」

昨日のことを思い返すも夜何をしていたか全く思い出せない。とりあえずお腹が減っていたので冷蔵庫を漁る。するとシンクの中に研いだ米が置いてあった。べちゃべちゃになって少し膨らんでいた。

「あれ?昨日何食べたんだ?」

思い出そうにも出てこないかったのでとりあえず研いだ米を捨ててボウルを洗う。

適当にトーストを焼いてジャムを塗り、片手で食べながらテレビをつけた。左上に表示された時間は8時20分だった。

今日が休日で良かった。さすがにこの時間は遅刻する。ほっとするもケータイが見当たらないことに焦りを感じていた。確か昨日の夜、楓にメールを送った気がしたのだがそれすら確認できない。仕方がないので友人の大谷に置き電から電話をした。大谷は朝ランニングをするのが習慣なためこの時間は起きてるはずだった。すると2回コールした後電話に出た。

「おー中西じゃん。朝っぱらからどした?」

「朝からわりー。今大丈夫?」

「おう、平気よ。ランニングの休憩中や。」

案の定大谷はランニングをしていた。

「ケータイが見当たらなくてさ、僕のケータイに電話してくれない?」

「あ?ごめん何て言った?ケータイ?」

「そそ、ケータイ。僕の電話番号知ってるだろ?」

すると大谷から思いがけない言葉が出た。

「いやごめん、『ケータイ』って何?」

朝からボケてるのかと思った。大谷はふざける節がある。

「いやふざけじゃなくて、『携帯電話』。見つからないんだよ。」

「いやだからその『ケイタイデンワ』ってなんだよ。電話?今やってるじゃん。」

大谷の声が遠くなるように感じた。ケータイを知らない?

「あっと、ごめん。また後で連絡するわ。」

そう言って大谷との電話を切るとパソコンに向かい「携帯電話」と検索した。

「ケータイだぞ?どういうことだ。」

しかし想像するものは出てこず、置き電などしか出てこなかった。

必死に他のワードで検索するも出てくるのは非常食や昔の電話ばかり。冷や汗をかいていた。

この異常事態を知っている人はいないのかと置き電に登録した連絡帳から他に電話できる人を探すがなかなか見当たらない。親に言うのは少し気が引けるし、他は大谷を除いてそこまで仲の良い人たちではなかった。楓とは10時に集合することになっている。時刻は9時になろうとしていた。今真っ先に情報を得るなら彼女しかいない。

急いで着替えて普段はつけない腕時計もつけて駅まで向かう。その道中、周りを見渡しても誰一人ケータイをいじっている人はいなかった。不気味に感じつつも駅に着き山手線に乗ろうとホームに降りる。しかしそこでも誰一人ケータイをいじっておらず本や新聞を読む人、遠くの景色を見る人しかいなかった。そしてそれは電車の中でも同じだった。その異常な光景に思わず吐き気がして次の駅で降りてはトイレに向かった。

自分だけが異端者かのような世界。夢ならどれほどいいかと思い早く眠りにつきたかったがこの異常事態に眠気など起きるはずもなかった。

結局集合時間ギリギリになって到着した。楓は既にいた。

「珍しいね、私が先に着いてるなんて。いっつも15分くらい前からいるくせに。」

彼女はそう言って腕時計を見た。彼女は普段から腕時計をしている。ケータイで確認するのが面倒らしい。なのでなんの問題もないのだが今の僕からしたらその行為が違和感でしかなかった。

「はは、ごめん。ちょっと、寝坊しちゃって。」

息が乱れてうまく話せなかった。

すると彼女は心配そうにこちらを見た。

「なんか大丈夫?顔青ざめてるけど。」

正直気分は最高に悪い。ただ彼女に悟られたくなく必死でごまかした。

彼女は不思議がるも深くは追及してこなかった。

今日は彼女と映画を観る予定になっていた。洋画のコメディ映画。お互い映画が好きで定期的に一緒に観に行くのだがこの日はとても映画の内容に集中できなかった。いつも頼むポップコーンセットも断り、ひたすらに周りを見ていた。未だにケータイを持っている人はいない。上映中は映画の中にケータイが出てこないか目を凝らしていた。残念ながらここでも一回も出てこずエンドロール中に思わずため息をついた。


