自殺学
正木修二
第1話
良いものだ、自殺は。
こう言うと大抵、病んでいるであるとか、厨二病だとかいう反応が返ってくるわけである。
だがマア、待ちたまえ読者諸君。
良いかい、君達は気付いていないだけで、常識という名の偏見で自殺を見ているわけだよ。そう、偏見の目でね。
諸君、ここからは感覚の中に落ちよ。感覚だ、感覚、分からんかね……。
例えばそう、「文」という文字があるとする。すると、だ……。君達の脳は二通りの感覚で捉えるわけだ。一つは文章なんかの「文」。二つ目は手紙を意味する「文」。
文字を記号として読んではならない。感覚で読むのだ。そして同時にイメージせよ。
紙の手触り、滑らせる万年筆、部屋の隅に置かれた小さな机の哀しさを。
心を文章に広く、深く、潜ませよ。
感覚の対義語は理性に常識、それらを全て焼き捨てよ。
タガの外れた、酷くぶっ飛んでクレイジィな、それでいて最も正しい思考をせよ。
準備は良いかね。
…ウン、そろそろ良さそうだ。
まずもって諸君、今迄に死について考えたことはあるだろうか?
……イヤ、そうでなくてだね。もっと、暗く、よりディープに考えたことだ。
誰かの死の傍観では足りない。最も良いのは実際に自殺をしようとした経験なのだがね……。マア、ここまでのはなかなか無いものか……。
ウム、ではここで一つ吾輩の体験を語るとしよう。
ああ…、一応言っておくが、そこに至る迄の経緯は省かせて頂くとする。それでは唯の自分語り……吾輩の最も嫌いなことで言う『主観的思考』になってしまうからね…。そもそも、自殺において経緯は大して重要でないのだ。マアそれはおいおい分かるとして……。
「死にたい。」
この時の感情を形容するのは非常に難しい。憂鬱、絶望、哀絶、どれも近いようでとても遠い……。
読者諸君、ここで感覚的思考の出番なのである。良いかね、吾輩が今から単語を羅列する。その一つ一つの感覚をイメージせよ。
青、風、静寂、白、虚無、停止、夏、夢。
その感覚を、重くせよ。立ち上がるのも億劫になるほど、背中に重く、重く。
そして為すすべもなく床に横たわれ。時間は早く過ぎていく。焦るにも体は動かぬ。何かを早く、早くと急いている。
今死なねば殺されるぞう、と繰り返し聞こえる。
しかしやはり何も出来ぬ。寝返りもうてぬ。気付けば汗をびっしょりかいている。
そこで窓を見るわけだ……。日差しは入ってこない。己ではない、遠くに差している。
なんだか息も苦しくなってふぅっと息を吸う。吐くのではない、吸うのだ…。
諸君、まさにその時だ!
そこに涼しい風が一陣入ってきた。
そして、漠然とこう思うわけだ。
『怖い』
とね。
…諸君、忘れる可からず。
本当に恐るべきは死に非ず。
殺しに非ず。
恐るべきは生である。
何故に生を恐るか……?
…ウム、諸君は何事にも、何者にも意義を求める生活をしたことがあるかね?理由を求める生活をしたことがあるかね?
読者諸君には、特別だ。一つだけ、良いことを教えよう。
常識的偏見は人を生かす。
だが、唯の偏見は時に首を吊る縄となる。
常識的偏見というのは、人があるべき姿で生きていく為の術なのだよ。
唯の偏見はそう簡単には外れてくれないものだ。
もし諸君らが、生活の中で思考の自由を得たいというのであれば、心を無にすることだ。物語文を読むように、己の心を持たず、時に周りの感情の激流に潜ませる生き方をせよ。
マア兎に角、偏見に囚われた人間が行き着くのが、いわゆる『自殺』というわけだ。
しかし、本人の感覚に合わせるならば、「殺」なんて漢字はナンセンス極まりない。
吾輩ならば何と呼ぶ……?
ウウム、『自離』だろうかね。
無になる。タガを外して、自己心理生活すら乖離させていく。細分化させていく。思考の最小化、単純化。
畢竟、人を殺すのは思考、脳髄なのだよ。
さて、今日の講義は終わりだ。
ウム、キリのいい時間だ。吾輩は午後のティータイムに入るとしよう。
ああ、出口はそこだ。
ウン、そこのドアだ。
では、ね。
ン?
どうしたのかね、
ナニ、聞きたいことがある。
ポカン先生は、どうして、今生きてるのか?
……ウム、吾輩はだね、やらねばならんことが、あるのだよ。恐怖を意義のある形で殺す実験を、吾輩という被験者を使って、探しているのだよ。
自殺学 正木修二 @plmqazzM1
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