「あんまり面白くなかった?」

「え?」

アイスコーヒーをストローでかき混ぜていた手を止める。休憩するために立ち寄った喫茶店で映画の感想会が始まる。これがいつもの流れだった。

「あ、いや面白かったよ。普通に笑えるシーンもあったし。」

実際内容などほとんど頭に入っていない。

「嘘。あなた全然笑ってなかったし最後ため息ついてたじゃん。」

ため息をついてしまったのは申し訳ないと思っている。

「まあ、別に面白くなくてもさ、せっかく恋人といるんだからもうちょっと気を遣ってほしかったよ。」

そう言って彼女は僕と同じアイスコーヒーをストローですすった。その目はしょげていた。

「ごめん。」

謝るもののその声は弱弱しかった。

すると彼女は僕に尋ねた。

「やっぱりなんかあったでしょ。何があったの?答えて。」

力強く言われる。

彼女は信じてくれるだろうか。ケータイが消えたことを。そもそもケータイを知っているのだろうか。

そんなことを考えていると彼女はダメ押しで言った。

「言わないならもう今日は帰るから。」

そう言って彼女は帰りの支度を始めたのですかさず止める。

「あーわかったわかった。言うから、言うから帰らないで。」

すると彼女は手を止めて姿勢を戻した。

「はい、じゃあ言って。」

言葉を選ぼうとするがこういうのは単刀直入で言った方がいい。

「携帯電話って知ってる?」

彼女の顔を見て言った。すると彼女は頭に?マークでも浮かんでるかのように首を傾げた。

「ケイタイデンワ?何それ、電話って電話?」

やはり知らなかった。背もたれに寄り掛かる。

やはりこの世界に携帯電話はなかった。そもそも存在すらしていない。知っているのは僕だけである。そもそもなんで僕だけ知っているんだ?もしかしたら僕みたいな人が他にもいるのか。いろいろと考えているとふと思い当たった。

「楓さ、今日映画を観るって約束したじゃん、あれってどうやって知った?」

僕はメールで彼女に送ったはずだ。ならば彼女はどうやって今日の予定を知ったのか。

「え?どうやってって普通にFAXで柊真から来たんじゃん。」

「FAX? あーなるほどなぁ。」

うまい具合に書き換えられている。メールを送るという手段はFAXに塗り替えられたのだ。

「連絡とるときってさ、どうやってたっけ?」

彼女に確認する。携帯電話もないとなると彼女とどう連絡を取り合っていたのか。

「え、何その質問。記憶喪失?」

彼女が少し笑いながら言う。

「いやそういうんじゃなくて。真面目な話。」

「えー、普通に柊真んちに電話したりFAX送ったり。今は1人暮らしだからいいけど高校の時は親の目が怖かったから偽名で男の名前使って手紙を送っりしてたかな。柊真も私が言った女の子の名前に変えて送ってくれてた。」

彼女が照れながら話す。

「それってさ、出かけてる時気づかなくない?」

「うん、もちろん。てかそんなの普通じゃん。プライベートのやり取りなんてみんな夜帰ってきてからじゃん。」

なるほど、いろいろと合点がいった。携帯電話がなくても世界が回るように変えられている。

「そ、そうだよね。いやごめん、ありがと。」

その後は彼女の話が続いた。仕事の愚痴や新しくできた喫茶店、レンタルして観た映画の話など、もちろんその会話の中に携帯電話など出てくることもなく、僕は彼女の機嫌が損なわれないよう適当に相槌を打っていた。


店を後にし、渋谷駅まで歩く。人が多い。

「今日本当に大丈夫だった?いろいろおかしなこと言うし。」

別れ際、楓がもう一度心配してきた。

「あーもう大丈夫よ。たぶん人が多かったから人酔いしちゃったんだと思う。渋谷とか池袋って人多いじゃん。」

僕がそう言うと彼女は「えーそうかなぁ。」と首をかしげていた。

「まあ、でも楓と会ったら元気になったわ。ありがと。」

からげんきだが持てる限りの明るさで振舞った。

「そう、なら良かった。」

彼女はそう言って笑ってはすぐに前を向いた。夕日に照らされてわかりづらいが顔が赤くなってるのがわかった。

僕らはお互いに「好き」とか「愛してる」といった言葉は言わない。付き合うときでさえ「好きです。」とは言わなかった。恥ずかしかったのかもしれない。ただ何回も電話をしたり、時には夜遅く布団の中で家族にばれないよう電話を続けていた。そうやって僕らは距離は遠いけれど信頼を積み重ねていた。だから付き合う時もお互いを疑わず自然と結ばれた。

愛とは信頼である。同性の信頼を友情と呼ぶなら異性の信頼は愛だ。だから異性の友情は存在しますかという問い自体間違っている。恋から愛に変わるためには信頼を積み重ねるしかない。それを得るために僕らは携帯電話を使っていた。決してFAXや置き電では積み上げられないくらいのものを僕たちは交わしていた。

「帰ったらまたFAX送るからー!」

彼女はそう言って向かいのホームへ降りて行った。僕は手を振って見送った。

彼女の笑顔に胸騒ぎを覚えた。

携帯電話を使って話していたあの時間はどうなったのだろうか。


家に帰るとすぐに横になった。頭が痛かった。明日から仕事が始まる。だが行く気になれなかった。まだこの世界を受け入れるには時間が必要だった。なんとかパソコンに向かいTwitterを開く。そこで「携帯電話」と検索してみたが案の定何も出てこなかった。Twitterなら情報スピードが速いためもしかしたらと思ったのだが。次は「ケータイ」と検索する。出ない。

「うーん、あと他に言い回し無いかなぁ。」

頭を掻いていると閃いた。

「Twitterで呟けばいいんだ。」

残念ながら20人程度しかいないフォロワーに向けて発信した。

『携帯電話(cellphone)が見当たらないんだが。』

ほとんどの人が謎に思うだろうが、もし世界中でこのツイートを見つけてくれる人がいるかもしれない。そんな期待を込めて呟いた。

明日の朝確認しよう。そう決めて風呂に入った。

風呂から上がるとFAXが届いていた。楓からだった。メールの時は短い一言で終わっていたがこのFAXには3文くらい書かれていた。おそらく別れた後も心配していたのだろう。そこには「結局何とか電話って何なの?」と書かれていた。携帯電話は存在しないという現実。一体僕らはどうやってここまで信頼を積み上げてきたのだろう。さっき会ったばかりなのに彼女に電話をしてみた。3回くらい鳴ってから彼女が出た。

「もしもし?ごめんね、ちょっとトイレ行ってて。どうしたの?」

受話器越しにトイレの水が流れた音が聞こえた。

「いやさ、確認したいことがあって。」

「ん、何?」

「僕らってどうやって知り合ったんだっけ?」

「ええ!?今度は何その質問!なんか試されてる?」

彼女の反応をよそに尋ねる。

「まあそんな感じ。」

すると彼女は「えー」と言いながら考えていた。

「たしか音楽じゃなかった?ほら、柊真が聞いていた音楽が私も好きでそれで意気投合した。ていうかあんたがイヤホンすっぽ抜けた状態で聴いてたんでしょ。周りにダダ洩れの状態でさ。あの時顔真っ赤にしてみんなに「すみません、すみません」って。」

僕の声真似をしながら彼女は笑った。

「あ、そうだったっけ?」

僕も連れなく笑う。

嫌な予感は的中した。

僕と楓の出会いは違う。そんな馬鹿けたことはやっていない。同じ音楽が好きだったことは合っている。だがお互いにそれを知ったのは着メロだ。僕の登録していた着メロと彼女の登録していた着メロが偶然にも一緒だったのだ。

昼休みに彼女たちのグループで着メロの話題になった時に盗み聞いた。その時に彼女が僕と同じ着メロだということを知った。それから少し経って、僕が弁当を忘れたのを知らせようと母が僕に電話をしてきた。その時に鳴ったメロディを彼女は聴き、そこから彼女から話しかけてきて、お互いに少しずつ話すようになった。母と弁当を忘れた自分を褒めた。お互いに連絡先を交換しCDを交換したり、電話をしたりした。そんな思い出が完全に塗り替えられていた。

彼女との電話を切りキッチンへ向かった。

晩御飯を作らなくては。今日はカレーにしよう。

玉ねぎを切っていると目が染みたのか涙が出てきた。

「痛っ。」

目をこすりながら切っていたため久々に指を包丁で切った。

「なんだよ、普段はこんなことないのに。」

包丁を置き、水で傷口を洗った後絆創膏を張った。

グツグツした鍋の中を見つめる。

これは夢だ。そうでなければ僕らは偽りの記憶で今の関係を作ってきたことになる。それは彼女が僕が愛した彼女とは違うことを表していた。

できたものの食欲が起きなかった。

別の器によそいラップをして冷蔵庫に入れた。

明日の朝食べよう。

そして布団の中に入った。

これは夢だ。そうでなければ...

目を閉じる。

携帯電話がない世界で僕は彼女を愛せるのかわからなかった。












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